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【上野西郷像の犬の正体】
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その愛犬たちも、新政府軍に追い詰められ、軍の解散を西郷が決意した8月16日に、解き放たれてしまいます。
西郷は陸軍大将の軍服を焼き捨て、犬を放したのです。
西郷から、死の覚悟が伝わって来ますね。
解き放つ前、目を潤ませながら愛犬の頭を撫でていた、という話も伝わっています。
よほど別れたくなかったのでしょう。私達も聞いているだけで涙を誘われる話であります。
二匹の犬も、主人の西郷を忘れられなかったようで。解き放たれた後も周辺をうろつき、悲痛な声でいつまでも吠え続け、その声を聞く人に涙させました。
一匹は警視隊巡査に捕らえられ、もう一匹は元の飼い主のところまで自力で戻ったそうです。
弟の西郷従道がこの犬をのちにもらい受けた説もあります。
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犬は三匹~四匹という説もあります。
一匹は捕らわれ、一匹は西郷を追いかけ、一匹は行方不明になった、とされていることもあります。
死を覚悟した西郷に放たれて、それでも慕い泣き続けた犬の気持ちを思うと、どうにも切なくなるばかりです。
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銅像の犬のモデルは?
さて、冒頭でもあげた上野公園の西郷隆盛像。
こちらは当初、軍服姿で作ることになっていたそうです。
しかし彼は逆賊でもあるため、平服で犬を連れたあの姿に変更されました。
妻の糸が「うちの人はこげなお人じゃなか!」と言った言葉は、実際に似ていないのか、それともこんなだらしない格好ではないと言いたかったのか、と様々な解釈があります。
真相はどうなのでしょう。
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モデルは、特定の犬ではないようです。
西郷の愛犬複数を混ぜ合わせたイメージであり、特にこの犬!という指定はありません。
犬種は薩摩犬で、西郷の愛した故郷の犬です。ツンという雌犬であるという説もありますが、銅像の犬は雄です。
現在はかなり少なくなり、絶滅説もあり、見た目としては、柴犬に近いようですね。
薩摩犬は小さめの犬種ですし、兎狩りに使う犬はそもそも大きいものは不向きだそうです。
そのリアリティを追及して小さめにしたところ、結構なクレームがありました。
「西郷さんを大きく見せたいから、犬をあまりに小さくし過ぎてではないのか?」
「日本の犬ではない、ポインターかセッターのような洋犬ではないか?」
そんな難癖もつけられましたが、銅像を製作した側としては、西郷とその犬をできるだけ忠実に作っているのです。
犬の綱と首輪もリアルに
ちなみにこの像は、よく見ると犬の綱と首輪もリアルに作り込まれています。
西郷の従弟である大山巌は、維新後に下野した西郷へ、犬の綱と首輪を贈っていました。
その大山が銅像製作に関わっていますので、綱と首輪の形状をアドバイスした可能性があります。
銅像は草履まで西郷のものを取り寄せて作ったそうですから、犬の綱と首輪も実物をモデルとしていてもおかしくはありません。
そこまでこだわって作られた像なのです。
幕末維新の荒波の中、時に人を騙し、あるいは自らが騙され、心痛に悩まされていた西郷。
そんなとき、つぶらな瞳で見上げてくる愛犬たちの姿は、心の癒やしであり、支えだったことでしょう。
もしも、上野の西郷隆盛像に犬がいなかったら?
物足りなくて味気ない。
やはりあの格好で犬を連れているからこそ、今なお西郷像は多くの人々に愛されているのではないでしょうか。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
仁科邦男『犬たちの明治維新 ポチの誕生』(→amazon)