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イザベラ・バード
イギリス人の女性旅行家であるイザベラ・バード(1831-1904年)。
41歳で来日した時点でツワモノというか豪傑というか女丈夫といった感じですが、「女の一人旅は危ないよ」と忠告されたにもかかわらず、1878年(明治11年)に横浜から北海道まで3ヶ月間も旅行をしています。
その間の日記で日本をベタ褒めしてくれているので、道中あまり不安や不満はなかったのかもしれませんがガッツありすぎやろ。
ヘンリー・ジェームズ・ブラック(初代快楽亭ブラック)
同じくイギリス生まれの方で、7歳で父親に連れられて来日したヘンリー・ジェイムズ・ブラック(1858-1923年)。
18歳頃には既に日本語がペラペラになっていたそうです。
その後、お父さんは上海へ行ってしまったのですが、彼は一人日本に残り、なんと落語の道に入ります。
一度は親類知人の猛反発で断念したものの、それが止むと再び噺の世界に戻りました。
青い目でありながら江戸弁(べらんめえ調)すら操るほどの流暢な日本語、合間に手品や催眠術を披露する多芸さなどが大いにウケて好評を博したとか。
テオドール・フォン・レルヒ
テオドール・フォン・レルヒ(1869-1945年)はハンガリー(当時はオーストリア=ハンガリー二重帝国)出身の軍人さんです。
旧軍や一般人にスキーを広めた方なので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。
彼は一本杖・二本杖両方のスキーを知っていたのですが、日本の地形に合わせて前者を伝えたのだそうです。
しかし、その後スキー大会で二本杖式を使った選手が圧勝したため、一本杖のほうは廃れてしまったのだとか……。
帰国後も現地の人からは慕われており、さらに2009年にはゆるキャラが誕生するなど、決して粗略に扱われているわけではないのですけどね。
ゆるキャラはそのものズバリの「レルヒさん(公式サイト)」というお名前です。
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フェリックス(フェリーチェ)・ベアト
ライムント・フォン・シュティルフリート
二人とも写真家で、幕末から明治の日本人を多く撮影しています。
ベアト(1832-1909年)はイタリアで、シュティルフリート(1839-1911年)はチェコ(当時はオーストリア=ハンガリー二重帝国)生まれ。
古写真の本で出てくるのは概ねこの二人のどちらかが撮影したもののようですね。
スタジオで撮ったものはいかにも西洋人好みの演出がされていて嘘くさいこともありますが、彼らの撮った街角や各地の風景などの写真は、古きよき日本を偲ばせてくれる貴重な資料です。
むず痒くなるほどの日本ホメ どうやらガチ?
この他、各国の公使も多く日本を訪れており、誰も彼も「日本スバラシイ!オーマイゴッド!!」(超訳)という感想を残していてむず痒くなるほどです。
特にイギリスやフランスの方が語彙の限りを尽くして褒めちぎっている記述がそこかしこにあります。
昨今の「日本スゴイ!」番組の多さ、演出にはちょっと疑問も湧いてきますが、当時、彼らが自国に帰ってから出した旅行記や国元宛ての手紙の中に出てくるのはガチっぽいです。
外国が認めてくれていたのに、なんで明治政府はそこに気付かないで「西洋スバラシイ!日本ダメ!」になっちゃったんですかねえ。
グローバル化するんだったら、目先口先小手先だけじゃなくて文化芸術の保護に努めて欲しかったものです。
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長月 七紀・記
【参考】
『異国人の見た幕末・明治JAPAN 愛蔵版』(→amazon)
レオン・ド・ロニー/wikipedia