ご年配の世代には「嘘八百」の代名詞にもなっている“大本営発表”という言葉。
同テーマを一冊にした関連書籍は数多く世に出まわっていますが、元新聞記者の目から見て「素晴らしい……」と嫉妬してしまうのが本書。
『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争 (幻冬舎新書)』(→amazon)です。
著者の辻田真佐憲氏は慶應義塾大学出身の近現代史研究家として2011年にデビュー。
あの東日本大震災のあった年ですね。
福島の原発事故によって安全神話が崩壊し、それに伴ってこんな疑念が国民の間に湧き上がりました。
メディアは電力会社からの膨大な広告費を受け取って「原発は安全」というイメージ操作の片棒を担いできたのではないか。
↓
それって大本営発表じゃないの?
実際、本書によると、2011年には「大本営発表に関する文献や記事が急増した」そうで。
国立国会図書館のウェブサイトでも
「戦後最多のヒット数が確認できる。そのなかで、報道機関は、経済産業省、原子力安全・保安院、東京電力などとと並んで『大本営発表』の発信源だと批判されている」(同書263ページ)
との事です。
そう、全編を通じて奏でられているのは、嘘をこきまくった陸海軍に追従した報道機関のだらしなさ。
「今でも通じるんじゃないの?」という危機意識は世間に共有されて欲しいと思います。
「大本営と記者会とは、とけあつて一体となり」
私が特に衝撃を受けたのは、当時の新聞関係者などの間で、大本営発表が
「朝刊」
「夕刊」
などと呼ばれていた箇所でした。
海軍報道部の富永謙吾少佐が、戦後の書籍で回想したエピソードを典拠としています。
新聞記者「今日は夕刊が出ますか」
報道部員「出してもいいが、締切に間に合いそうにないからやめよう。その代わり明日の朝刊は三本だよ」(64ページ)
次のページには読売新聞の藤本弘道(陸軍担当)が戦時中に出版した「戦ふ大本営陸軍部」の、こんな箇所が引用されています。
「報道を生命として働く大本営陸軍報道部と陸軍省記者会とは、とけあつて一体となり、主柱の一翼となつて、報道戦線を身をもつてかけまはつて努力しているのです」
こういうのって、ズブズブって言いますわな。癒着と言い換えてもええでしょう。
新聞社は、こうした黒歴史を封じたばかりではなく、戦後は「軍部の弾圧で仕方なく筆を曲げた」と弁解しているんですから、いやはや日本の新聞業界ってすごいですね(棒読み)。
ちなみに、当時の速報メディアに美味しいところを全部持っていかれてはかなわん、面子丸つぶれやがな、と新聞側から軍部に働きかけて止めさせていた事もあったそうです。
軍部と新聞は主従関係にあったのではなく、ムラ社会の関係にあったのですね。
読者である国民は、そんなところから情報を買っていた、と。
嘘つくだけでなく、だんまりも決め込んで
ワタクシメが再び衝撃を受けたのは、1942年6月のミッドウェーの敗戦以後の迷走ぶり。
この負けを機に、発表回数がガクンと落ちたのです。
1941年12月(つまり真珠湾奇襲のあった月)は月間90回も発表していたのが、1942年には
6月9回
7月7回
8月2回
と目に見えて減っていきます。
ヤバくなると黙り込む人を見かけますが、組織でも同様ですね。
さらには同年10月のサボ島沖海戦(日本側が重巡洋艦1隻 、駆逐艦1隻沈没 重巡洋艦1隻大破 重巡洋艦1隻小破 他に退却支援中に駆逐艦2隻沈没=以上、ウィキペディア日本語版を参照)は、そもそも報じられなかったと、同書では指摘しています。
嘘をつくだけでなく、だんまりを決め込むなんて酷い……。
翌年のガダルカナル島での敗退による撤退を「転進」と言い換えます。
そして「玉砕」という言葉…。
こういう言い換えが横行・跋扈していく経緯が本書には詳しく書かれており、読んでのお楽しみ(というより悲しみですね)として下さい。
巻末の、大本営発表の戦果と実際の戦果の比較表は、特に出色です。
文字が小さい表を見やったワタクシメは、気がついたら目から涙が出ておりました。
老眼のせいだけでないのが悲しい。
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南如水・記
【参考】
辻田真佐憲『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争 (幻冬舎新書)』(→amazon)