伊達政宗の生涯が語られるとき、大きな転換点となったのが
【摺上原の戦い】
と
【小田原参陣】
でしょう。
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天正十七年(1589年)に摺上原で蘆名を滅ぼし、政宗の悲願であった会津を制覇したのですが、その翌年(1590年)、豊臣秀吉の軍門に下ることで多くを失ってしまいます。
しかも、この二大イベント、偶然にも旧暦6月5日に起こったことなのです。
日付自体は偶然ながら、この1年の間に一体なにがあったのか……マンガ「日本史ブギウギ」第177話スタート!
南へ
◆遡ること4年前の天正十三年(1585年)、伊達家は窮地に陥りました。
【人取橋の戦い】で佐竹・蘆名らの連合軍に大敗し、政宗も命からがら敗走する――そんな憂き目に遭っていたのです。
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次こそはと意気込む伊達軍は……。
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認めてねぇし
◆【摺上原の戦い】で見事に勝利!
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しかし、待っていたのは天下人寸前の秀吉でした。
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