戦国ブギウギ武田三代記

なぜ信虎は本拠地を躑躅ヶ崎館に移動したのか【マンガ武田三代記3】

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
戦国ブギウギ武田三代記vol.3
をクリックお願いします。

 

お好きな項目に飛べる目次

反旗

◆今井信元は鍬立式を始まる前にも、信虎の集権化を嫌って合戦していました。

信虎の治世はこの手の騒動の連続。

永正17年(1520年)5月、上記の通り、栗原信友・大井信達・今井信元が蜂起したため、

それをならしてから信玄に強制代替わりとなったのですね。

信虎の功績が無視できないのは、こうした流れがあるからだったりします。

例えば織田信長も家督を継いでから尾張統一まで14年間という相当な年数がかかっていました。

 

裏切り

◆この子・竹松は、戦国ファンでも知らない方が多いかもしれません。

大永3年(1523年)11月に7歳で亡くなってしまうため、特筆すべき功績や事件もなかったんですね。

もしも健康優良児だったら、また次元の違う内紛となっていたことでしょう。

 

決意

◆そして生まれたのが、あの武田信玄なのですが、大井夫人はそれだけでなく

武田信繁
武田信廉

という信玄の躍進には欠かせない二人の弟も産んでいます。実はこちらも凄い功績だったりしますよね。

※続きは【次のページへ】をclick!

次のページへ >



-戦国ブギウギ武田三代記

×