大河ドラマ『西郷どん』でも出てきた、郷中教育(ごじゅうきょういく)。
薩摩藩独自の青少年教育制度で、類似システムとしては会津藩の「什(じゅう)」があります。
そんな教育が今も息づいている鹿児島県では、以下の3つの教えが大事にされています。
・負けるな
・嘘をいうな
・弱い者いじめをするな
いかにも男らしい薩摩風土を感じる言葉ですが、では「郷中教育」とは一体どのような内容だったのでしょうか。
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隣近所の子供同士で学ぶ「郷中教育」
郷中教育とは、近所の武士の子供同士で学び合う教育制度でした。
具体的にどのようなものか。
西郷隆盛と、そのイトコ・大山巌の例で見てみましょう。
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6才になった大山巌は、同じ郷中で従兄にあたる西郷隆盛から、指導を受けました。
毎朝西郷の家に向かい、読書や書道を習ったのです。
大山が家に付くと、西郷は早朝の日課であった座禅を終えたところ。西郷は、あばたのある大山を「おはんはにぎやかな顔をしじぁのう」と大変可愛がっていました。
2人の年齢差は14才。
大学生2年生が小学1年生に勉強を教えるようなものです。
このように、教師と生徒という関係ではなく、郷中の仲間同士で指導しあうのが特徴でした。
郷中教育の一日
早朝の読書が終わると、家に戻り朝食を取ります。
そして午前は広場や神社で身体訓練。郷中教育では「坂道達者」という言葉があり、高低差のある地形を上り下りをして、体力をつけました。
午後は示現流や薬丸自顕流などの剣術をはじめとする、武芸の稽古です。
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最後に、郷中の仲間同士で車座になり、学んだ内容を確認しあいます。
これは学級会のようなものでもあり、ルール違反をみとがめられた少年は、罰則を受けました。
かくして夜が明けてから、日が沈むまで。少年たちは同じ郷中で鍛錬し続けたのであります。
まるで兄と弟のように濃密に接する時間の中で、そこに強い絆が生まれないワケがないでしょう。
教師はおりません。
互いに学び合うのが特徴で、現代で言うならば、幼稚園から大学院あたりまで、生徒同士で学んだわけです。
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