譲歩できることと要求したいことのバランスや、日頃の心象など、数値化できない駆け引きは判断に戸惑います。
日本人同士でもそうなのですから、いわんや昔の対外交渉をや。
万延元年(1860年)9月27日は、万延元年遣米使節がアメリカから帰国した日です。
「まんえんがんねんけんべいしせつ」とは、なんだか早口言葉のようですが、この使節団は極めて重要な仕事のために渡海しておりました。
いったい何のために米国へ渡っていたのでしょうか?
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批准書の交換はワシントンで
彼らの主な目的は3つありました。
まず一つは、日米修好通商条約の批准書を交換すること。
批准書の交換はワシントンで行うことになっていたため、日本からお使いを送る必要があったのです。
二つめは、欧米の軍艦について探りを入れること。
そして最後は、通貨の交換比率について、アメリカと交渉して日本の損を減らすことでした。
この辺は経済と数字が絡む話なのでややこしいのですけれども、簡単にまとめると
「通貨に対する認識が日本と西洋で異なっていたので、是正しようとした」
という感じです。
日本で通貨といえば金が基本。
江戸幕府はアメリカと通商を始めるにあたって、銀を使う場合でも金を基準として量を定めようとしていました。
しかし、アメリカは金だけを基準にするのではなく、金なら金同士、銀なら銀同士で交換すべきだと主張しており、日本での交渉中に結論が出ませんでした。
これを白黒はっきりさせるべく、使節団の小栗忠順に交渉が命じられたのです。
大河ドラマ『青天を衝け』で武田真治さんが演じたことで、一躍、注目を浴びたあの小栗。
主人公の渋沢より経済通では?とされる優秀な幕臣です。
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福沢諭吉が初のオシゴトします
表向きの目的は、あくまで批准書の交換と各種施設の見学でした。
現代の感覚でいえば遠路はるばる値切りにいくようなものですから、そりゃ相手も簡単には応じられませんですしね。
使節団には幕府のお偉いさんの他に幕末ビッグネームが二人随行します。
通訳としてジョン万次郎。
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そしてお偉いさんのお供として福沢諭吉。
余談ですが、福沢が公的な仕事を始めたのはこのときです。
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渡海のための船は、米国海軍のポーハタン号。
ペリーが来航したときの「黒船」の一隻です。
吉田松陰が密航しようとした船でもあり、幕末に来航した船の中では割とよく見かける名前ですね。
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また、護衛として日本の船・咸臨丸(かんりんまる)も同行することになりました。
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