楽市楽座に関所の撤廃、キリスト教の認可、安土城など。
織田信長が導入した新技術や制度は多岐にわたっているが、数多の実績の中でも飛び抜けて奇抜なのが【黒人を配下に迎えた】ことではなかろうか?
男の名は、弥助――。
日本初の黒人SAMURAIである。
一説にモザンビーク出身だと言われている弥助は、その後、奴隷としてインドに移され、最終的に宣教師によって日本へ連れて来られた。
そして、このたび弥助が面談することになったのが、日本の魔王こと織田信長であった――。
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ヤスフェ
◆ヤスフェは後の弥助。宣教師ヴァリニャーノに連れてこられました。
おそらく当時日本一アタマの柔らかかった織田信長さんでも、最初に黒人を見たときはぶっ飛んだでしょう。
武家の人間たちがいかに体格がよくとも(例えば前田利家は身長180cm以上とか)、もともと黒人が備えている筋力・骨格にかなうわけもなく、実際、弥助は180センチを超える当時としては超のつく大男だったとされております。
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むろん弥助にしても、織田信長との対面は相当な緊張だったハズで…。
献上品
◆弥助と対面した信長は、弥助が『肌に墨を塗っている』と思い、顔を洗わせたという話が伝わっております。
むろん、それで白くなるワケでもないですが、この謁見後に弥助は信長の配下となり、本能寺の変まで側にいることとなります。
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よほどウマがあったんでしょう。あるいは弥助が信長のことをリスペクトしていたのか。最後まで信長に忠誠を尽くしていた――そんな様子も伝わっております。
功名が辻
◆天正九年(1581年)2月に信長は京都御馬揃えを実施。それは華やかな軍事パレードだったと伝わります。
織田信長の配下・山内一豊は、奥さんの見性院にお金を融通してもらい、名馬を購入したなんて話も。
そしてその馬で信長主催の馬揃えに出席したところ、後に加増されたとか!
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って、これはいかにも出来過ぎた話で内容の真偽についてはかなり怪しいですよね。
仕事が甘いという理由で重臣・佐久間信盛がクビになったばかり。
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そんな理由で加増なんてありえないでしょう。
不参加組
◆京都御馬揃え(1581年)に『信長公記』に豊臣秀吉の名前はありません。
織田の子息たちをはじめ、近衛 前久や細川 藤孝、小笠原 長時のほか明智 光秀に丹羽 長秀、柴田 勝家など主要メンバーは揃っているのですが……。
中国地方の毛利と対峙していてそれどころではなかったのでしょう。
黒田 官兵衛のツッコミが痛いところではありますが……。
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