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【玉壺】
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民衆も日常に美を見出した近世
上弦にまで上り詰める鬼であっても、実は戦国時代以前から生きていた者は例外的です。
ほとんどが江戸時代中期以降に人間時代を送ってきたと推察できる。
陸ほど詳細に語られないものの、玉壺もそう。
近世以降に人間社会が形成されてゆく中、その枠からはみ出す者たちを鬼舞辻無惨は掬い上げていたのでしょう。
玉壺の場合、漁師でありながら一応芸術的なセンスを持ち合わせているところに、近世の感覚を見出だせます。
もちろんそれ以前にも、芸術的な感性を持つ人物はいたはずですが、その才能を発揮できたかどうかは別。
特に食うや食わずやの戦乱期ともなれば、芸術にカネと暇を費やすのは難しい。
玉壺は、作り上げた壺がそれなりに販売できたという実績がある。
壺と死体を組み合わせるクセさえなければ、そこそこセンスがいいものを作っていた。
と、ここでふと考えたいことがあります。
玉壺が芸術魂を賭ける壺――ともすれば日常の食器として埋もれていく器に対し、日本人はいつから美を見出してきたのか?
答えは難しいようで、誰でも出せるかもしれません。というのも……。
壺への美意識
壺と美意識の始まり――それは縄文土器からでしょう。
原始的ながら、あの特徴的な造形美は見る者に強い印象を与えます。
その後に広まったとされる弥生式土器は一転してシンプルな美が描かれていた。
しかし、平安時代になり、大陸や朝鮮半島との交流が活発になると、今度は輸入品に影響を受け始めます。
なんとしてもあの器に追いつけ追い越せ――そんな努力を重ね、国産の陶器も進歩を重ねてゆきますが、上流階級はやはり舶来もの、つまりは輸入品を好みました。
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、日本人の陶磁器への美意識が垣間見えたものです。
ドラマでも印象的であった北条時政の屋敷跡からは、今も、唐物、つまりは中国産の「宋磁(そうじ)」が発掘されます。
オシャレで誰かに差をつけたい人々は、そうしたものを持ちたがったんですね。
『鎌倉殿の13人』では、主人公の妻である“のえ(伊賀の方)”が宋磁の壺を持つ一方、義時たちは国産の素朴な壺を用いていました。
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室町時代の後期になると、茶の湯が盛んになります。
千利休はじめとする茶人は自分たちの美意識を反映した国産陶器に目をつけました。
茶の湯で磨かれた美的センスと、高まる技術を反映させた陶磁器の時代――これには経済も関係しています。
「あの千利休もおすすめ! この器でお茶を楽しみませんか?」
そんな売り込みで茶器に高値がつくようになり、近世に向かうビジネスチャンスが拡大しました。
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陶器の技術については、まだ明や朝鮮半島に及ばない時代。この出兵により日本へ連れ去られた陶工たちが、新たな技術をもたらします。
李参平、沈壽官等が有名ですね。
有田焼に大きく貢献した女性陶工・百婆仙は記念像も建立されました。彼女の生涯は『火の女神・ジョンイ』としてドラマ化されました。
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