龍馬の妻楢崎龍

おりょうさんこと楢崎龍(晩年)と坂本龍馬/wikipediaより引用

幕末・維新

龍馬の妻おりょう(楢崎龍)夫を殺された後は生活苦の生涯だった?

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龍馬の妻・おりょう(楢崎龍)
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流れ流れて、流浪して…

実は龍馬は生前、北海道に移住する夢を語っていました。

もしそれが実現すれば、明治の北海道開拓史は、流刑のようなものではなく、数段レベルの高い華やかさや経済の発展に恵まれたかもしれません。

北海道開拓
ゴールデンカムイ舞台 現実の北海道開拓は想像以上に過酷だった

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龍馬の死後、そうした計画は流れ、海援隊も瓦解。

おりょうは土佐の坂本家に身を寄せます。

しかし、龍馬の兄・権平とその妻は、おりょうと気が合いませんでした。

これはあくまでおりょうの言い分と前置きしますが、権平夫妻はおりょうが受け取ることになる、龍馬遺族への見舞金を目当てにしていたそうです。

意地悪をして、おりょうを追い出せば、身持ちの悪い義妹にかわって金が手に入ると考えていた、とのこと。

おりょうはこうした魂胆に嫌気がさし、土佐を去りました。

土佐で彼女をあたたかく迎えてくれたのは、龍馬と親しかった姉の乙女だけでした。

おりょうは京都の東山に庵を結び、夫の菩提を弔う日々を送りました。

ところが美貌のおりょうを世間が放っておいてはくれません。おりょうは、さる公卿が面倒を見ると称して、愛人にしたがっているようだと気づきます。

すると今度は京都を去り、江戸を目指しました。

江戸でおりょうが頼ったのは、龍馬の甥(長姉・千鶴の子)で元海援隊士の坂本直でした。

坂本直/wikipediaより引用

彼は叔父の死後、坂本家の家督を継いでいたのです。

しかし……。

「おりょうさん、おまさんはもう坂本家とは何の関係もない」

冷たくそう言われ、さしものおりょうも悔し涙をこらえるだけで精一杯でした。

おりょうを暖かく出迎えたのは西郷隆盛でした。

それ以外で彼女に親切であったのは寺田屋のお登勢、勝海舟ぐらい。西郷はおりょうの面倒を見ると言ってくれたものの、程なくして彼は西南戦争で戦死してしまいます。

元海援隊士たちも、大半がおりょうのことを「素行不良」と決めつけていました。

誰も彼女に救いの手を伸ばさなかったのです。

龍馬の日記も、遺品も、ほとんど手元から誰かに持ち去られてしまったおりょう。

残されたのは写真と思い出だけでした。

京都の墓参りすら、生活の余裕がなく思うようにできません。

 

享年66

龍馬と、その横に寄り添うおりょうの姿は、坂崎紫瀾『汗血千里駒』といった小説で描かれていました。

しかし、現実のおりょうがどうなったのか。

どれほど苦労しているのか。

世間は知りませんでした。

龍馬の死から30年以上を経て、やっと彼女の聞き取りが行われています。

『汗血千里駒』自体は、内容が不正確で、おりょうは気に入っておりませんでした。

それでも同作品が話題となるや、彼女への関心が高まり、話を聞こうとする記者たちがやって来たのです。

しかし一時的なものに過ぎませんでした。

状況が変化したのは、日露戦争開戦直前の明治37年(1904年)のことです。

美子皇后の夢枕に坂本龍馬が立ったという話が広まりました。

同時に、龍馬伝説が、再度燃え上がります。

楢崎龍/wikipediaより引用

こうなると、未亡人であるおりょうも注目が集まりました。

が、明治39年(1906年)、彼女は危篤に陥ります。

皇后大夫・香川敬三(元陸援隊士)から御見舞の電報が送られています。

そしてその直後、亡くなるのでした。

享年66。

 

時代の求める貞女にあらず

明治時代、多くの元勲の妻たちに、華やかなスポットライトが当たりました。

欧米流の紳士が、淑女を伴う社交儀礼が広まったからです。

それまで上流階級の夫人といえば、家の奥にいるものでしたが、それが一転して表に出るようになったのです。

華麗なドレスに身を包み、鹿鳴館で軽やかなステップを踏むレディたちは、こうして登場しました。

鹿鳴館を描いた浮世絵/wikipediaより引用

そうした華やかな社交界の一方で、明治維新の立役者である龍馬の妻・おりょうは、不遇の日々を送っておりました。

妹を遊郭から取り戻すためには火鉢を投げ、人斬り半次郎として恐れられた中村半次郎(桐野利秋)相手にも凄んだおりょう。

彼女の気の強さは、模範的な貞女からほど遠いものでした。

龍馬の死後。

彼女の衰えぬ美貌に目を付けた男たちは、ひっきりなしに現れています。

しかし、その熱く激しい個性を受け入れることのできた男は、龍馬以外におりませんでした。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
一坂太郎『わが夫 坂本龍馬 (朝日新書)』(→amazon
『国史大辞典』

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