左から伊達稙宗・今川義元・武田信玄/wikipediaより引用

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戦国大名の「分国法」には何が書かれている?今川・武田・伊達を例に見てみよう

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武田家の甲州法度次第

武田信玄こと武田晴信が天文十六年(1547年)に定めた分国法です。

この年は晴信が父・武田信虎を追放して十年目でした。

他に「信玄家法」とか「甲州法度」、あるいは「甲州式目」などの呼び名がありますね。

甲州法度次第は57カ条の上巻と、99カ条の下巻に分かれておりました。

おおざっぱに言うと、上巻が法律集で、下巻が家訓集。家訓のほうが多いあたり、信玄の価値観が窺える気がします。

近年、武田信玄としてよく採用される肖像画・勝頼の遺品から高野山持明院に寄進された/wikipediaより引用

法律としては、武家のならいである「喧嘩両成敗」がベースになっています。

しかし、「容疑者が13歳未満の場合には不問」という項目があるなど、「それでいいんか?」とツッコミたくなる部分もあったりして……。

おそらくは「まだ元服前の者が多いから」という基準でこの年齢なのでしょうけれども。

現代の少年法でも、14歳未満の場合は基本的に刑罰を受けないことになっていますね。

そもそも明治時代に民法を作るとき、甲州法度次第を参考にしたという俗説があるくらいですから、刑法にも影響がまったくなかったとはいい切れません。

少年法はその時々に応じて年齢の引き下げなどが行われてきていますが、別の話なのでここまでにしておきましょう。

他に甲州法度の特徴としては、法律の尊重が明記されており、

「主君である晴信自身もその法の対象に含まれていること」

が挙げられます。

つまり「領主であっても法に拘束される」ということを明文化しているのです。

これはとても先進的なことでした。

外国の例でいえば、イングランドのマグナ・カルタが国王の権限を制限したことに似ていますかね。成立の経緯や狙いは違いますが。

さらに「法の不備、あるいは法執行の適正に問題があれば、貴賤を問わず申し出てよい」とされており、「法の修正」を柔軟に行う姿勢を見せていることも先進的です。

細かい点でいえば、

「年貢の滞納禁止」

「(内通防止のため)他国に勝手に書状を出してはならない」

浄土宗日蓮宗の喧嘩・問答禁止」

などが含まれているあたり、当時の甲斐の世相が見えて興味深いです。

これらが起きていたからこそ、禁じる法律を作ったわけですからね。

 


長宗我部元親百箇条

戦国大名長宗我部氏の法令集。

土佐の戦国大名・長宗我部元親が、土佐統一前から少しずつ作った法律をまとめてこう呼んでいます。

長宗我部元親/wikipediaより引用

天正二年(1574年)ごろから、武士、庶民それぞれに対する法律が少しずつ加えていき、慶長二年(1597年)3月、正式に制定・発布しました。

そのためか、記録でも呼称が統一されておらず、様々な呼び名があります。

ちょっと多いですが記しておきましょうか。

「長宗我部掟書」

「長宗我部百箇条掟」

「長曾我部元親百ケ条」

「長曾我部百ケ条」

「長曾我部元親百箇条掟」

「元親盛親連判掟」

「百箇条目掟」

最初はただ単に「掟」と呼ばれていたそうで、そっちの方がシンプル……いや、さすがに単純すぎますね。

この間にあたる天正十四年(1587年)には、元親がデキる長男・長宗我部信親を亡くしており、百箇条については四男の長宗我部盛親を中心として作り上げました。

もちろん専制的に押し付けたのではなく、弟の香宗我部親泰や、盛親の兄である津野親忠、他に重臣や親戚、長宗我部氏に出入りしていた僧侶などと合議して決めています。元親が柔軟な思考の持ち主だったのでしょう。

発布のタイミングとしては、朝鮮出兵の後半戦【慶長の役】に長宗我部氏が出発する直前のことでした。

この頃には弟・親泰も亡くなっており、元親の息子たちは早世したり仲が悪かったりしたので、留守中の領内の統治を安定させるためだったのかもしれません。

分国法は、やっぱり人物と中身を確認した方がセットで覚えやすいのではないでしょうか。

仮に受験の場合ですと、戦国時代で織田信長豊臣秀吉を答えさせる問題はあまりないと思われる反面、この手のジャンルは毛嫌いする人もいて、いざテストに出た時に確保できるとガッツリ差をつけられるハズです。

よろしければ本サイトの他記事と読み合わせて貰うといいかもしれませんね。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典「分国法」「今川仮名目録」「塵芥集」「長宗我部元親百箇条」
甲州法度次第/wikipedia

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