こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【鴫野・今福の戦い】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
上杉隊は倍の敵を撃破した
一方、鴫野では、上杉軍が兵力を生かして順調に攻め進んでいました。
守備に置かれた武将は井上頼次。豊臣家の鉄砲頭という立場の人で、兵2,000と共に守ります。
上杉軍は、豊臣方が防御のため作っていた柵ごとぶち破るほどの勢いで井上は戦死、上杉軍はそのまま村を攻め取りそうな勢いで攻め込みました。
しかし、こちらも大坂城から、大野治長や秀頼の旗本衆が加勢にがやってきて、兵の数では不利になってしまいます。
そのため一時的に押し返されはしたものの、そこは謙信以来戦慣れした上杉軍です。
いったん退いて味方を左右に分かれて退かせ、目の前が開けたところで数百丁という鉄砲の一斉射撃から槍兵の側面からの突撃という素晴らしい連係プレーで、援軍まで粉砕して見せました。
当初、村にいた兵は2,000に加え、援軍の大野治長は1万2,000を率いていたそうですので、上杉はおよそ2.5倍の兵を打ち破ったことになります。
さすがとしか言いようがありません。
ちなみに、上杉景勝軍のそばの東軍には堀尾忠晴、丹羽長重、榊原康勝らも備えており、上杉がピンチのとき加勢にかけつけています。
佐竹を救援する上杉景勝
あまりの働きぶりに、家康も「朝早くから戦って疲れてるだろうから、守備は他の隊に任せて一度下がれ」と命じたのですが、当主である景勝はこれをきっぱり断りました。
「自力で勝ち取ったところを他人に任せられるか! 心配無用!!」(意訳)と使者を追い返し、そのまま鴫野で一時休息。
さらなる攻撃体制を取り続けます。
そこへ対岸の佐竹軍から
「上杉さん、もし余裕があれば手伝ってもらえませんか、っていうかウチマジヤバイ。超ヤバイ。渋江(渋江政光・佐竹家の重臣)が狙撃されたし、もうどうにでもなーれ」
という救援要請が届きます。
これを受けた景勝は、まだ殺る気があり余っていた配下の水原親憲という武将に率いさせて大和川を渡らせます。
渡河戦というとそれだけでフラグの予感がしますが、そこはさすが上杉軍というべきか背後に憂いがなかったからか、無事渡りきります。
それどころか、佐竹軍と対峙している後藤隊・木村隊を見るなり、またも射撃を喰らわせ、大坂城へ引き揚げさせるのです。
やっぱり上杉軍って怖い……。
鴫野・今福の戦い前に行われた【木津口川の戦い】に続き、連勝を果たした家康の機嫌は上々。
徳川家康はなぜ天下人になれたのか?人質時代から荒波に揉まれた生涯75年
続きを見る
徳川方は着々と大坂城へ進んでいきます。
なお、この戦いで木村重成は大坂城での評価が高くなり、また、苦戦した佐竹も働きを認められ、徳川秀忠から感状を送られています。
あわせて読みたい関連記事
謙信の跡を継いだ上杉景勝の実力とは?幾度も滅亡の危機にさらされた69年の生涯
続きを見る
史実の真田幸村(信繁)は本当にドラマのような生涯を駆け抜けたか?
続きを見る
黒田家の猛将・後藤又兵衛基次はなぜ大坂に散った?56年の生涯まとめ
続きを見る
官兵衛の嫡男・黒田長政とは?偉大な父を持つ二世の苦悩56年の生涯
続きを見る
なぜ徳川秀忠が二代目将軍に選ばれたのか 関ヶ原の遅刻は問題なし?
続きを見る
徳川家康はなぜ天下人になれたのか?人質時代から荒波に揉まれた生涯75年
続きを見る
大坂夏の陣の全貌がわかる各武将の戦闘まとめ~幸村や又兵衛の散り際
続きを見る
長月七紀・記
【参考】
歴史読本編集部『大坂の陣と秀頼の実像』(→amazon)
渡邊大門『大坂落城 戦国終焉の舞台 (角川選書)』(→amazon)