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【阿部正次の生涯】
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大坂の陣
大坂の役において阿部正次は、徳川秀忠の本隊に従っていました。
冬の陣では自ら先陣に立って一番首を挙げたとされており、彼が勤勉なだけでなく、勇猛さも持ち合わせていたことがわかります。
『名将言行録』には、こんな記録もあります。
夏の陣における乱戦の中で、敵味方の区別ができなくなってしまったところ、正次が
「大坂方の首は籠城していたから、徳川方よりも顔が白い(日焼けしていない)はずだ」
と周りに教えた。
『名将言行録』は幕末から明治にかけて完成した書物ですので創作の可能性は高い。
しかし正次が日頃から冷静で賢い人物だったということが知れ渡っていたからこそ、こうした逸話が伝えられたのかもしれません。
実際、大坂の陣における功績も評価されています。
元和二年(1616年)に下野都賀で7000石加増され、さらに翌元和三年(1617年)に8000石を加増された上で大多喜城(大多喜町)を与えられたのです。
大多喜城は天正十八年(1590年)に房総の要として本多忠勝が任された城でもあります。忠勝は当時から全国規模で武名を轟かせている武人でしたので、かなり緊張感の伴うエリアですね。

本多忠勝/wikipediaより引用
しかし翌年の元和五年(1618年)にはさらに重要な小田原城に移され、元和九年(1623年)になると武蔵岩槻城(さいたま市岩槻区)主となっています。
まさに腰を落ち着ける間もないような移動の連続。
以降、正次と阿部家は岩槻藩主として定着することになりました。
岩槻城は、戦国時代に太田氏と北条氏の間で争奪戦になっていた城です。大多喜城や小田原城のような派手さはありませんが、関東における要衝の一つだったことに変わりはありません。
大多喜→小田原→岩槻という並びからして、家康や秀忠からの信頼感は十分に伝わってきます。
寛永三年(1632年)4月には、西の要である大坂城番も任されました。
島原の乱
大坂の陣と言えば戦国~江戸時代における“最後の合戦”というイメージがあります。
しかし、もう一つ大きな戦いがありますよね。
寛永十四年(1637年)10月25日に発生した島原の乱です。
阿部正次はこの戦いに出陣はしていませんが、ときの京都所司代・板倉重宗と連携し、初期対応にあたりました。

「島原御陣図」/wikipediaより引用
重宗から九州の諸大名へ「キリシタンが有馬に入らないように監視すること」や、各藩でキリシタンの蜂起が発生した場合に「幕府の命令を待たずに討伐して良い」などの方針が決定。
正次が、九州・近畿・江戸の連絡や調整を担当しています。
いかにも優秀な官吏(役人)という印象ですね。
しかし、問題もありました。
元和元年(1615年)に発令された武家諸法度に次のような規約があったのです。
「江戸並びにどこかの藩で何か事が起きたときには、国許の者がその場を守り、幕府からの命令を待て」(意訳)
九州の諸大名としては、これを遵守しなければなりません。仮に先回りで一揆を鎮圧しても、後で武家諸法度を破ったとして改易にされてはたまったもんじゃありません。
『名将言行録』では正次が現地の事情を慮り、一向一揆の経験から、以下のように判断したとされます。
「このような乱を長期化させないためには、状況に応じて大名たちの武力行使もやむを得ない」
正次の性格を想像すると有り得そうな話にも見えますよね。ただまぁ、あくまで逸話ということで。
生前整理?
寛永十四年(1637年)に始まった島原の乱は寛永十五年(1638年)2月28日に終息。
同年4月に阿部正次は、関東の領地のうち4万6000石を嫡子の阿部重次、1万石を孫の阿部正令に与えました。
この頃から体調面での懸念などがあったのでしょうか。
死後のことを具体的に考えていたのかもしれません。
亡くなったのは正保四年(1647年)11月14日、場所は大坂城でした。

享年79のまさに大往生。
正次の跡を継いだ重次もまた忠誠心の厚い人で、慶安四年(1651年)に三代将軍・徳川家光が亡くなった際は殉死しています。
重次が、家光の重臣中の重臣である「六人衆」(若年寄の前身)から老中になっていたためでもあります。
戦時はもとより、太平の世になっても、そして幕末までも、ありとあらゆる形で忠義を貫き続けた阿部家。
派手な武功は無くとも、長きに渡った徳川政権を支え続けた重要な一族でした。
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参考文献
- 峰岸純夫・片桐昭彦(編)『戦国武将合戦事典』(吉川弘文館, 2005年3月, ISBN-13: 978-4642013437)
書誌情報: 吉川弘文館公式サイト(商品ページ) |
Amazon: 商品ページ - 岡谷繁実(著)・兵頭二十八(編訳)『[新訳]名将言行録 大乱世を生き抜いた192人のサムライたち』(PHP研究所, 2008年9月18日, ISBN-13: 978-4-569-70266-7)
出版社: PHP研究所公式サイト(書誌情報) |
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出版社: 講談社公式サイト(書誌情報) |
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