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【戦国ブギウギ47話】
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魔王の娘
◆最近有力な説は、徳川家康派と松平信康派に家中が分かれしまい、家康も仕方なく処断した――という見方です。
武田信玄と武田義信の例を見ても、十分にありえますよね。
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家康は浜松に本拠地を移してましたが、信康が岡崎城の城主をつとめ、築山殿も岡崎に残ったのです。
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浜松(家康)vs岡崎(信康・築山殿)という対立構造でもあった。そりゃあ自害事件へと発展してしまいますわな。
号泣武将
◆家康から、長男・松平信康の介錯人に指名されたのが服部半蔵さん。
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絵にあるようなわかりやすい伊賀の忍者ではなく、実際は武士(家臣団)におりました。
「主君の子どもを手に掛けることはできない」と涙を流して断った逸話も信憑性は高くありませんが、面白い話ではありますよね。
伊賀と甲賀の忍者については以下の記事にて!
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!











