郷中教育

大久保利通(左)と西郷隆盛(右)は若かりし頃いかなる教育で成長したか/wikipediaより引用

幕末・維新

西郷や大久保を育てた郷中教育~泣こかい飛ぼかい泣こよかひっ飛べ!

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もちろん武芸もテンコ盛り

郷中教育で、最も特徴的なのが、実践さながらの武術でありましょう。

平和な江戸時代でも弛むことなく武士としての誇りを重視した、薩摩ならではの風土・気風。数多くの武芸が奨励されました。

【武術カリキュラム】

主な剣術は3つです。

・示現流
・薬丸自顕流
・天真流

さらには剣術だけでなく、槍術、弓術、馬術、柔術、居合術も習いました。

独特の叫び声(猿叫)をあげながら、木刀を振り下ろす稽古風景は、薩摩藩を描くのであれば外せません。

【日常生活のルール】

郷中には、日常生活のルールもありました。以下、現代でもわかりやすいようにまとめます。

・忠孝を重んじ、武道に励みましょう

・礼儀を重んじ、親睦団結を心がけましょう

・山や坂道を上り下りして体を鍛えましょう(坂道達者)

・何事も詮議を尽くしましょう。ただし、決まったことには異議を唱えないこと。言い訳はしないように

・嘘をつかない、弱音を吐かない、卑劣なことをしない

・弱い者いじめをしない

・目上を重んじ、親に口答えをしてはいけません

・女とは一切関わってはいけません

・金銭を持たないこと。一人で買い物をしてはいけません

・飲酒喫煙は禁止です

・歌舞音曲芝居鑑賞は禁止です

・旅頭巾襟巻、防寒具は禁止。木綿を着ること

・刀を持たずに外出しないこと。脇差し一本でうろつくようなことはしない

・どんな場合でも刀を抜いてはいけません。もしも抜いたら、ただおさめるようなことはしないように

・槍を持った役人には礼をしましょう

・他の家の果物がなった木、壁、屋根に手を掛けてはいけません

【年中行事】

さらには年間行事も用意されておりまして。

この行事は、「鹿児島三大行事」として、現在まで伝わっています。

◆曽我どんの傘焼き:曽我兄弟の故事にならい、傘を積み上げて焼く行事。郷中の子供たちが近隣から古い傘を集める習わしでした(かごんまナビ

 

◆妙円寺詣り:関ヶ原における島津義弘の敵中突破「島津の引き口」の苦難をしのぶ。

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鹿児島市内から義弘の菩提寺:妙円寺(現在の徳重神社)まで、鎧兜をつけて往復およそ40キロを歩く(日置市妙円寺詣り

 

現在、「チェスト関ヶ原」は「ブチ殺せ」という意味の隠語であるというネタが話題となっております。

しかし、本来は「妙円寺参り」の際に気合いを入れるための言葉です。

◆赤穂義臣伝輪読会:赤穂義士討ち入りの日に『赤穂義士伝』十五巻を郷中仲間で朗読する

 


「泣こかい 飛ぼかい 泣こよか ひっ飛べ」

現在まで、薩摩の気風として、教育として、そして行事として残る「郷中教育」。

西郷はじめ、多くの偉人を育て上げた教育でもあります。

芯が通り、厳しい教育内容は、まさしく当時の藩としてもトップクラスのものであり、それも納得できる、充実した内容であることがおわかりいただけたかと思います。

鹿児島には、「泣こかい 飛ぼかい 泣こよか ひっ飛べ」という言葉が今も伝わっています。

「泣くか、跳ぶか、迷うんだったら跳んじまえ!」という、勇気を称えた「郷中教育」の気風を感じます。


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文:小檜山青

まんが『薩摩義士伝』(→amazon

【参考文献】
西郷隆盛公奉賛会『西郷どんと薩摩士風』

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