まんが戦国ブギウギ

まんが戦国ブギウギ 慶長伏見地震で秀吉ガンギレ 方広寺の大仏なんて死んでまえ

それは1596年9月5日のことだった。

京都を中心に、畿内でマグニチュード7を超える揺れが発生。
伏見城をはじめ東寺や天龍寺、大覚寺などが倒壊し、大坂、堺なども含め各地で甚大な被害が起きた。

場所によっては、地中の水と砂や土が混ざり合って地上へ噴出したり、地盤が異常に軟化してしまう「液状化現象」なども見られている。
液状化現象は、東日本大震災のときにも浦安市で多数の被害報告が出たことで知られているが、戦国当時の1586年にも天正地震で同現象が起きており、「琵琶湖付近の集落が丸ごと液状化で湖水へ呑まれる」ことも起きていた。

ひるがえって1596年の慶長伏見地震。
歴史上の人物たちに一体どのような影響を与えたのだろう――。

 


豊臣ではなく織田の血筋を残すため!?

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豊臣秀吉は、関白秀次が自害すると、その妻や側室ほか子供たちも軒並み殺してしまいました。

その数、総勢で約40名にも達し、中には、まだ秀次と一度も会ったことのなく、これから側室入り直前――という駒姫も処刑されてしまいました。

駒姫は最上義光の娘かつ東北一の美女と称されていたお姫様です。それを無残に殺されてしまったのですから、後に義光が徳川へなびいていくのも無理のない話でしょう。

 


失った支持率は大仏で回復じゃ

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◆京都の方広寺に大仏を建てるため――と称して実施された刀狩り

武士以外の身分から槍や刀をはじめとした武器を庶民から徴収し、実際に大仏も建立される運びとなりました。

方広寺は、秀吉死後の「大坂の陣」で、家康が攻撃の口実としたという「国家安康・君臣豊楽」の鐘で知られております通り、なんだか豊臣にとっては不吉な感じもあるんすよね……(゚A゚;)ゴクリ

 


地震加藤、伏見城へ駆けつけろ!

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◆慶長伏見地震が起きたとき、同城の天守は崩壊。大勢の被害者が出たと言われております。

このとき真っ先に現場へ駆けつけたという逸話があるのが加藤清正さんですね。

真偽の程は怪しいともされておりますが、朝鮮出兵での謹慎でちょうど付近にいたことが話のタネになったのでしょう。

 

天は、どうあっても豊臣を認めぬか!

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◆慶長伏見地震から遡ること約10年前。1586年に天正地震が発生しました。

一説にはマグニチュード8にも達する大きな揺れだったようで、琵琶湖畔の集落が液状化現象で湖水へと沈んでしまったことは前述の通りです。

このとき長浜城主だった秀吉さんは、おもいっきり地震が怖くなり(当たり前かもしれんけど)、そして「ナマズの仕業じゃ!」となって、新しい城の築城では本気でナマズ対策を命令していたようです。

そんな調子ですから仏様へ八つ当たりするのも無理はないのかもしれません。しかしまぁ、三成さんが可哀想ですのぅ。どんどん独り言が増えていくw

(来週へ続く)

漫画・アニィたかはし
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