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【愛加那】
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「島妻」
そうこうして、一年が過ぎ。
西郷は女郎屋に通うようなこともない真面目な男でしたが、彼も既に32才です。一年の滞在期間の間に、島民との関係も改善していました。
そこで、こんな話が持ち上がります。
「島妻(アンゴ)を娶ってはどうか」
薩摩藩では、領内の遠い島に滞在する場合、正妻の他に妻を娶ってもよい、という藩法がありました。
ただし、こうした「島妻」は、いくつかの決まりがあります。
・島妻を薩摩に連れて帰ることはできない
・島妻との間に生まれた子は、薩摩に連れて行き、教育を受けさせることができる
・島妻との間に生まれた子が男子の場合、郷士とすることができる
・扶持米をもらうことができる
貧しさにあえぎ、「家人」にまで身を落とさねばならない島の人々。
彼らにとって、島妻という地位は魅力的でした。娘を進んで島妻に差しだす親がいても、不思議ではありません。
こうして「島妻」として白羽の矢が立ったのが、愛加那(あいかな)だったのです。
愛加那は、西郷が身を寄せていた龍家の龍佐恵志(りゅう さえし)の娘で、母は枝加那(えだかな)でした。
まだ6才という幼さで父を亡くし、5人きょうだいの4番目として育ちました。
天保8年(1837年)生まれの愛加那は、西郷より9才年下の23才。目鼻立ちのくっきりとした、島の女性らしい美女でした。
幼名は「於戸間金(おとまがね)」となります。
「於」は尊称。
「金」は女性につける「加那」の古い呼び方です。
名前は間に挟まれた「戸間(とま)」ということになります。「おとまさん」ということですね。
西郷と結婚した際、「とま」という名を「愛」にかえて、「愛加那」と呼ばれるようになります。「愛子」、「愛さん」という意味でした。
西郷と愛加那
前述のような事情を考えれば、西郷と愛加那の間に、結婚前のロマンスがあったとは考えられません。
周囲が薦めて、娶ったというのが妥当な気がします。
ただし、それではあまりにつまらないわけで。大河ドラマ原作にもなった林真理子氏の『西郷どん』でも、二人の間にはロマンスが描かれます。
ドラマでも、それは必要以上に強調されておりましたね。
結婚後、西郷は愛加那を愛しました。それも、周囲の人が驚くほどに。
西郷は、人前でも愛加那の体を平気で触るため、周囲は目のやり場に困っていたそうです。
万延2年(1861年)、二人の長男である西郷菊次郎が誕生。
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愛加那は二人目の子(女児の菊)もみごもりました。
その子がまだ産まれぬうちの文久2年(1862年)。西郷は藩から呼び戻され、薩摩に戻ることとなってしまったのです。
西郷、徳之島へ
せっかく薩摩へ戻ったのもつかの間。
同年、西郷は島津久光の怒りを買い、今度は徳之島へ流されることとなります。
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このとき、愛加那は二人の子を連れて、西郷に会いにゆきました。親子の再会を喜んでいると、今度は西郷を沖永良部島に流すとの処分が決まってしまいます。
これが、西郷と愛加那にとって永遠の別れとなりました。
薩摩に戻った後も、西郷は愛加那を子供たちのことや暮らしぶりを気に掛け、送金を続けました。
西郷の死後も、西郷にとって三番目の妻となる糸(岩山糸/西郷糸子)が、送金を滞りなく続けました。
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二人の子は、ある程度成長した時点で糸に引き取られました。
糸は、愛加那の子を彼女自身の子と分け隔てなく、育て上げたのです。
愛加那は奄美大島で暮らし続けました。明治35年(1902年)、愛加那は農作業中に倒れ、そのまま息を引き取りました。享年65。
西郷がB型とわかるのは彼女のおかげ
愛加那は櫛についた西郷の毛髪を束ねて、形見としてしまいました。
この毛髪を鑑定した結果、血液型はB型であると後に判明。
実は愛加那のおかげだったのですね。
共に過ごした日々は短いものの、そこには深い愛情が感じられる。
そんな愛加那と西郷の関係です。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
家近良樹『西郷隆盛 維新150年目の真実 (NHK出版新書 536)』(→amazon)
北康利『西郷隆盛 命もいらず 名もいらず』(→amazon)
『国史大辞典』