つつじ(辻殿)

絵・小久ヒロ

源平・鎌倉・室町

頼家の正室で公暁の母「辻殿」はどんな女性だった? 祖父は伝説の武人・源為朝

2025/08/13

源頼朝の跡継ぎと言えば源頼家。

ご存知、鎌倉幕府の二代目将軍であり、1204年8月14日(元久元年7月18日)はその命日です。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、いささか出来の悪い人物として描かれましたが、まぁ、無理もない話かもしれません。

史実では頼朝の死後、鎌倉は御家人たちの権力闘争が始まり、とても経験未熟な若者に処理できるような事態ではありませんでした。

ある意味、頼家は犠牲者であり、そのことは頼家の妻選びにも顕れているかもしれません。

今回、注目したいのは、その一人・辻殿(鎌倉殿の13人ではつつじ)。

頼家の正室か?とされる女性であり、また公暁の母でもありました。

公暁(月岡芳年『美談武者八景_鶴岡の幕雪/wikipediaより引用

公暁といえば、これまた何かと胸がザワザワする人物ですが、その母であるつつじ(辻殿)とは一体どんな女性だったのか?

生涯を振り返ってみましょう。

 


源頼家の正室は誰なのか?

史実における源頼家の正室は一体誰なのか?

辻殿(つつじ)か、若狭局(せつ)か――実は確定できません。

将軍職にある者の正室が不明というのも妙な感じがするかもしれませんが、他ならぬ頼家とその妻子が誅殺されたという事情に加え、さらには彼女たちの生まれ(背後にある力関係)も影響しています。

辻殿(つつじ)が源氏の血を引き、若狭局(せつ)が比企一族の出身。

『鎌倉殿の13人』では、そうした血縁関係に着目しながら、頼家の女性関係をすべて浮かび上がらせるのではなく、辻殿(つつじ)と若狭局(せつ)に絞っていると考えられます。

本作では、頼朝や義経もそうでした。

史実では割と著名な側室も登場しないまま話が進められています。

葛飾北斎が肉筆画で描いた白拍子の静御前/wikipediaより引用

彼女らを割愛しても、物語の大筋に変わりはないと判断されたのでしょう。

では、辻殿(つつじ)の出自に注目です。

 


源氏に忠義を尽くした賀茂重長の娘

辻殿(つつじ)の父は、清和源氏の血を引く賀茂重長。

賀茂一族の武士たちは【保元の乱】と【平治の乱】で頼朝の父・源義朝に忠誠を誓い、数々の戦果をあげました。

源義朝/国立国会図書館蔵

治承5年(1181年)、この重長は【墨俣川の戦い】に源氏方で参陣し、討死しています。

『鎌倉殿の13人』では義円の戦死場面も描かれた戦いであり、重長はまさしく源氏に忠義を尽くした武士でした。

そんな重長を父とする辻殿(つつじ)の生年は不明。

父が討死する一歩手前、治承5年(1181年)の前には生まれていたと考えられ、寿永元年(1182年)生まれの頼家より年上ですね。

この父の血だけでも、辻殿(つつじ)はかなり重要な人物といえます。

しかし、彼女の母はもっと凄まじい血筋の女性でした。

 

強弓伝説を持つ源為朝の外孫

辻殿(つつじ)の母は、伝説的な武人の娘。

その名も源為朝(ためとも)です。

明治時代の『啓蒙挿画日本外史』に描かれた源為朝/wikipediaより引用

頼朝にとっては叔父にあたり、戦場では他に並ぶないほどの強弓で知られていました。

ただし、【保元の乱】において父・源為義とともに崇徳上皇方について敗れてしまうと、伊豆大島へ流刑。

その伊豆大島で国司に従わぬため討伐されたとされています。

『鎌倉殿の13人』では序盤に相模の武士・大庭景親が登場しましたが、彼には兄である大庭景義(景能とも)がいて、戦場で対峙した為朝の強弓を「あれこそ無双である」と語っていた記録があります。

平家方について処刑された弟の景親とは異なり、大庭景義は古参の鎌倉御家人。

【曽我事件】に関与し、岡崎義実と同時期に出家したとされる人物です。

弓術を重視する坂東武者にとって、源為朝の名は伝説の勇者として鳴り響いていたことでしょう。

つつじ(辻殿)は、そんな武人の孫なわけです。

坂東武士の御家人一族より、由緒ある家柄の娘――両親ともに源氏の血を引くつつじ(辻殿)を、頼家の正室にしようと頼朝が考えても不思議はありません。

源氏の血こそ鎌倉殿に相応しい。そんな正当性を示すうえで、彼女は重要な選択と言えました。

かつては源頼朝、近年では足利直義では?とされる神護寺三像の一つ(肖像画)/wikipediaより引用

 


源氏の血を引く娘を頼家の妻に

『鎌倉殿の13人』では第23回において、建久4年(1193年)富士の巻狩りが描かれました。

【曽我事件】と重なったこの行事、頼家が二代目鎌倉殿となることを示すものとされ、ドラマではこの回から金子大地さんが演じています。

源頼家/wikipediaより引用

そして第24回放送では、父の頼朝、母の政子と共に京都へ上洛した姿が描かれ、建久5年(1194年)13歳での場面では元服した姿となっています。

史実における頼家の元服はいつなのか?

実はこのことも確定していませんが、ともかくこのときの上洛で、頼朝は京都の朝廷に近づくため、様々な工作をしていました。

姉・大姫の入内を画策し、さらには自らの後継者が頼家であることを都で披露したと考えられます。

大姫(源頼朝と北条政子の娘)/wikipediaより引用

ところが、です。

建久8年(1197年)7月に大姫が亡くなり、さらには後鳥羽天皇の譲位により数多の工作も頓挫。

頼朝にとっては逆風が吹く建久9年(1198年)、今度は一転、慶事が訪れます。

頼家最初の子、頼朝には初孫となる一幡が生まれたのです。

母は比企能員の娘・若狭局(せつ)。

頼家まだ17歳であり、逆算すると16歳の時にはせつ(若狭局)を側に置いていたことになります。

二人が結ばれた経緯は不明ながら、この一幡誕生の翌建久10年(正治元年・1199年)1月、頼朝が急死しています。

この時期には、辻殿(つつじ)も頼家の妻とされていたと考えられます。

そして翌正治2年(1200年)、辻殿(つつじ)は源頼家の第2子となる善哉(後の公暁)を産みました。

 

頼家の横死と混乱

公暁といえば、後の三代将軍・源実朝を暗殺した者としてよく知られています。

公暁

実朝たちに斬りかかる公暁/国立国会図書館蔵

そのイメージが強いかもしれませんが、生まれた当時は、頼朝の遺志による結婚で生まれた源氏の血を引く子といえました。

そして、この善哉が生まれた歳、おそるべき事件が起きます。

二代目の鎌倉殿となった頼家のもとで【十三人の合議制】が発足して、まだ1年も経っていない正治2年(1200年)2月、梶原景時が一族と共に滅ぼされてしまったのです。

『本朝百将伝』梶原景時/国立国会図書館蔵

頼朝による数多の粛清が終わったかと思えば、その死後は有力御家人たちによって熾烈なパワーゲームが始まる。

梶原一族の滅亡で、ますます存在感を増してゆく比企一族。

彼らには二代目将軍・頼家の寵愛を受ける若狭局(せつ)と、長男・一幡がいました。

頼朝の遺志で結婚した辻殿(つつじ)より、若狭局(せつ)が重視されてもおかしくはありません。

そんな比企にとって最大のライバルは北条一族。

彼らを追い落とす動きが勃発します。

梶原景時を讒言し、滅亡に追い詰めたとされたのが、北条政子の妹である実衣(阿波局)なのですが、その実衣(阿波局)の夫である阿野全成が建仁3年((1203年)、謀反を企てたとして誅殺されるのです。

阿野全成/wikipediaより引用

このとき実衣(阿波局)も捕われそうになりながら、姉の政子に守られました。

北条としては大ピンチ。力を落としてもおかしくない状況です。

そんな状況の最中、源頼家が病に倒れてしまい、次の鎌倉殿に向け、またも陰謀が蠢きます。

三代将軍となるのは、頼家の弟・千幡か、あるいは頼家の長子である一幡か――。

千幡の乳母は北条政子の妹である実衣(阿波局)夫妻で、一幡は比企一族の若狭局(せつ)が母です。

一見、比企一族が有利に見える場面ですが……。

先に動いたのが北条時政でした。

北条時政/wikipediaより引用

時政の命令により、比企能員が謀殺され、比企一族は、一幡を抱えて屋敷である小御所に立て篭もり、北条義時に攻められます。

義時の妻は比企一族出身の比奈(姫の前)です。

しかし、そんな姻戚関係などなかったように比企の邸に火が付けられ、燃え盛る炎の中、一族は滅びたのでした。

 

助命され 出家した母と子

若狭局(せつ)と一幡はこのとき焼死したとされます。

そして建仁4年(元久元年・1204年)7月――父である源頼家は、幽閉されていた伊豆修善寺で惨たらしく暗殺されてしまいました。

三代目の鎌倉殿には、千幡から元服した源実朝が就任。

源実朝/Wikipediaより引用

頼家の遺児で辻殿(つつじ)を母とする善哉は邪魔者になりそうなところですが、誅殺まではされません。

出家を条件に助命されたのです。

結果、承元4年(1210年)、辻殿(つつじ)は出家を果たし、その翌建暦元年(1211年)、善哉も出家して公暁となりました。

現在辿ることができる、辻殿(つつじ)の生涯はここまで。

その先は公暁の物語となります。

 

公暁の凶行

建保7年(1219年)1月27日――公暁は叔父にあたる源実朝を暗殺しました。

なぜそんな凶行に走ったのか?

実朝は子が生まれず、四代目の鎌倉殿候補が不在という異常事態が続いていました。

実朝には、後鳥羽院の子を迎えて鎌倉殿にする構想があったとされます。

源氏の血を引く公暁にとって、このことはどう映ったか。

母であるつつじ(辻殿)は、我が子の陰鬱な殺意を嗜めたのか。それとも煽ったのか。

黙っているしかなかったのか。知らなかったのか。

いずれにせよ辻殿(つつじ)は重要な人物であるにも関わらず、ふっと歴史の中に消えてしまったかのように思える。

妙な存在だったりします。


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【参考文献】
坂井孝一『源氏将軍断絶: なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』(→amazon
野口実『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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