奈良から京都へ移り、後の千年王国を築くことになった偉大な王・桓武天皇。
その後、都は、平城天皇の即位によって藤原仲成・薬子が権勢を振るうようになる。
が、同じく桓武天皇を父に持つ嵯峨天皇が即位すると、両者は一触即発の事態に陥り、そして薬子の変へ。
遷都からほどなくてして、早くも平安京に立ち込める暗雲。如何にして払われるのか。
嵯峨天皇が注目したのは、2人の僧侶である。
すなわち空海と最澄。
遣唐使となって多くの文物を持ち込んだ仏教界のスターたちは鎮護国家の礎となり着実に足場を固めていく。
しかし暗雲立ち込めるのは都ばかりでなく、まさしくその2人も何やら雲行きが怪しくなっていくのであった。
日本史ブギウギ、第37話、スタート!
◆来ました久々のケンシロウ空海!
もともと唐への留学期間が20年の予定だった空海は、天才的頭脳で瞬く間に唐での勉強を終え、勝手に期間を早めて2年で帰国。
当初は「アンタ、戻ってくんのがあまりに早いよ、弾幕薄いよ、何やってんの!」という調子で朝廷に叱られ、しばらくの間、上京を禁じられます。
嵯峨天皇の治世になって、809年、ようやく許されます。
これには最澄の口利きもあったのでした。
◆空海と嵯峨天皇、それに加えて橘逸勢を「三筆」と言います。
メチャメチャ字の上手な、書道の大家3人ですね。※後に「三蹟」と呼ばれたのが小野道風・藤原佐理・藤原行成
「弘法も筆の誤り」とは、この応天門の「應」の字に点を付け忘れたことから来たものでして。
空海は実際、マンガのように「筆を投げつけて」書き足したと伝わっております。
もはや達人レベルを超えております。
元ネタは、多くの方がご存知かと思われますが「北斗二指真空把」ですね。自分に放たれた矢を人差し指と中指でキャッチして、そのまま敵に投げ返す――というこれまた達人技です、マンガだけど
◆もともと最澄と空海は不仲ではありません。
最澄は、空海に密教の教えを受けていたほとです。
それがなぜ険悪となってしまったのか。
そのキッカケとなったのが『理趣釈経』でした。
著者(訳者)は、唐に密教を持ち込んだ不空金剛(あるいは不空三蔵)で、経典を漢訳する高僧として知られていました。
その訳本ですから貴重なことがご理解いただけるでしょう。
空海は、勉強ばかりの最澄を戒めたともされますが、それが……。
◆泰範(たいはん)は、後に空海十大弟子の一人となります。
元々は奈良の元興寺で修行した後、最澄に師事しており、比叡山でも重要なポジションに置かれておりました。
それだけに怒りも大きかったようで。
最澄と空海はついに決裂してしまいます。
代わって浮上したのが大伴親王。
桓武天皇を父に持ち、嵯峨天皇の弟に当たる人物で一見頼りなさげでありますが、後に淳和天皇という、これまた平安史では地味な存在だったりします。
なんだかんだで20名以上が失脚することになった薬子の変。
歴史的意義としては「藤原式家」が没落していったということでしょうか。
藤原広嗣の乱(740年)から70年。
なにげに復活を遂げたかのように思われた同家でしたが、以降は藤原北家(藤原道長もココ)に圧倒されていくのでした。
※次週へ続く
【過去作品はコチラから→日本史ブギウギ】
著者:アニィたかはし
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)