新選組の最強剣士は誰か?
その候補を挙げると、歳若く「ともかく強かった」とされるのが彼ら……。
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◆斎藤一
明石藩浪人
流派諸説あり
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いずれも新選組の中では人気もトップを争う二人ですが、世間的な知名度で言えばやはり彼には勝てないでしょう。
そう、沖田総司です。
彼ら3名は剣術師範として、新選組の隊士を指導しておりました。
剣の腕前は僅差だったようで、新選組・阿部十郎の証言によれば、
【永倉>沖田>斎藤】
になるとか。
このうち沖田総司のみが明治維新前夜に命を落としておりますが、各種フィクションでは今なお屈指の人気者でもあります。
では史実の沖田総司はどのような人物だったのか。
その生涯を見て参りましょう。
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白河藩足軽の子として生まれる
沖田総司は、天保15年あるいは弘化元年(1844年)に生まれたとされております。
家紋は丸に木瓜。姉のミツとキンがおり、総司は嫡男でした。
赤ん坊の頃から元気よく手足を振っていたと言います。少年時代から、川で泳ぐフナを素手でサッと捕まえるほど、高い運動能力も見せていました。
沖田家は父・勝次郎の代から白河藩に足軽として奉公し始めました。
俸禄はわずかなもの。しかも勝次郎は総司が幼少期に亡くなってしまいます。
姉・ミツは、婿養子である林太郎を迎えました。乳幼児死亡率が高い時代に、幼い男子一人では、心許ないものがあったのでしょう。
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では、白河藩にルーツを持つ沖田が、どうして多摩ルーツの新選組に入隊したのか?
実は多摩周辺の人々と姻戚関係があったとされています。証言はまちまちで確定が難しいですが、推察はできます。
◆江戸時代の身分制度は、現代からイメージされるよりも流動性が高い
→そんな中、沖田家は身分を何らかの手段で変えた力があった
◆新選組構成員は関東出身者が多く、身分制度流動性の影響を受けやすかった者が多い
→永倉新八の場合、一説によると先祖に江戸っ子美女がいて、彼女が松前藩の殿様の目に留まり、側室となったことが士分に取り立てられた契機とされる
沖田にせよ、永倉にせよ、本籍のある藩ではなく、関東にルーツがあると認識していた下級武士なのです。
若い頃呉服屋で働き、鋏の使い方がうまい。趣味は俳句。そんなオシャレな商人上がりの土方歳三に、武士である隊士が従っていたのはなぜなのか?
土方本人のカリスマ性もあるのでしょうが、彼らはそもそも、武士という身分にそこまで特権意識がなかった可能性はあります。下級武士と豪農の違いは、さしてなかったのでしょう。
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彼らは幕府の権威が低下し、身分が流動していた、幕末という時代の申し子。
新選組隊士は、武士の最下級と、上級豪農という、身分が交わるような階層が多いのです。
幕府を守る側であっても、幕末という時代にあわせた「身分の変動」あっての組織でした。
天狗の生まれ変わりのような少年剣士
そんな幕末の関東に生まれた沖田総司は、道場「試衛館」に通うようになります。
これも貧しい家計事情がありました。
格好の比較対象として、永倉新八がおります。
そこまで経済的に困っていない永倉は、神道無念流剣術道場「撃剣館」に入りました。名門の流派であり、剣術を習いたい武士にとってはエリートコースです。
永倉はそこで強さを発揮し、正統派剣士として自他共に認めることとなるのです。
当時、剣術のエリートが学ぶ三大道場がありました。
◆幕末三大道場
神道無念流「練兵館」:パワー型。長州藩・桂小五郎(木戸孝允)らが学ぶ
北辰一刀流「玄武館」:技巧型。山岡鉄舟、清河八郎、山南敬助、藤堂平助らが学ぶ
鏡新明智流「士学館」:洗練型。武市瑞山、岡田以蔵らが学ぶ
白河藩下屋敷から一番近い道場は練兵館。しかし、沖田家は貧しく通うことはできません。
幼い総司は、稽古帰りの先輩や同輩に教えてもらうことしかできない。
それでも、教える側が押されるほどの素早さと鋭さを、総司は見せるようになります。大人すらその動きを恐るほどの素早さであり、そのうち
「あれは天狗の生まれ変わりでねえべか?」
と囁かれるようにまでなりました。
そんな総司は嘉永2年(1849年)、義兄・林太郎の実家である井上宗蔵家で火災があったため、井上家のある多摩まで向かいました。
ここで手合わせをして、その非凡な才を近藤周助が認めたという逸話が残されております。
ただ、諸説ある生年を考慮すると、さすがに幼いのではないか?という気もします。年代や情報に誇張がある可能性はありますが、沖田総司の才能が地元で語り継がれたのは間違いないということでしょう。
そうした経緯を経て、幼いながら試衛館に出入りするようになった沖田総司は、親戚の子どものような扱いでした。
修行の日々は、まさしく青春といった趣きはあります。沖田総司の出稽古は思い出話としても伝わっています。新選組がフィクションでも人気があるのは、この終わらない青春イメージが影響しているのでしょう。
ただ、当の本人たちは危機的意識を持ち合わせ、かつ習得した技能は殺人剣であったことも事実。黒船来航まで、ノンビリしていられたわけではありません。
北のロシア。
沖合いに見える捕鯨船の影。
急激に治安が悪化する関東。
いつか剣術で戦う日が来るのではないか?
世の中は確実に動いており、そんな緊張感とともに、試衛館に集う若者は稽古に励んでいたのでした。
総司の周囲でも色々ななことがありました。
試衛館の道場主である近藤勇は、極めて真面目な性格でした。
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彼の妻・ツネは醜いことで知られています。男が出入りする道場ならば、むしろ美人ではない方が良いと考えたそうです。
しかし、勇の義父・近藤周助はそうでもない。妾と騒動を起こし、門下生を困惑させたこともありました。
沖田家でも、義兄の林太郎が江戸詰の白河藩士であったのが、浪人になってしまったり、剣術だけに集中できるわけでもない。
そんな時代が沖田総司にもあったのです。
「三段突き」の謎
名剣士となれば必殺技がつきものではあります。
同じ新選組の斎藤一は、『るろうに剣心』においては「牙突」があります。『燃えよ剣』はじめとする、司馬遼太郎作品設定での左利きも知られています。
ただ、どちらもフィクションであり、史実ではありません。
「特定の個人と特定の技」のパターンがあると、フィクションで楽しむならともかく現実には危険です。敵に対策を立てられやすくなります。必殺技にはロマンがありますが、非現実的であります。
では沖田総司の技は何か?
というと「三段突き」です。
実は沖田は免許皆伝の時期すら不明。では腕前はどうだったのか? というと実際に稽古をした人、隊士の証言を基にした方がよさそうです。
ざっと見てみますと……。
「近藤勇さんが来ない代わりに、沖田総司さんが来たこともあるんですけどね。彼は強いのに容赦しないし、教え方が乱暴だし、短気なんですよ。なので、近藤さんよりずっと怖いって皆で言い合っていたんです」
「沖田さんの場合、ともかく気合いを入れて、一剣に全身を託して、刀とともに猛然と敵に当たっていくんです。いわば彼の一の太刀はのるかそるか。そういうものでしたね」
実は沖田の突きは、天然理心流としては異端ではあります。天然理心流の印可には突き技がないのです。
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流祖・近藤内蔵之介は、突き技には疑念を抱いていました。
沖田のようにのるかそるかで突くと、当たればよいものの、外すと隙が大きすぎて危険であると認識していたのです。
これは八王子同心が学び、凶悪犯逮捕のために生み出された天然理心流のルーツを考えると、納得できるところではあります。
チームワークを重視し、殺すよりもとらえることが大事である。
そういう成立史がある流派であれば、ハイリスクな突き技はむしろ避けるのが当然です。
竹刀に慣れていた沖田は、木刀で稽古する天然理心流に入門し、己の非力さを痛感しました。幼くして入門したこともあり、たくましい近藤たちに遅れないよう、彼なりに考えていったようです。
天狗と例えられた持ち前の素早さ、鋭さを活かす工夫をしたのです。
沖田総司の突きは、皮肉にも新選組が恐れたあの流派に似ているとも言えます。
薩摩ジゲン流です。
一の太刀を当てることを重視した戦いぶりと通じるものがあります。
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沖田の「三段突き」は、不明点が多いものではあります。
ただ、幕末当時の殺人剣として理にかなっていて、かつ天然理心流や道場で剣術を学んだ隊士とは別の戦い方を持っていたと推測できます。
もうひとつ。
「下段の構え」も編み出していました。
剣先をだらりと下げて、敢えて面を開けます。そこを打ち込んできた太刀をわずかにかわし、あげた太刀をそのまま下ろすのです。
剣術集団である新選組隊士には、それぞれ得意な戦い方がありました。
洗練されていて、スポーツマンシップも感じさせつつ、ともかく技巧がある永倉新八。「メーン!」「コテッ!」と叫んでしまう欠点もありました。
スパイを務める知能派であり、渋い実践剣を振るった斎藤一。生き残る術を常に考えていたとされます。
そして情熱的で荒々しい剣術で立ち向かっていく沖田総司。
フィクションのみならず史実でも三者三様、魅力的な三人の剣士でした。
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