桶狭間の戦いを皮切りに、幾度も死地をくぐり抜けてきた徳川家康。
関ヶ原の戦いに勝利して、天下の主導権を握ってからは、大坂の陣まで特に大きな事件もなく、割とスンナリ天下人に……とはいかず、実際は苦労の連続でした。
各大名の減封(石高削減)・移封(引っ越し)・改易(お取り潰し)あれば、将軍就任、外交問題、法律整備、豊臣対策などなど、課題は山積み。
極めつけが家臣同士の権力争いでしょう。
派閥争いや金銀のからんだキナ臭い話も当然あり、かなり後味の悪い事件も家康の生前に勃発しています。
慶長18年(1613年)4月25日に死亡した大久保長安――その名も【大久保長安事件】。
ド直球なまでに“カネ”が関わり、あまりにも生々しい話のせいか。
大河ドラマ『どうする家康』では全く描かれなかった同事件の顛末と、大久保長安の生涯を共に振り返ってみましょう。
猿楽師の流れを汲むともされる大久保一族
江戸時代以降、何代も続いているような家は、先祖のルーツや事績を記録しておくことが多いものです。
もしも大久保一族もそうだったら、多少は誇張が混ざっても一定量の確たる事績が残されていたでしょう。
しかし、それが叶わなかった。
大久保一族の出自は曖昧模糊としたままで、祖父が春日大社の能楽師であり、父・大久保信安の代で大和国から播磨国に流れ、猿楽の大蔵流に関わったとされます。
そんな諸国をさすらう能楽師の子として、生まれた大久保長安。
父の信安が流れ流れて甲斐へたどりつき、武田信玄に能楽師として仕えると、息子である長安も武田家に仕えることになりました。

近年、武田信玄としてよく採用される肖像画・勝頼の遺品から高野山持明院に寄進された/wikipediaより引用
戦国時代は鉱山開発の転換点でもあった
武田家に落ち着いた大久保長安は、鉱山開発に携わりました。
流浪の過程で鉱山にかかわる新技術を身につけていたとしても不思議ではないでしょう。

戦国時代は、朝鮮半島から銀の採掘技術が伝わり、シルバーラッシュが起きたとされています。
隣国の明から銀を求められたからです。
戦乱真っ只中の日本では、急速に普及する火縄銃のため、火薬や弾薬の確保が必要でした。
それを海外貿易でまかなうためには銀が手っ取り早いということで、鉱山の開発も急ピッチで進められたのです。
火縄銃という軍事革命が起こる中で、武働き以上に新たな技術が重視されていく時代。
長安の特殊技能がよほど重視されていたのか。
兄が【長篠の戦い】に参戦しても、彼は戦地へ赴かず無事に生き延びています。
そして長篠から約7年後の天正10年(1582年)に武田家が滅亡へ追い込まれると、長安は徳川家康に召し抱えられました。
甲斐の鉱山技術を持つ者となれば、他家に移っても十分に働ける。
徳川にとっても必須の人材と言えました。
徳川家臣としてインフラ整備に尽す
大久保長安は、徳川家に仕えてからも、武功ではなくインフラ整備で手腕を求められました。
似たようなタイプの武将として、主に治水事業で江戸の都市整備に貢献した伊奈忠次が挙げられるでしょう。

伊奈忠次像(茨城県水戸市の備前堀道明橋上)/wikipediaより引用
天正18年(1590年)の【小田原征伐】の後、家康は北条領であった関東を有することとなります。
長安は検地などで才を発揮し、関東の統治で大活躍。
その功績が認められ、天正19年(1591年)には八王子を賜ります。
八王子では、街の基盤を作り上げた偉人として今も長安が顕彰されていますが、関東の治安を担った【八王子同心】も彼が生み出した制度です。
当時の関東は、北条氏の残党があぶれていて、治安が極めて悪化していたとされます。
それを回復させることも重要な役目であり、江戸とその周辺を整備しながら、東国に政権を置く幕府の都市づくりを進めていったのです。
豊臣政権時の鉱山も管理
勝手知ったる甲斐の再建復興も、長安の出番でした。
慶長5年(1600年)の【関ヶ原の戦い】では、伊奈忠次らと共に徳川秀忠の輜重を担い、家康が勝利をおさめると、長安の役目はますます重要なものとなります。
例えば豊臣政権が管理していた金山銀山の管理。
莫大な富がもたらされ、その経営を担うのは非常に重要な役割でしたが、こうした財政に関わる役回りは“贈収賄の疑念“が抱かれることと表裏一体となります。
慶長8年(1603年)、徳川家康は征夷大将軍となりました。

徳川家康/wikipediaより引用
長安も従五位下石見守に叙任。
家康の六男・松平忠輝の附家老に任じられています。
父子で流浪していたことを考えると目覚ましい出世であり、最初期の江戸幕府において、基礎を築くための様々な役割を命じられました。
その中で長安は、諸大名と子息の姻戚関係を結びました。
松平忠輝と、伊達政宗の娘である五郎八姫との婚姻まで勧めたとされます。
家康派と秀忠派 その譜代同士の争い
大久保長安は、大久保忠隣の与力も務めていました。
この大久保忠隣とライバル関係にあったのが本多正純。
大河ドラマ『どうする家康』では、大坂の陣で大筒発射の指揮をとるなどして活躍が目立っていたので印象に残っている方も多いでしょうか。
父はあの本多正信であり、

本多正信/wikipediaより引用
大久保たちとの力関係はこうなります。
◆江戸幕府初期の権力構造
【江戸】
徳川秀忠
大久保忠憐
大久保長安
【駿府】
徳川家康
本多正純
岡本大八
江戸と駿府の間で静かな緊張感が漂う最中の慶長14年(1609年)から慶長17年(1612年)にかけて、駿府に打撃を与える【岡本大八事件】が起きます。
本多正純の与力だった岡本大八が贈収賄に絡んで失脚。
正純にとって痛恨となったこの【岡本大八事件】は、南蛮貿易による利益も絡み、背後で大久保長安が関わっていたともされます。
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戦国から鎖国へ後味悪い 岡本大八事件とノッサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件
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結果、正純は腹心を失っただけではなく、事件の過程でキリシタンがいると明かされ、大打撃を受けました。
しかし、です。
当の大久保長安も翌慶長18年(1613年)、このパワーゲームの最中に中風で倒れ、亡くなってしまうのです。
享年69。
時折しも【大坂の陣】直前のことですが、大久保長安の死は、恐るべき事態に発展するのでした。
世に知られる【大久保長安事件】の始まりです。
大久保長安事件
大久保長安が亡くなり、程なくして起きた【大久保長安事件】とは一体どのようなものだったのか。
不正蓄財。
贈収賄。
度を超えた贅沢。
さらには諸大名と手を組んで企てた陰謀……というような罪状から、大久保一族が断罪されたのです。
長安の子である7名はいずれも切腹を命じられ
嫡男・藤十郎
二男・外記
三男・青山成国
四男・雲十郎
五男・内膳
他2名
大久保家は断絶となってしまいます。
他家に嫁いだ女子を通して女系の血は残りましたが、鉱山開発で急速に栄華を極めた大久保一族は、一瞬にして歴史の舞台から消されてしまいました。
翌慶長19年(1614年)には、不可解な経緯で大久保忠隣も改易に処されています。

龍潭寺(彦根市)境内にある大久保忠隣幽居之跡/wikipediaより引用
理由が不明瞭だったため、当時からこんな噂が流れていました。
「本多正信と正純の父子が仕組んだようだ……」
真偽は不明ながら、その後、本多正純も不可解な経緯で改易され、「政敵を貶めた報いである」と囁かれています。
家康派と秀忠派――両御所と呼ばれた二人のもとにいた譜代同士の争いで、擦り潰されるようにして消えてしまった大久保一族。
彼らが三河からの譜代ならば救済の道もあったのかもしれませんが、猿楽師をルーツとする武田家の出となれば、軽んじられても仕方なかったのかもしれません。
金銀の匂いに惹かれて大久保に近寄ってきた大名たちは、誰一人として彼のことを庇いませんでした。
悪名ばかりが残された大久保長安
非業の断絶を遂げ、出自も明らかではなく、武田から徳川へ主君を変え、そして金銀財宝を思うがままに操っていた――。
そんな状況から「極悪非道であるに違い」ないとされた大久保長安は、以降、まるで妖怪のような扱いを受けてきました。
無類の女好きで、妾だけでも70名から80名いたとか。
女たちを引き連れ大騒ぎしていたとか。
その真偽は不明ながら『徳川実紀』では「様々な陰謀を企んでいた」と記載されています。
金と権力が集中したことは、確かにそうなのでしょう。
そのせいかフィクションにおいても、しばしば色好みの怪人として描かれます。
清廉潔白な人物として扱われることはなく、徳川家康を描いた作品でも、後味の悪さゆえか目立った出番は多くはありません。
しかし、そうした毒々しい評価から離れると、江戸の街、なかでも八王子の整備を成し遂げた偉人として顕彰される。

大久保長安が整備した「八王子千人同心」組頭の家(江戸東京たてもの園に保存/wikipediaより引用)
大久保長安は、もしかしたら江戸時代の開幕らしい人物と言えるかもしれません。
安定しない江戸を整えるフロンティアとしての側面。
将軍側近として権威を振るうも、汚職と結び付けられて失脚する大物政治家としての側面。
そんな二面性がある人物です。
伊奈忠次のように顕彰する動きが途切れたことは痛恨事でした。
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【参考文献】
二木謙一『徳川家康』(→amazon)
『徳川家康事典』(→amazon)
藤田達生『戦国日本の軍事革命: 鉄炮が一変させた戦場と統治』(→amazon)
他





