江戸時代のトラブルと言えば?
大名の跡継ぎ問題をめぐる【御家騒動】がド定番ですが、我々庶民にとって捨て置けないのが「一揆」でありましょう。
飢饉などで困窮した農民たちが、お上に年貢軽減を嘆願する――。
と、口で言うのは容易く、下手をすればどんでもないトラブルへ発展することもあり……今回、注目したいのが郡上一揆(郡上騒動)です!
「郡上」=「ぐじょう」と読み、美濃国(岐阜県郡上市八幡町)にて宝暦4年(1754年)に始まったこの騒動。
幕府も絡んで、最終的には「改易(御家取り潰し)」という最悪の結末を迎えています。
ときの藩主は金森頼錦(よりかね)。
織田信長とも縁が深い戦国武将・金森長近からの系譜です(ただし長近が迎えた養子の子孫)。
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信長→秀吉→家康と、乱世の極みを生き抜いた金森家はこのころ、郡上八幡城を中心に同エリアを治めていたのですが、
それがなぜ改易なんて結末に陥ってしまったのか?
マンガ『日本史ブギウギ』第197話スタート!
発端
◆検見法(検見取)は、
・田んぼ一画の収穫量を測り、全体に税をかける
という年貢の計算方法です。
※それまでは税額の決まった定免法(定免取)
理論上は収穫量が必ずしも増えるわけではありませんが、基本的に増税となることから為政者側は実行に移し、徳川吉宗【享保の改革】でも同様のことが行われています。
当然、百姓たちは反対するワケで……。
強訴
◆出ました、傘連判!
首謀者だけが厳罰をくだされぬよう、名前の席順が明示されないこの手法。
歴史の教科書でもお馴染みですね。
藩主
◆そもそも、藩主の金森頼錦(よりかね)は、なぜそこまで強行に増税しようとしたか?
藩の財政悪化に対応するためとか、江戸幕府内で出世をしていた頼錦が、さらなる飛躍を望み、出世にかかるコストを負担するためとか目されています。
ほんと、ろくでもない話ですが……。
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