西郷像の犬

幕末・維新

上野の西郷さんが連れている犬の正体は?死の直前まで愛犬家だった西郷

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上野西郷像の犬の正体
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その愛犬たちも、新政府軍に追い詰められ、軍の解散を西郷が決意した8月16日に、解き放たれてしまいます。

西郷は陸軍大将の軍服を焼き捨て、犬を放したのです。

西郷から、死の覚悟が伝わって来ますね。

西南戦争を描いた錦絵(中央が西郷)/wikipediaより引用

解き放つ前、目を潤ませながら愛犬の頭を撫でていた、という話も伝わっています。

よほど別れたくなかったのでしょう。私達も聞いているだけで涙を誘われる話であります。

二匹の犬も、主人の西郷を忘れられなかったようで。解き放たれた後も周辺をうろつき、悲痛な声でいつまでも吠え続け、その声を聞く人に涙させました。

一匹は警視隊巡査に捕らえられ、もう一匹は元の飼い主のところまで自力で戻ったそうです。

弟の西郷従道がこの犬をのちにもらい受けた説もあります。

西郷従道
ホントはすごい西郷従道(信吾)兄の隆盛に隠れがちな有能っぷりとは

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犬は三匹~四匹という説もあります。

一匹は捕らわれ、一匹は西郷を追いかけ、一匹は行方不明になった、とされていることもあります。

死を覚悟した西郷に放たれて、それでも慕い泣き続けた犬の気持ちを思うと、どうにも切なくなるばかりです。

 

銅像の犬のモデルは?

さて、冒頭でもあげた上野公園の西郷隆盛像。

こちらは当初、軍服姿で作ることになっていたそうです。

軍服姿の西郷隆盛/Wikipediaより引用

しかし彼は逆賊でもあるため、平服で犬を連れたあの姿に変更されました。

妻の糸が「うちの人はこげなお人じゃなか!」と言った言葉は、実際に似ていないのか、それともこんなだらしない格好ではないと言いたかったのか、と様々な解釈があります。

真相はどうなのでしょう。

岩山糸(西郷糸子)
西郷3番目の妻・岩山糸(糸子)銅像見て「こげなお人じゃなかった」

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モデルは、特定の犬ではないようです。

西郷の愛犬複数を混ぜ合わせたイメージであり、特にこの犬!という指定はありません。

犬種は薩摩犬で、西郷の愛した故郷の犬です。ツンという雌犬であるという説もありますが、銅像の犬は雄です。

現在はかなり少なくなり、絶滅説もあり、見た目としては、柴犬に近いようですね。

薩摩犬は小さめの犬種ですし、兎狩りに使う犬はそもそも大きいものは不向きだそうです。

そのリアリティを追及して小さめにしたところ、結構なクレームがありました。

「西郷さんを大きく見せたいから、犬をあまりに小さくし過ぎてではないのか?」

「日本の犬ではない、ポインターかセッターのような洋犬ではないか?」

そんな難癖もつけられましたが、銅像を製作した側としては、西郷とその犬をできるだけ忠実に作っているのです。

 

犬の綱と首輪もリアルに

ちなみにこの像は、よく見ると犬の綱と首輪もリアルに作り込まれています。

西郷の従弟である大山巌は、維新後に下野した西郷へ、犬の綱と首輪を贈っていました。

その大山が銅像製作に関わっていますので、綱と首輪の形状をアドバイスした可能性があります。

銅像は草履まで西郷のものを取り寄せて作ったそうですから、犬の綱と首輪も実物をモデルとしていてもおかしくはありません。

そこまでこだわって作られた像なのです。

幕末維新の荒波の中、時に人を騙し、あるいは自らが騙され、心痛に悩まされていた西郷。

そんなとき、つぶらな瞳で見上げてくる愛犬たちの姿は、心の癒やしであり、支えだったことでしょう。

もしも、上野の西郷隆盛像に犬がいなかったら?

物足りなくて味気ない。

やはりあの格好で犬を連れているからこそ、今なお西郷像は多くの人々に愛されているのではないでしょうか。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
仁科邦男『犬たちの明治維新 ポチの誕生』(→amazon

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