杭瀬川の戦い

徳川家康(左)と石田三成/wikipediaより引用

合戦・軍事

関ヶ原の前哨戦・杭瀬川の戦いは西軍勝利だが家康も三成もガクブル

旧暦9月といえば関ヶ原の戦い。

本戦(15日)が、あまりに早く決着が付いてしまったため、北では旧領回復を狙う伊達政宗、南では老いてなお壮んな黒田官兵衛が( ゚д゚)ポカーン状態になるわけですが、実はこの早期決着は他ならぬ徳川家康も驚いておりました。

何故かというと、関ヶ原本戦の前日時点では三成のいる西軍が有利だったとも考えられるからです。

慶長五年(1600年)9月14日、前哨戦ともいえる【杭瀬川の戦い】がありました。

「くいせがわのたたかい」と読みます。

 

杭瀬川の戦い 2ヶ月前のこと

時計の針を同年の9月から7月へと戻しまして。

もともと家康は会津の上杉を叩き潰すつもりで東北へ進軍しており、その途上で石田三成が挙兵したものですから、「どうしよう、どうしよう」とパニックになります。

関ヶ原の戦いというと、とかく【家康の仕掛けた罠に三成が引っかかった】という風に描かれがちですが、それはあくまで結果ありきの話であって、西軍の蜂起に対し東軍・家康だって100%勝てるだなんて自信はありません。

力が拮抗しており負ける可能性だって十分ある。

そうでなければ東と西で迷ったりする武将などいないでしょう。徳川が確実に勝てる状況だった【大坂の陣】とは違うのです。

そこで家康は7月25日、あわてて軍議を開きました。

有名な「小山の評定」です。

上杉征伐と小山評定から家康vs三成はバッチバチ そして関ヶ原が始まった

続きを見る

そこで、豊臣恩顧筆頭の福島正則

「三成みたいな茶坊主は許せん!俺たちはタヌキじいさんに付いていくぜ!」(超訳)

と言えば、山内一豊も

「俺なんか、家康さんにお城(掛川城)を提供します!」(超訳)

と応えます。

山内一豊については、西軍からもスカウトの手紙が来ていたのですが、正妻・千代の機転でその手紙を家康に最初に読ませて夫婦の忠誠心をアピールし、後に土佐20万石を得るに至った逸話【笠の緒文(おぶみ)】がよく知られておりますね。

かくして一致団結したはずの東軍。

なぜか家康は8月5日に自分の居城「江戸城」に戻ると、引きこもってしまいました。

 

家康動かず……ザワザワ……ザワザワ…

やる気満々の福島さんら豊臣系武将は東海道をズンズンと驀進して、愛知県の清洲城まで進撃します。

ところがいつまで経っても家康が来ません。

福島さんたちは不安になってきます。

「すぐにうちらのあとを追って清洲に来ると言っていたじゃないか!」

「もしかして、うちら捨て石?」

ザワザワ、ザワザワ……。

一緒に先発隊にいた家康の部下の本多忠勝さんは真っ青になって「まあ、まあ」と必死になだめます。

本多忠勝
本多忠勝(徳川四天王)63年の生涯と5つの最強エピソード!年表付

続きを見る

8月19日になって、ようやく家康の使者が来ます。

そして、こんなことが伝えられました。

「いやー、福島君たちが威勢がいいもんだからと見守っていたんだけど、全然、清洲城を打って出る気ないよね。もしかして、あれ? みなさんってチ・キ・ン?」(超訳)

おい!
おいおいおい!

思いもよらぬ家康の物言いに対して、忠勝だけでなく、井伊直政も、他の徳川家臣団もびっくり。

井伊直政
井伊直政(徳川四天王)武田赤備えを継ぎ「赤鬼」と恐れられた42年の生涯

続きを見る

しかし、意気に感じた福島正則は、断言します。

「まことにごもっとも! さればただちに出陣して、成果をあげてみせよう!」

そして木曽川を挟んで対岸の岐阜城に攻めることになったのです。

うーん、愛しき猪武者よ……。

福島正則
福島正則すったもんだの転封&改易劇! 終焉の地は意外にも……

続きを見る

 

岐阜城を守っていた信長の孫って誰だ!?

かくして福島正則や池田輝政らの新参者たちの東軍は、2日後の21日に清洲城を出発して、岐阜城を攻撃します。

清州城から岐阜城までの距離をグーグルマップで確認しておきますと、現代の距離で約29km、徒歩6~7時間とあります。

 

黄色→清州城
赤色→岐阜城
青色→大垣城

一方、西軍の将(岐阜城の主)は織田秀信でした。

この秀信さんってのが、また因縁めいておりまして。

名字からお察しの通り、織田信長の血縁者です。

孫です。

それも単なる孫ではなく清州会議で豊臣秀吉が担いだ、あの「三法師」なんですね。

織田秀信
三法師こと織田秀信は信長の孫! 運命の「清須会議」後はどう生きた?

続きを見る

豊臣秀吉
豊臣秀吉 数々の伝説はドコまで本当か? 62年の生涯まとめ【年表付き】

続きを見る

つまりこの【岐阜城の戦い】は、ほぼ織田豊臣の重要人物で行われたものでした。

メンツ的にはオールスターって感じですが、戦い自体はあっさり3日で陥落。

東西のスター武将が集った【岐阜城の戦い】はド派手な関ヶ原前哨戦だった!

続きを見る

東軍はその勢いで、三成たち西軍の主力が集結している大垣城のすぐそば、赤坂というところまで進撃します。

※続きは【次のページへ】をclick!

次のページへ >



-合戦・軍事
-,