愛加那/wikipediaより引用

幕末・維新

愛加那~西郷2番目の妻とは? 西郷に愛され菊次郎を産んだ奄美の島妻

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西郷は、人前でも愛加那の体を平気で触るため、周囲は目のやり場に困っていたそうです。

万延2年(1861年)、二人の長男である西郷菊次郎が誕生。

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愛加那は二人目の子(女児の菊)もみごもりました。

その子がまだ産まれぬうちの文久2年(1862年)。西郷は藩から呼び戻され、薩摩に戻ることとなってしまったのです。

 

西郷、徳之島へ

せっかく薩摩へ戻ったのもつかの間。

同年、西郷は島津久光の怒りを買い、今度は徳之島へ流されることとなります。

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このとき、愛加那は二人の子を連れて、西郷に会いにゆきました。親子の再会を喜んでいると、今度は西郷を沖永良部島に流すとの処分が決まってしまいます。

これが、西郷と愛加那にとって永遠の別れとなりました。

薩摩に戻った後も、西郷は愛加那を子供たちのことや暮らしぶりを気に掛け、送金を続けました。

西郷の死後も、西郷にとって三番目の妻となる糸(岩山糸/西郷糸子)が、送金を滞りなく続けました。

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二人の子は、ある程度成長した時点で糸に引き取られました。糸は、愛加那の子を彼女自身の子と分け隔てなく、育て上げたのです。

愛加那は奄美大島で暮らし続けました。明治35年(1902年)、愛加那は農作業中に倒れ、そのまま息を引き取りました。享年65。

 

西郷がB型とわかるのは彼女のおかげ

愛加那は櫛についた西郷の毛髪を束ねて、形見としてしまいました。

この毛髪を鑑定した結果、血液型はB型であると後に判明。実は愛加那のおかげだったのですね。

共に過ごした日々は短いものの、そこには深い愛情が感じられる。

そんな愛加那と西郷の関係です。

文:小檜山青

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【参考文献】

西郷隆盛 維新150年目の真実 (NHK出版新書 536)』家近 良樹(→amazon link
『西郷隆盛 命もいらず 名もいらず』北 康利(→amazon link
国史大辞典

 



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