四国軍を引き連れた仙石秀久が島津家久になぎ倒され、ついに全力で九州へ向かった豊臣軍。
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黒田官兵衛や弟・豊臣秀長を頼りに兵を進めさせながら、豊臣秀吉も彼の地へ乗り込んだ。
御自ら島津を倒すため――。
否。
彼の目には、織田信長も所望してやまなかったという茶器の名物が映っていたのであった。
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難攻不落の城
◆茶器大好きの信長が所望し、あと一歩で入手できたという「楢柴肩衝(ならしばかたつき)」。
あり得ない価格で元の持ち主から強奪&所持していた秋月種実は、信長の茶器好きもキッチリ継承した秀吉に狙われてしまいます。
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しかも益富城が燃やされ、翌日になって完全復活!
いったい何があったんじゃ???
秀吉軍は、九州上陸最初の城攻略で見せしめの意味合いも強く、兵の士気も恐ろしく高かったようで、秋月はすっかり意気消沈とあいなってしまうのでした。
一夜城演出
◆墨俣城に始まり、小田原攻めでも突然城を登場させたとして有名な秀吉の築城術ですが、今回の益富城にも一夜城のトリックが繰り出されておりました。
現在、墨俣城については、あくまで伝説であり、ただの作り話として認知されています。
※ただし『明智軍記』には別の一夜城の記載があったりします(江戸時代の小説ですが)
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むろん、だからと言って秀吉の名声が落ちるワケではなく、逆にその凄さを際立てているのかもしれません。
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