分国法

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戦国大名の法律・分国法が面白い~今川・武田・伊達を例に見てみよう

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今川家の今川仮名目録

今川氏親・今川義元の親子で制定しました。

まず、大永六年(1526年)に氏親が「仮名目録」を作り、その後、義元の代になった天文二十二年(1553年)に「仮名目録追加」が出されています。

今日では、これら二つをまとめて「今川仮名目録」というわけです。

大きな特徴は「東国で制定された最古の分国法」というもの。

当時の今川領内にいた武士からすると「その発想はなかった」(超訳)な口論や紛争が度々起きるようになったので、予め法律を作って採決を楽にしよう……という目的で作られたようです。

写本が複数伝わっているのですが、条文数や順番がそれぞれ異なり、底本と呼べるものが早い段階で失われてしまったのかもしれません。

内容は、下男下女などの使用人の年期に関するものとか、領地売買の禁止などが含まれています。

前者はともかく、「大名家に仕えて、領地をもらっている人が土地を売らなければならない」という状況がそれなりの頻度であったからこそ、禁止したことになりますね。

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また、今川仮名目録は「室町幕府の決めた守護不入」を否定していることも重要なポイントです。

この場合の「不入」は、

「室町幕府の役人が、守護の領内に飛び地のような形で荘園などを持っていた場合、守護からは徴税されない」

というような特権のことでした。

要は、今川が、幕府側の荘園利権を否定し、正式に「ワシが貰うぞ」としたわけです。

この幕府の「不入」の権利を今川が明確に否定したのは義元の代(「追加」の部分)でした。このころ既に室町幕府自体が消えかかっているようなもので、そもそも守護不入を認めるのもバカバカしい状況になんですけどね。

義元はそれを明文化し、

「うちのシマにいるヤツからは幕府の関係者だろうとなんだろうと、うちが徴税するから^^」(※イメージです)

と宣言したことになります。

本当は今川氏って、足利氏支流の一つであり、いざというときには将軍になれる由緒正しい家です。そんな人たちからも室町幕府は見限られたという。

まぁ、足利将軍や幕府は【嘉吉の乱】やら【明応の政変】やら、ドタバタばっかりやってたんで仕方ないですね。

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なお、この今川仮名目録は、武田氏の「甲州法度之次第」にも影響したといわれてますが、その度合いは学者先生方の間でも意見が分かれているようです。

 

伊達家の塵芥集(じんかいしゅう)

奥州の伊達稙宗(たねむね)によって作られた分国法です。

稙宗は、あの伊達政宗のひいじーちゃんで、当時、伊達氏の勢力圏を最大に広げた人です。

が、同時にそれを自ら半壊させた風変わりな人でもあります。

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詳細は上記の関連記事を見ていただくとして、今回は塵芥集の中身にいきましょう。

制定されたのが天文五年(1536年)と早めなことも特徴ですが、「条文数171」という細かさも目立ちます。

分国法としてはかなり多いですね(版によって条文数などに相違があります)。

現在日本で使われている法律が

・日本国憲法全103条

・刑法が全264条(+附則)

ですから、塵芥集の条文の多さが何となく伝わるでしょうか。

まぁ、現代の法律はもっと多いものもザラですが(日本の現行民法は1044条+附則)。

なにゆえ、そこまで事細かな法律を作ったのか?

というと単純な話で、伊達氏の勢力圏が稙宗の代に一気に拡大したからです。

領地が広がる=治める民衆が多くなる=トラブルも増える、ですからね。

だからこそ「ちりあくた」や「ごみあくた」とも読める「塵芥」の名を冠したのでしょう。「どこにでもあるもの」と解することができます。

中身は、訴訟や土地・用水、商売、婚姻、租税、寺社、刑法などなど、あらゆる法が含まれています。

最も多いのが刑法で、「私成敗禁止」を基本とした詳細が定められています。

実際には【地頭→領内百姓】や【主人→従者】といった支配権は認めざるを得なかったようですが……まぁ、一代で人間の価値観や習慣を丸ごと変えることはほぼ不可能ですよね。

現代でいえば、社内の慣習や社則が労働基準法より重んじられているような感じでしょうか。

また、訴訟をするかどうかや、訴訟で勝つための証拠集めなどは被害者次第だったようです。

この辺はそもそも、現代のような警察や司法組織がない時代のことですから、仕方がないところではあります。

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