西郷隆盛(石川静正画の油彩)/wikipediaより引用

幕末・維新

あの西郷さんもストレスで心身ボロボロだった?中間管理職は辛いよ

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中間管理職的な苦しみ

現在も勤め人のストレス源といえば、仕事関係での人間関係があげられます。

明治政府が肌に会わない西郷は下野しますが、そこで待ち受けていたのは、あの全く気の合わない元上司・島津久光でした。

久光は、明治政府のやり方が気に入りませんでした。

彼の野心が無視されたとか。

西洋流についていけないとか。

はたまたただ愚かなだけとか。

いろいろと原因が言われておりますが、想像はつきます。

久光だけではなく、明治維新には大いに騙されたと感じる人は、世の中に溢れていました。

彼ら倒幕派が当初掲げていたのは「尊皇攘夷」。

弱腰の幕府が倒れ、やっと攘夷を実行するのかと思っていたのに、政府は外国と国交を行い、生活様式を西洋化してしまったのです。

「話が違うじゃないか、日本の伝統をないがしろにするつもりか!」

そう思う人がいるのも無理のない話でして。国学を熱心に学ぶ島津久光も、こうした政府の政策に激怒した一人でした。

とはいえ、久光の鬱憤が遠い東京まで届くわけもありません。それをもろに喰らってしまったのは、国元にいた西郷です。

久光は愚かでもなく、見識もあります。

彼の周囲には、政府に反発する人々が期待を寄せるようになりました。

政府への不満が久光に集まり、それが西郷にぶつけられるという、かなり悲惨なことになってしまいます。

政府と旧主の板挟みになったストレスが頂点に達したのは「廃藩置県」の頃。

久光の怒りは頂点に達し、旧藩主は東京移住を命じられたにもかかわらず断固反対します(久光は藩主にはなってませんが)。

お陰で間に立たされた西郷は「もう限界だ。死んだほうがマシじゃった」と言い出しかねないほど、疲弊しきってしまいます。

薩摩藩は普通の藩ではなく、明治新政府の重鎮を占めて、維新をリードした立場です。

それなのに久光が政府のやり方に断固反対となると、政府の面子は丸つぶれ。

西郷は、理不尽なまでの板挟みに苦しんだのでした。

 

ストレスと「征韓論」

ここまでくると、

『明治以降の西郷の判断力は大丈夫だったのか?』

とすら思えてしまいます。

いや、実際にはかなり脆かったのではないか、とも言えましょう。

明治6年(1873年)の「征韓論」論争のころには、相当精神状態が悪化していました。

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猜疑心を強め、嘲弄するような文言を文書にしたため、彼の特徴であった人望すら失ったかのような言動をするようになったのです。

そもそも征韓論もドコまで現実的かもわからない。

西郷の暴走に政府が振り回されるようになってしまうのです。

そしてそのあと、歴史は皆が知っているように「西南戦争」へ……。

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ゆえに私は思ってしまうのです。

国民的番組の大河ドラマ『西郷どん』で、南の島の生活を楽しむ、あるいは恋愛に没頭するような描き方をされたら、さすがに問題があるのではないでしょうか。

西郷の自殺願望のように思えるふるまいや鬱状態、ストレスの原点は、月照との入水を含めた安政年間の事件、流刑時代にあるように思えます。

ドラマでは鈴木亮平さんがさわやかに笑っていたとしても、史実の西郷隆盛は決してそうではない。

中間管理職の人間が板挟みの末に負わされる深い陰翳。

なんとも人間臭いではないですか。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
家近良樹『西郷隆盛:人を相手にせず、天を相手にせよ (ミネルヴァ日本評伝選)』(→amazon
箕輪優『近世・奄美流人の研究』(→amazon

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