大名にとって男児の誕生は悲願。
とりわけ長男が生まれたときは何者にも代えがたい歓喜となりますが、時に大きなトラブルに発展しがちなのも長男でして。
その代表が武田信玄と徳川家康でしょう。
【甲相駿三国同盟】を破棄して駿河へ攻め込んだ武田信玄に対し、謀反を企てたとして嫡男の武田義信は自害へ追い込まれました。
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武田家の家督を継ぐのが武田勝頼ではなく義信だったら、もしかして大名として残れたかも知れない。
そんな歴史IFを思い浮かべてしまいますが、 もう一人の徳川家康はどんな展開だったのか。戦国ブギウギ47話、スタート!
徳姫と信康
◆この事件は『優秀な長男を持つ家康に信長が嫉妬して、言いがかりをつけて信康を自害させた――』なんて言い伝えもありますが、それは江戸時代の創作という説が有力で……
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母の心配
◆背景に必ず出てくるのが、徳姫から父の織田信長へ宛てられた「お手紙訴状」です。
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信康が裏切ろうとしているとか、母親も一緒に企んでるとか。旦那にとっては心臓が凍る内容の文面を送り届けたとか。
まぁ、こうして徳姫と信長を悪者に描いておけば、徳川家の誰もが損しない仕組みになっているんすなぁ。
魔王の娘
◆最近有力な説は、徳川家康派と松平信康派に家中が分かれしまい、家康も仕方なく処断した――という見方です。
武田信玄と武田義信の例を見ても、十分にありえますよね。
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家康は浜松に本拠地を移してましたが、信康が岡崎城の城主をつとめ、築山殿も岡崎に残ったのです。
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浜松(家康)vs岡崎(信康・築山殿)という対立構造でもあった。そりゃあ自害事件へと発展してしまいますわな。
号泣武将
◆家康から、長男・松平信康の介錯人に指名されたのが服部半蔵さん。
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絵にあるようなわかりやすい伊賀の忍者ではなく、実際は武士(家臣団)におりました。
「主君の子どもを手に掛けることはできない」と涙を流して断った逸話も信憑性は高くありませんが、面白い話ではありますよね。
伊賀と甲賀の忍者については以下の記事にて!
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!













