悲鳴嶼行冥(鬼滅の刃・岩柱)

『鬼滅の刃』15巻/amazonより引用

この歴史漫画が熱い!

鬼滅の刃 悲鳴嶼行冥の葛藤 古典的ヒーロー像を踏襲したキャラだった

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御仏の慈悲ありながら戦う葛藤

僧形の戦士は、胸のうちに抱えた葛藤がポイントになります。

武装した僧兵のように迷いが吹っ切れていると、フィクションではむしろ魅力がないのか、あまり活躍の場がありません。

歴史的にも現実社会にも、悪徳坊主は存在するものですが、当然ながらその手の人物は主人公サイドにはふさわしくありません。

では正義の仏僧の葛藤とは?

お察しの通り、僧侶であるが故の悲しさです。

御仏の慈悲を唱えながら、殺傷するとは何事か――。

本人にしても悩みであり、どう克服していくのか。そこが見どころとなります。

戦いに際して一直線で悩まない! そんな伊之助のような猪突猛進タイプとは一味ちがうわけです。

行冥も、慈悲と無慈悲の間での混沌とした人物像が窺えます。

柱合会議では、炭治郎にこんな反応を見せておりました。

「なんとみすぼらしい子供、生まれてきたこと自体が可哀想だから殺してやろう」

「鬼に取り憑かれているのだ、早く殺して解き放ってあげよう」

異常性のあらわれのようで、実はそうとも言い切れません。

人に過ぎぬ自分には手に負えないから、死後、御仏の慈悲に縋っていただこう――そんな仏僧としての解決策であるといえます。

歴史を見れば、仏教徒が一揆を起こした例はたくさんありました。

殺して仏に救ってもらえ、仏敵ならば仕方ない。そんな嫌な問題解決思想がそこにはあったのです。

行冥は異常でもなんでもなく、そんな思考ルーティーンを使っているだけとも言えます。

とはいえ、少年漫画でそれはよろしくありません。

 

寺から鬼殺隊へ

行冥は、身寄りのない子どもたちを寺に預けて面倒を見ていました。

宗教施設は【アジール(聖域)】として機能します。

DVや虐待から逃れるための縁切寺(駆け込み寺)が有名ですし、一旦ここに逃げ込まれたら法律ではなく、別の手段で裁かねばならない役割がありました。

寺に逃げ込んだ者は、とりあえず保護しなければならないシステムです。

そこを見込んで、我が子を捨てていく者もいる。

明治以降、日本では人口が飛躍的に増大しました。

江戸時代までは一生独身でも仕方なかった二男以下も結婚し、“産めよ殖やせよ”と出産を奨励されたのです。

しかし、そんな調子では貧しい家庭で子供を育てることはできない。ゆえに、持て余した子を寺に捨てる人もいた。

『鬼滅の刃』できょうだいの多い人物がたくさん登場しますが、その背景には時代の影響があったのです。

慈愛と善意の人物だった行冥は、鬼の襲撃によって運命が暗転。言いつけを守れなかった子の一人が、他の子を鬼に食わせると売りわたしたため、寺を襲われてしまいました。

4人の子が即座に倒れ、行冥は防戦しようとします。

それでも子どもたちは統制が取れない。

全力で己の拳で鬼を倒し、沙代という少女を守り抜いたものの、幼い沙代は「あの人は化け物」「みんなあの人が みんな殺した」と証言してしまう。

行冥はそのせいで犯罪者とされてしまいました。

そんな行冥を救ったのは、非合法組織である鬼殺隊でした。

フィクションにおいて非合法組織は定番ですが、鬼殺隊は官憲から見つかれば即座に廃刀令で追跡されるリアリティがあります。

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「日輪刀は常人から見えない」といった設定でもないため、逮捕リスクを負いながら戦っていたのです。

魯智深が登場する『水滸伝』では、英雄好漢が集う場所【梁山泊】があります。

梁山泊には、お尋ね者となったアウトローたちが集合。義侠精神があるにも関わらず、諸般の事情でお尋ね者になった人々を保護する場所として、機能していました。

鬼滅隊は、鬼の襲撃により居場所をなくした者たちを救う役割があります。法や家族の力だけでは救えない者たちを助ける、彼らの場所。

小さな寺にいた行冥の経緯を見ていくと、人を救う場所としての役割にも着目したくなります。

【アジール】としての寺にすら居られなくなり、非合法組織である鬼退治の【梁山泊】に向かう行冥。彼はそこで人を救うのみならず、閉ざされた心をも癒されました。

人を守り、救うからこそ、自分自身も救われる。

御仏の慈悲のみではなく、人間の持つ心にも救われてゆきます。鬼との戦いが、いかに熾烈で残酷であろうと、彼は己自身をも救っているのです。

かつては当たり前のように通じていた【梁山泊】という概念も、『水滸伝』の知名度低下とともに認識されにくくなっています。

そういう言葉と概念を思い起こさせ、かつ読者を古典の世界に導く――そんな物語としても『鬼滅の刃』は機能していると思えてきます。

いささか大げさかもしれませんが【古典と現代を繋ぐ作品】と申しましょうか。

『鬼滅の刃』をより深く楽しむため、少年漫画のみならず、是非とも古典文学や歴史が広まって欲しいとも願ってしまいます。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考】
『鬼滅の刃』15巻(→amazon
『鬼滅の刃』アニメ(→amazonプライム・ビデオ

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