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【日本史ブギウギ】承和の変、勃発&スグに鎮圧! なぜ橘逸勢は功を急いだか

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嵯峨天皇の勝利に終わった薬子の変
対立していた藤原式家の仲成と薬子兄妹は同年に命を亡くし、その後、式家はあまり歴史の表舞台には立てない、地味な存在としてひっそり生き残って参ります。

代わりに台頭してきたのが藤原北家でした。

藤原冬嗣が主役になって朝廷内での血縁作りに奔走。
当時はいつどこで菅原道真のような天才的官僚が現れるか不明瞭であり、反対派の他氏は、事前に排除せねばなりません。

いくら藤原氏とはいえ、何もせず安泰というワケではないのです。

これは後に後三条天皇が藤原氏との関わりをあまり持たず(血が入ってないワケじゃない)、藤原氏を排斥したことでも証明されちゃっているでしょう。
時代が進むにつれ、ますます複雑化する天皇即位の権力闘争。

日本史ブギウギ、第39話、スタート!

 

仁明天皇即位

◆810年、平城上皇と嵯峨天皇の争い(二所朝廷)の末に、薬子の変が起きました。

このとき勝利を収めた嵯峨天皇は強い権力を有するようになり、それでも次に即位したのは嵯峨天皇の息子・正良親王(後の仁明天皇)ではなく、弟の淳和天皇。

流れを見ると、ざっとこんな感じです。
第50代 桓武天皇(親)

第51代 平城天皇(第一皇子)

第52代 嵯峨天皇(第二皇子)

第53代 淳和天皇(第七皇子)
とまぁ、桓武天皇の息子3人が継いだワケです。

では、その次は? 天皇の息子だとしたら、淳和天皇の子……ではなく、嵯峨天皇の息子・仁明天皇でした。

ここから、にわかにキナ臭くなって参りまして。

 

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橘逸勢伝

◆淳和天皇の次は誰が即位するのか?

最もザワザワしていたのは臣下たち。特に淳和天皇派の橘逸勢と、嵯峨天皇&仁明天皇派の藤原良房でした。

藤原良房は冬嗣を父に持つ藤原北家の代表的存在で、当時、最も力を有していた藤原氏一族。

このままでは淳和派の先は暗い!というところで嵯峨上皇も平城上皇も崩御されてしまい、遂に橘逸勢が動きます。

と、これが失敗でした。阿保親王に計画を持ちかけたところ、親王は橘嘉智子に話をしてしまうのです。彼女は実は良房と……。

 

◆橘嘉智子は嵯峨天皇の妻。つまり仁明天皇の母親であり、その息子(彼女から見たら孫)の道康親王が天皇に即位するのはもちろん反対なワケがありません。

そして、それは藤原良房にも同様のことが言えました。

藤原冬嗣の娘(良房の妹)が仁明天皇に嫁いでおり、道康親王は甥っ子であるんですね。後に藤原道長が娘を入内させて権力を握りましたが、それ以前から同様の手口で藤原北家は着実に基盤を築いていたワケです。

うーん、清々しいほどの強引っぷり!

 

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承和の変決着

◆首謀者たちは挙兵のために東国へ向かおうとしたところ、呆気なく捕らえられてしまいました。

薬子の変でも、平城上皇たちが同じようなことをして捕まったばかりです(と言っても、その約30年前ですが)。

いくらなんでもこの逃亡劇は無謀……ということで、実はこの一連の事件、藤原良房の陰謀なのでは?という見方も根強く残っております。

なにせこの「承和の変」で最も得をしたのは彼なのです。道康親王もキッチリ文徳天皇として即位します。

「藤原北家のターン」、はじまりはじまり~!

【貴族の王者・藤原四家】
・藤原武智麻呂→藤原南家 ※藤原仲麻呂(恵美押勝)
・藤原房前→藤原北家 ※藤原冬嗣・藤原良房・藤原時平藤原道長
・藤原宇合→藤原式家 ※藤原百川・藤原種継・藤原薬子
・藤原麻呂→藤原京家 ※マイナー・藤原浜成

※次週へ続く

【過去作品はコチラから→日本史ブギウギ

著者:アニィたかはし




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武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)

 

 

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