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コート姿の隠密・四乃森蒼紫のモデルは?
コート姿の公儀隠密・四乃森蒼紫――。
忍ばない忍者ですね。
指摘するのも野暮ではありますが『月華の剣士』の嘉神慎之介がよく似たデザインをしています。
コート姿のモデルは、やはりあの方でしょう。
幕末となれば、多くの人物が洋装軍服に切り替えたものですが、コートを着て肖像写真を残した人物となると、実はそこまで多くはない。
土方歳三です。
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彼の肖像写真は、美男であるがために当時から人気でした。
・インスタ映えを求められたトシさん
土方の肖像写真は、複数残されております。
修正があるものも出回っているのは、お土産物として販売するため、ちょっと無理のある加工をされたんですね。
幕末の人物写真は土産物としても人気がありました。中には生首写真まで……。
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・圧倒的に映えるトシさん
修正がなくともイケメン。
ともかくトシさんは美形で、当時から周囲は彼をうっとりと眺めていたものでした。
そういうかっこいいトシさん像は膨れ上がってゆきます。
戦前は美形悪役だったのが、戦後となると思う存分楽しめるわけです。そんなカッコいい幕末の人物像として、土方歳三は描かれてゆきます。
【脱亜入欧】ヒーロー像
太平洋戦争で敗北し、自信を喪失した日本。
そんな彼らを励ましたのは、司馬遼太郎の作品でした。
◆【第94回】明治150年にあたり、「司馬史観」を検証する(→link)
【司馬史観】――そう呼ばれる歴史観は、現在、様々な議論が噴出しています。長くなるので、ここは土方歳三における問題点について、ざっとまとめますと……。
司馬遼太郎の土方賛美コラムを見ていると、疑念を感じることがあります。
『燃えよ剣』以来、無能な近藤と有能でクールな土方像は定着しました。
これはどういうことなのか、エッセイに書き残しています。
近藤勇が何もしないで、土方歳三に指揮系統を任せている。まるでヨーロッパの近代軍のようだ――そんな価値観が根底にあるわけです。
なまじ大作家の提言だけに反論しにくく、結果、「土方だけが軍事を知っている」という評価もされたりするのですが、これがなかなか危うい。
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その理由をピックアップしてみますと……。
・近代ヨーロッパのイメージが曖昧
そもそも「近代ヨーロッパの軍事制度」とは大雑把すぎる。
当然ながら国と時代によって異なります。
フランスの場合、王政と革命政府、ナポレオン時代では違います。陸軍と海軍も異なるので、「ヨーロッパ近代軍の制度」と言われても大雑把すぎてよくわからないのです。
海外のフィクションで「東洋の神秘を取り入れている。そう、それはまるで日本少林寺のテコンドー」と出てきたら、困惑しかないでしょう?
要するに、そういうレベルの話ということです。
ちなみに、明治期の日本陸軍はフランス式からプロイセン式に切り替え。海軍はイギリス式と、なかなか複雑な状態になっております。
・【脱亜入欧】信奉がある
昭和の日本人は、明治以来の【脱亜入欧】を捨てきれません。
戦争という軍事面では失敗したけれど、技術や経済でそれを成し遂げるという目標がありました。
ゆえに、司馬遼太郎の小説で「西洋人が日本人を褒める描写」が出てくると、それだけで嬉しくなってしまうのです。
前述の「関ヶ原の布陣図を見たメッケルが、石田三成の勝利だと断定した」なんかも典型例でしょう。
戦国時代の英雄ですと、織田信長がこの格好のロールモデルとなりますね。
フィクションでは、月代を剃らず、西洋甲冑にマントを身につけた信長像が大人気。世の中には「自称・現代の織田信長」も多いものです。
そういう信長像は、日本史の史料ベースというよりも、むしろ司馬解釈による信長像ですね。
司馬の解釈ですと、赤マントでワインを飲んでいるのが信長像の定番であり、その一方、実際に西洋甲冑を着ていた徳川家康は保守的とされる。
要するに【脱亜入欧】なのです。
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西洋が優れていて、東洋はそうでもない。日本史上でも司馬が気に入った人物は、西洋の考え方を取り入れている。そういう誘導をしたい思惑はどうしたって感じます。
土方歳三がコートを着た期間は、その短い人生においてもごく短期間です。
史実を振り返ってみても、近藤は土方の言いなりでもなく、彼自信の確固たる意志と教養を駆使して、政治的な動きをしていたことがわかります。
土方にリーダーシップや指揮官としての能力があったことは確かでしょう。ただ、それが西洋の軍事制度における副官のようなものであったかどうかまでは不明。
話を司馬版土方から、蒼紫へ戻しますと……。
蒼紫は、なまじ公儀隠密なので【脱亜入欧】が迷走気味には思えてきます。
ヨーロッパ風の衣装でありながら、幕府の権威を守るために戦うところは、土方歳三のようではある。
とはいえ、ややこしい話をしますと、幕府だってフランス式軍制の導入はしており、そういう意味では進歩的です。
土方だけがそうしていたわけでもなく……そもそも元ネタである司馬版土方の時点で史実とのズレがあり、それが四乃森蒼紫でさらに歪んでいくので、もはやどうにもまとまりません。
「いいじゃんカッコよければ!」
そうですね。グルグルと回って最も単純な結論で良いんですよね。
ちなみに幕末時期は、公儀隠密の活躍があまりなかったとみなす方が適切ですね。時代が時代だけに。
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