北条泰時の功績として、歴史の授業でも割と大きく取り上げられる【御成敗式目】。
鎌倉幕府による「日本初の武家法」なんて語られたりしますが、その何が偉いのか? なぜ、それまであった法律じゃダメなの? といった疑問も湧いてきませんか。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも鎌倉と対立していた京都(朝廷)では、以前からの律令制で秩序は保たれ、法律はありました。
それでもなお泰時は、幕府の基本法として御成敗式目を導入したのです。
それは一体誰のために作られ、どんなことが記されていたのか?
貞永元年(1232年)8月10日は同法が施行された日。
泰時の苦悩から生まれた御成敗式目を振り返ってみましょう。
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わかりやすさ重視の御成敗式目
法律といえば、とにかく堅苦しくて読むのが大変――。
そんなイメージをお持ちかもしれませんが、実は御成敗式目は、できるだけ平易な漢字が用いられ、わかりやすさを重視して作られています。
京都に比べ、圧倒的に教養の不足していた坂東武者たちが読むので、ある意味、当然の気配りですね。
ただし、いくら日本“初の武家法”と言っても、それまで武士が完全に無秩序だったわけでもありません。
有力な家になると独自の家法を制定するなどして、自らの勢力を統制していました。
一方、御成敗式目は、基本的に「幕府の御家人とその支配地」を対象とした法律となります。
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朝廷が定めた律令とは関係なく、それゆえ各地の国司や領家の支配権には干渉しない。
要は「朝廷がらみの土地では関係ない法律だよ」でも「幕府の縄張りでは厳守してね」というもので、執権の北条泰時と、連署の北条時房、さらには評定衆の意見なども吟味されて作られました。
なお、御家人の領地とその他のエリアを、トラブル無しで厳密に分けられるものではありません。
ですので、幕府の権力拡大に伴い、公家や寺社領にも拡大されてゆきました。
御成敗式目では51ヶ条の法令が定められ、その後も新しく追加されながら、室町幕府にも引き継がれ、さらには各地の戦国大名の「分国法」にまでも影響したのです。
それだけ優れた条文だったのでしょうが、では、具体的には何が定められていたのか?
重要な項目をピックアップして参ります。
御成敗式目があれば解決できる
本題へ入る前に、もう一つ。
大河『鎌倉殿の13人』は、御成敗式目から見ても、非常によくできたドラマと言えるかもしれません。
というのも、劇中で描かれたトラブルの多くが、
御成敗式目があれば解決できる――
そんな流れになっているのです。
条文の書き出しだけでは味気ないので、鎌倉殿の13人の劇中シーンを思い出しながら、見て参りましょう。
まずは第2条から。
第2条:僧侶はまじめに務めを果たそう
「僧侶は真面目に働け」って、そんな当たり前のことを規定する必要があるの?
というと、これが必要ありました。
当時は僧兵の全盛期です。
劇中で言うと弁慶がイメージしやすいでしょうか。
彼ら僧兵の中には「つとめを果たせないほど単純で、力があり余っているなら武装でもしよう」という無茶苦茶な発想を持つ者がいました。
源実朝を暗殺した公暁は、鶴岡八幡宮で修行に励むどころか、事件前に不審な行為をしていたとされます。
御成敗式目があれば、そんな怪しい僧侶も罰することができる。
もしかしたら実朝の暗殺事件も起きなかったかもしれません。
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第7条:土地の支配権を認める「不易の法」
劇中では中川大志さん演じるイケメン武士であり、北条義時の義兄弟でもありましたが、武蔵国での権利を巡り、舅である北条時政に対して疑心暗鬼となります。
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「一所懸命」という言葉に象徴されるように、土地の支配権は御家人にとって最も重要な事柄です。
土地所有権を認める「御恩」があればこそ幕府に「奉公」する――というわけで、御成敗式目では基本的な理念が制定されました。
・頼朝からの源氏将軍三代および北条政子の代に得た土地は失うことはない
つまり功績のある御家人の子孫は、土地の所有権を失う心配がなくなる。
それはそれでで世襲制のデメリットも考えられますが、ともかく同法があれば畠山重忠の運命も大きく異なっていたことでしょう。
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