もしもそんな風に言われたらどう思われます?
ネチネチしてるって意味なのか。
それとも陰険だと言いたいの?
執念深いってのもあるし。
なんだか「気持ち悪い!」とも言われているようだ……。
普通は、そんなマイナスイメージに腹が立ってしまいますよね。
実際、過去の物語に登場する「蛇」は忌まわしき存在だったこともあり、『鬼滅の刃』における蛇の柱・伊黒小芭内(いぐろおばない)についても、パッと見はネガティブイメージを与えそうな造形になっています。
しかし……。
蛇は単に負の存在とも言い切れません。
過去の物語において、忌み嫌われて終わるどころか、ある時期を境に「純愛」のシンボルへと姿を変えていった歴史があるのです。
蛇が純愛とは一体どういうことなのか?
9月15日は伊黒小芭内の誕生日――彼を考察しながら「蛇と純愛」の推移を見て参りましょう。
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蛇の邪淫
蛇は邪で淫らである――そんな伝統的なイメージもあります。
東洋伝統のもので、ちょっと長くなりますが重要なのでおつきあいください。
人ではない何かが人間の世界にやってきて、おそろしく、興味深いことが起こる。そんな話は古代から伝えられてきました。
中国の唐代ともなるとかなり発展し、小説として流通するようになり日本にも伝わります。
人間が虎になる説話を元にした中島敦『山月記』が有名で、教科書にも採用されました。
日本でも、こうした世界観が共有されていたのです。
そんな話に定番の題材がありました。
幽霊、狐、そして蛇。人間でない何かが、美女の姿で誘惑してくる――。
【異類婚姻譚】という類型です。
はじめのうちは、いかに魅惑的な美女であろうと、妖しいものに誘惑されてはならないという教訓ですね。
狐の場合は、安倍晴明の伝説のようにプラスイメージもありますが、ともかく蛇は圧倒的によろしくない。
淫らで、しつこくて、恨みがましくて、叶わないくらいならば殺しにやってくる。そんなストーカーめいた姿が、恋する蛇にはありました。
有名なものが道成寺に伝わる「安珍・清姫伝説」です。
美貌の僧侶を慕うあまり、梵鐘ごと相手を焼き殺す。そんな女の情念はおそろしく、おぞましい。蛇のような女に心を乱されてはならない。
そう戒める意味合いもあるのでしょう。
◆『安珍と清姫の物語』道成寺の物語(→link)
※「娘道成寺」は、この物語を題材としています
伊黒一族は、まさしく淫らで危険な蛇女たちでした。
一族の女たちは子を産み、鬼に捧げ続けます。男を誘惑し、子を作るように仕向け、金品を奪いながら生き続けてきたのです。
子を作るための男たちと、一族の女の間に純愛はない。彼女たちは、利益を得るためだけに魅了してきました。
淫らで危険な蛇女たちは、伝統的な造形です。
そんな邪悪極まりない蛇も、ある要素さえあれば変貌します。
それが純愛です。
舞踏の題材となり、実らぬ定めの悲しい恋としてみれば、実に心を動かされる。
果たして蛇の化身とは、悪いだけの存在なのか?
そんな思いが、蛇の物語を変えてゆくのです。
蛇の純愛
蛇のような女は、邪で淫らである――。
そう警鐘を鳴らす意味合いもあった説話は、時代が下るにつれ、変貌してゆきます。
蛇とはいえ、あの女はあんなにも恋している。邪悪どころか、あの純粋な愛は本物ではないだろうか?
蛇だろうと、人でなかろうと、あんな純愛を悪いものと決めつけてよいものだろうか?
蛇の愛を応援しようではないか!
時代が下ると、作家は危険性よりも純愛に着目し、魅力的な蛇を描くようになってゆきます。
唐代伝奇では男を誘惑した挙句、溶かして殺してしまう蛇の精も、時代がくだると、
「白娘子(はくじょうし)」
「白娘々(パイニャンニャン)」
など“白のお嬢さん”と親しみをこめて呼ばれるようになります。
話の見どころも、調伏しようとしてくる法海和尚との戦い、そして引き裂かれる純愛へ。
中国において白娘子は、代表的なヒロインになりました。
すっかり愛される存在となった蛇の精は、伝統的な京劇の花形となり、今でもドラマ、映画、アニメで蘇り続けます。
日本にも、白娘子は伝わります。
その代表例が『雨月物語』「蛇性の婬(いん)」です。
17世紀に成立した『警世通言』「白娘子永鎮雷峰塔」を元に、道成寺の伝説を加えた中篇であり、炭治郎たちが生きた時代(1921年・大正10年)には、サイレント長篇劇映画として公開されています。
原典である蛇の美女・白娘子は、日本のエンタメ史においても姿を見せました。
1956年(昭和31年)には、日本の東宝と香港のショウ・ブラザーズ共同制作映画『白夫人の妖恋』が、そして2年後の1958年(昭和33年)には日本初となるカラー長編漫画映画(アニメーション映画)として、『白蛇伝』が公開されたのです。
このアニメ映画は宮崎駿の心をつかみ、日本アニメの歴史に残る作品となりました。
2020年公開劇場版『鬼滅の刃』は歴史に残る快挙を成し遂げましたが、その大先輩にあたる作品が『白蛇伝』ということになるわけですね。
こうした映画の大筋は原典通りですが、日本版には特徴があります。
中国では、法海和尚によって、雷峰塔の下に白娘子は封じられてしまいます。その塔が倒れるまで、白娘子はふたたび姿を見せることはないのです。
ちなみに雷峰塔は1924年に倒壊後、2002年に改築版が完成しています。
魯迅はこのことを嘆きました。法海の余計なお世話を止めて、どうかこの蛇の恋を実らせることはできなかったのか?
その嘆きが日本映画では解消されます。
日本の映画版では、雷峰塔は出てきません。経緯は異なるものの白娘子は封じられることなく、愛する許仙と結ばれるのです。
淫乱な蛇には気をつけろ!
そんな戒めから始まった蛇の恋は、ハッピーエンドを迎え、日本の映画とアニメの歴史にも残るものとなったのです。
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