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【塙団右衛門(塙直之)】
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少ないほうが目立てそうと豊臣家選ぶ
1614年、冬。
徳川家と豊臣家の間で戦になりそうだ――そんな話を聞きつけた晚。
団右衛門は「それならば!」と参戦を決意します。
ここで面白いのが、豊臣家についた理由でしょう。
どちらに大義があるかどうかといった道義的な話ではなく、「大坂方のほうが味方が少ないから、功が目立つし褒美も弾んでもらえるだろう。もしかしたら大名にもなれるかも」という完全に実利的なものでした。
上記の通り彼は豊臣(方)にも徳川にも仕えたことがありますので、他にもっともらしい理由があってもよさそうなものなんですけどね。
この辺はいかにも戦国の武士らしいといえます。
もし出会えていたら、戦国の転職王こと藤堂高虎あたりと気が合ったかもしれません。まぁ、高虎も豊臣秀長と豊臣秀保の最期まで従っていて、実は忠義に溢れた人とも言えるのですが。
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ともかく大坂城に入った団右衛門は、やる気は充分でもやはり身分が低いため、重臣大野治長の弟・大野治房の隊に組み入れられます。
当初は一兵士として大人しくしていました。
しかし、10日を過ぎて徳川方がトンネルを掘ったり大砲をぶっ放しはじめると、当然のことながら和議の話が出てきます。
「やべえこのままだと俺が活躍する前に戦が終わる!」
焦った彼は、きちんと許可を取った上で夜襲の計画を立て、実行へ移します。
「夜討ちの大将」の木札でブランディング
団右衛門は、20人ほどの小勢で蜂須賀至鎮(蜂須賀小六の孫)の隊を襲撃しました。
そこで重臣・中村右近を討ち取るという成果を挙げます。
新参者ゆえに預けられた兵が少なかったことを考えれば、満点といってもいいほどの戦果でしょう。
その際、宣伝を狙ってか。
【夜討ちの大将・塙団右衛門直之】
と書いた木札をばら撒かせたとか。
強烈な自己アピールは、人によっては眉をひそめそうですが、なんとも華やかな戦国武将らしいとも言える気がします。
そもそも戦国武将は兜や旗で己の生き様をアピールすしてこそ、ですもんね。
そして彼はこの功を買われ、翌年(1615年)の大坂夏の陣で大将に抜擢されます。
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さぞかしノリノリであろう――そんな印象もありますが、夏の陣が始まる前に旧友へ宛てた手紙の中でこんなことを記しています。
「定めなき世の中ゆえにもう会えないかもしれないし、会えるかもしれない」
さりげない無常観が出ていて、単なる目立ちたがり屋でないことが窺えますね。
そしてその最期は、木札のエピソードに通ずるような、関ヶ原の戦いでの一騎駆のような、団右衛門らしいものでした。
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