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それでも義時がマシに思える
『鎌倉殿の13人』を見ていて、回が進むにつれ、メンタルが疲れてきた――という方は少なくないでしょう。
信頼してきた人物が理不尽に斬られ、斬首されてしまう。
もう嫌だ……と考える方にこそ『軍師連盟』はオススメできます。
どれだけ北条義時とその周辺がドス黒くなっていこうと、司馬懿よりはマシだと思えるのです。
ネタバレも含みながら、その辺の要素をピックアップしてゆきましょう。
◆妻没後がマシだ
北条義時は不可抗力により、愛する妻を複数回失ってしまいます。
そうはいっても妻に辛く当たったりはません。
一方『軍師連盟』の司馬懿は愛妻家です。妻である張春華をこよなく愛しています。
張春華は、義時の妻よりも長寿ですが、そのぶん先立たれた司馬懿が加速度的に闇堕ちし、見るものの心をエグります。
義時はそこまで急激に落ち込むことはないでしょう。そのぶんは『鎌倉殿の13人』の方が安心できます。
◆息子がマシだ
司馬懿の息子として『軍師連盟』には司馬師、司馬昭、司馬倫が登場します。
このうち司馬師はそこまで悪くないものの、弟二人は史実に輪をかけて極悪非道の性格をしています。
あんな愛のある家庭で育って、なぜここまで腐りきっているのか?
最終盤、司馬懿の息子の下劣さを見ていると気分がどこまでも暗く沈んでゆきます。
それと比較すると、義時の嫡男は“堯舜”に喩えられた北条泰時です。
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泰時の聡明さと善良さが一筋の光となる――そう見出すためにも、司馬懿の息子のドス黒さを味わっていただきたい。
ドラマの後、まだマシな司馬師は、極悪弟よりも早く没してしまいます。どこまでも救いがありません。
◆政権簒奪の過程がまだマシ
三代目鎌倉殿・源実朝の暗殺は、義時にとっては予想外のトラブルでした。
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結果的に北条一族が執権として幕府を担うことになったものの、最初からそれを望んだわけではありません。
司馬懿は追い詰められてのこととはいえ、自発的に根回しして魏を食い潰します。
司馬懿と比較すれば、義時の裏切りはマシです。
◆頼りになる筆頭ヒロインが死なないからマシだ
義時は姉・政子と二人で難局を乗り切ります。
『軍師連盟』は、司馬懿は妻である張春華と二人三脚で困難に立ち向かいます。
前述の通り、この張春華は夫より先に亡くなり、そこから司馬懿は人としての心を捨ててゆきます。
義時は政子より早く亡くなります。
司馬懿ほどの転落はないでしょう。
『鎌倉殿の13人』を見て、
『こんな不愉快な歴史劇は誰が求めているのか?』
『なぜこうもしょうもない謀略を繰り返すのか?』
と悲しくなってしまったら、そんな時こそ『軍師連盟』です。
失敗を繰り返し、人は進歩する
鎌倉時代と同時代の宋は、忠義心の美しさが称揚されてきました。
南宋に準じた文天祥『正気歌』は日本でも敬愛されています。
なぜ、宋の人々はこれほどまでに高潔であったか?
様々な理由が考えられますが、その一つ挙げるとすれば、魏から晋への不快極まりない歴史を経て、それを阻止する仕組みを考え抜いた結果であるとも言えるでしょう。
トライアンドエラーを重ねて、人は進化します。
特定の国や民族だから高潔というものではありません。
別に鎌倉幕府がことさら邪悪ということもなく、坂東武者の経験値が不足していただけでしょう。時代がくだると、関東の水戸藩は、宋の忠臣が抱いていた忠義心に深い敬愛を寄せています。
文天祥の『正気歌』のような忠義心は、我が国にもあるはずだ――そう藤田東湖は日本版の『正気歌』を作詩したのです。
この詩は維新を担う志士たちに愛されました。
忠義の心は、さまざまな悲劇と失敗を経由し、どちらの国にも根付いたのです。
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人々は歴史を学び、痛感してきました。
「司馬懿の政権簒奪過程は本当にどうしようもない。忠義も何もないではないか!」
「それを言うなら北条義時もけしからん!」
そう怒り、眉をしかめ、批判してきた。
しかし、それだけでは足りないとも思えます。
彼らには、彼らなりに悪を為す理由があったのではないか?
悪に突き進み、止まれない理由もあったのではないか?
周りに問題はなかったのか?
彼らだって純度100の悪ではなく、美点もあったのではないか?
そうしたことも踏まえて初めて歴史は教訓となりましょう。
それが日本と中国の歴史作品で、しかも最近はVODですぐに視聴できるのですから、我々は幸せかもしれません。
ただし、鑑賞後の後味の悪さに疲れ果てること、人間不信が生じかねないことは、注意点としてあげておきます。
他ならぬ『軍師連盟』の製作者も疲弊したのでしょうか。
司馬懿を主役としながらどこか救いのある『三国志 Secret of Three Kingdoms』(→amazon)が、共通するキャストとスタッフで作られています。
疲弊しきったら、こちらを見ることもオススメです。
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相州簒奪つながりの両雄
最後に、ドラマだけではない歴史的な司馬懿と北条義時のつながりをみてゆきましょう。それは……
「相州の簒奪つながり」です。
どういうことか?
◆魏の首都圏が「相州」と呼ばれるようになった
洛陽や鄴(ぎょう)があった魏の本拠地は、南北朝時代から金代にかけて「相州」と称されました。現在の河南省安陽市近辺です。
◆相模国は「相州」と略される
そんなダジャレめいたつながりなんて話を作っていない?
そう疑念に思うとすればもっともなことです。
しかし、鎌倉を鄴と結びつける発想は実際にあったのです。
鎌倉公方である足利基氏が、天下の名宝「銅雀硯」を愛用していたとか。
この銅雀とは、曹操が鄴に築いた「銅雀台」を示します。
「鎌倉公方には、相州の英雄・曹操ゆかりの銅雀硯がふさわしい」
そういう発想があってもおかしくはありません。
戦乱で崩壊したものの、廃墟にはこの高層建築に用いられた瓦が残っていました。
これを「銅雀瓦」と呼び、実に硯に向いている。材質もよいうえに、歴史的な意義もある。
厳密に銅雀瓦は少なく、近い時代の瓦を代用した贋作も横行したとされますが、ともあれ「銅雀硯」は英雄ゆかりの名宝として垂涎の的となったのです。
それがめぐりめぐって鎌倉へ渡った。
なんでも徳川家康も愛用したとかで、ロマン溢れる伝説ですね。
※原題『銅雀台』
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このことを踏まえますと、ダジャレとはいえ、司馬懿と義時をこう呼んでもよいのです。
相州にて、主家簒奪を成し遂げた梟雄――。
まぁ、それで二人の名声があがるかどうかの判断はみなさまにお任せします。
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文:武者震之助
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
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【参考文献】
杉原たく哉『中国図像遊覧』(→amazon)
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