日本中世史のトップランナー(兼AKB48研究者?)として知られる本郷和人・東大史料編纂所教授が、当人より歴史に詳しい(?)という歴女のツッコミ姫との掛け合いで繰り広げる歴史キュレーション(まとめ)。
今週のテーマは「遺言書に認められなかった「花押」について戦国時代を振り返る」です!
【登場人物】
本郷和人 歴史好きなAKB48評論家(らしい)
イラスト・富永商太
ツッコミ姫 大学教授なみの歴史知識を持つ歴女。中の人は中世史研究者との噂も
イラスト・くらたにゆきこ
◆「花押は押印ではない」遺言書無効 最高裁が初の判断 朝日新聞 6月3日
本郷「うわあ、これは難しい判決を出したねえ」
姫「今でも政治家って、花押を使っているのよね。歴代総理の花押はこんな感じね(首相官邸HPより)。
それから、なぜ花押がいるのか? って話だけれど、これが実際使い道があるの。日本国政府の閣議における閣僚署名は、明治以降、現在でも、花押で行うことが慣習となっているのよ。実例はこんなのでいいかな
本郷「うん。今ではだいぶ崩れてしまってきたけれど、少し前までの自民党には、当選回数にのっとった明らかな昇進コースというのがあってさ。当選何回くらいで、こういう役をやって、それを大過なくこなせると、次にさらに重い役が回ってくる。当選6回ぐらいになるとそろそろ大臣ポストが見えてきて、そうすると閣議に参加することになるので、議員さんは花押を作りはじめる。花押を作る=大臣への就任を視野に入れる、ということなので、おおー、あなたもそろそろ花押を持ちますかー、なんてセリフがすごく生臭いものになるわけだ」
姫「それで、だいたい花押なんて自分では作らないわけでしょう。なんだか得体の知れない『先生』と呼ばれるような人たちが、『この線はあなたの決断運の成長を促すものだ』なんていい加減な講釈を垂れながら、一つ何百万円もお金を取って作るんだ、って話を聞いたことがあるわよ」
本郷「孤独なトップが占いにはまるとか、祈祷師さんに頼るとか。そういう話はまあ、あるわけだよね。そこらへんは半分は宗教的な感覚かもしれないので、何ともいえない」
姫「だけど花押って、そうやってご大層に作って、日本の国の進路を決める最高の議決を示す書類に用いられてるわけでしょ。そこでは判子なんて使われてないわけじゃない。こういう慣例を見て見ぬ振りして、花押は押印ではない、っていう判決を出すのって、裁判所は社会を知らないっていわれても仕方ないんじゃないの?」
本郷「うん。それも一理あるなあ。ただね、ぼくは原点に返ってみたい。この案件では、遺言書に自筆と花押が据えてある。ところが民法968条は、『本人自筆の遺言書には、自筆の署名と押印の両方が必要だ』と規定しているわけでしょう。この大原則に基づいてみたときに、花押を押印の一種と見なすかどうか、で判断が分かれるわけだけれど、花押は明らかに押印とは異なるものだから、その意味で判決自体はリーズナブルだと思うんだ」
姫「でも、あなた、納得していない顔よね」
本郷「うん。よけいなことを書いたのがまずいと思うんだ。『重要な文書は署名、押印して完結させる慣行が我が国にはある』と判決文にはあるそうだけど、慣行って何だよ、って話だね。いや『伝統』ではなくて『慣行』だから、いいのかなあ」
姫「署名して押印する、というのは、少なくとも伝統ではないわけね」
本郷「武家社会では、ない。古くて明治。それで、閣僚署名に花押を用いるのも明治から。このあたり、詰めていくと面倒くさい話になりそうだけれどね。まあ、ぼくは憲法学者ではないので、歴史的なことに限定してお話しするね」
姫「そもそも、花押っていうのは実名の代わりなのよね?」
本郷「そのとおり。花押ができる前は、自分の名前をくずして、草書で書いていた。これは草名という。次の段階では、それを記号化した。たとえば、源頼朝。頼朝って自筆署名する代わりに、花押を書くわけなんだけど、頼朝の花押(『頼朝 花押』で検索をかけるとすぐに出てきます)は頼の字の左側、『束』と、朝の右側、『月』をくっつけて、くずして作ってある。名前の代わり、っていうのが実感できるでしょう」
姫「そういうのを、『二合体』っていうのよね」
本郷「そう。江戸時代の学者の命名であって、鎌倉時代に使われていた名称ではないけれどね。つまり、ここで大原則。『花押はそもそも、実名の代わり』なんだ。だから鎌倉時代の幕府の公文書には『実名プラス花押』という組み合わせはない。北条貞時が署判するときは、『相模守平朝臣(花押)』とか『相模守(花押)』であって、『北条貞時(花押)』はないんだよ」
姫「朝臣、というのは『あそん』ね。かばねの一つで」
本郷「ところが、花押がそもそも実名であることが忘れられていく。そうすると『実名(花押)』も次第に姿を現してくる。幕府の公文書での早い例は、室町幕府の奉行人連署奉書かな。ただし、これは正式な『竪紙』(たてがみ。紙を折らずに使う)ではなく、紙を半分に折って使う『折紙』の方。『光俊(花押) 盛秀(花押)』みたいな例がある。
姫「じゃあ、室町時代になると、実名プラス花押、は出てくるわけね」
本郷「そう。それから戦国時代になると、印判が出てくる」
姫「印判はハンコの先輩と思っていればいいのかしら」
本郷「そうだね。これは花押の代わりだ。花押を書く代わりに、印判を押す。ところで、花押と印判、どちらが丁寧だと思う?」
姫「そうね。花押は花押の主がいちいち書かなくてはならない。でも、印判は、たとえば近親者とか、側近とか、他の人が押すことも可能よね。とすると、花押の方が丁寧になるんじゃない?」
本郷「そのとおり。戦国大名は領国を治めるために、いろいろな案件を処理しないといけない。文書もたくさん作成する必要がある。その一枚一枚に花押を書くと大変なので、印判ができてきた、という事情がある。戦国大名の今川家、北条家、武田家などが早くから使っているね」
姫「となるとね、今回の判決にある『重要な文書は署名、押印して完結させる慣行が我が国にはある』というのは、戦国時代にはあてはまらないんじゃない?」
本郷「そうだね。今川義元が武田晴信(信玄)に手紙を出したとしようか。義元の官途は治部大輔、彼が使っていた印判は「如律令」と書かれた朱印。『武田大膳大夫殿へ。治部大輔(朱印・如律令)より』こんなものもらったら、晴信は怒るよ。失礼なやつだなーって。『武田大膳大夫殿へ、治部大輔(花押)より』じゃなくちゃ」
姫「印判よりも花押が丁寧。重要な文書は署名して花押。なるほど、『重要な文書は署名、押印して完結させる慣行が我が国にはある』は中世にはあてはまらないわけね」
本郷「そういうこと。まあ、この関係は江戸時代も変わらないと思う。だからこそ、明治時代の閣議に花押が持ち込まれたんだろうからね」
姫「なるほどね。慣行、というのがどういうことか、どれくらいの時間の流れを何を指しているのか、ってことね。やっぱり」
本郷「慣行というのはここ数十年のこと、で全然構わない。そこをぐだぐだいうのはフェアではない。加えて、くどく断っておくけれど、民法968条の『本人自筆の遺言書には、自筆の署名と押印の両方が必要だ』を根拠とする判決自体には、ぼくはまったく異議はありませんです」
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