「ミチカネ」という男によって母が殺された――。
まひろはその死を偽る父に失望したまま、時は流れてゆきます。
成人の儀
永観2年(978年)、まひろは成人の儀「裳着」(もぎ)を迎えました。裳を着ける儀式です。
衣装が重たいとボヤいていますが、実際、本作の装束はかなりの重量だとか。
儀式ゆえに辛抱いたせ、とたしなめられても彼女は不満げにこう続ける。
「人はなぜこんなにも儀式が好きなのか」
面倒臭い性格ですね。そういうものだから、と言われても納得できないのでしょう。
藤原宣孝もその場にいて、成人の意義を語ります。
婿をもらって子を産める――。お礼を言う父・藤原為時の態度からして、娘の成人の儀でも、宣孝からそれなりの援助を受けているようです。
弟の太郎は相変わらずマイペースで、かったるそうだ。使用人のいとが、亡き北の方(ちやは)も喜ぶと感慨深げに口にしたことで、冷たい空気があふれます。
為時は、酒を飲むからと、この場を去ります。去り際に、宣孝が「父の気持ちをわかれ」とまひろに告げるけれども、彼女には理解できない。
母は、大人になれば母の気持ちも、父の気持ちもわかるようになると言っていた。けれども、わからない。
突き詰めて考えると幸せになれない、可愛くないと宣孝が続けても、宣孝様にかわいいと思われたくないとまひるは即答。
嗚呼、面倒臭い……。
さらに彼女は、為時が禄をいただいている右大臣(藤原兼家)の二の君(藤原道兼)の名前は「ミチカネ」ではないか?と確認してきました。
シラを切る宣孝ですが、まひろは相手の嘘など見抜いていそうです。
わかったところでどうしようというのか?と宣孝がまひろに聞き返す。
「わかりませぬ」
「わからぬなら黙っておれ。これはわしからの忠告じゃ」
そう言い、去っていく宣孝でした。
藤原宣孝は、後にまひろの夫となります。
この美貌を狙っていたのか?と納得させたいようで、面倒臭さとかわいげのなさも既に出ている彼女。
このまひろに求婚するなんて、宣孝もなかなか面白いものだと思えてきます。いくら美女だろうと、喧嘩になったら大変そうだ。
まひろにしても、相手の軽薄さ、自分と話しても噛み合わないところは理解しているはず。
一体どういう夫婦になるのでしょう。魂まで通じ合う仲にはなれそうにありませんね。
為時は浮かぬ顔で酒を飲んでいます。家の居心地が悪いそうで。
昼間、太郎に学問を授けるのはよい。しかし、まひろの目が怖い。宣孝は、ちやはの死の隠蔽に理解を示します。
為時は学問の才を生かして出世したいものの、6年間も除目から外されていると嘆いている。右大臣(兼家)の子飼いだからだろうか?とこぼしています。
兼家は、円融天皇との間に隙間風が吹いているようです。
宣孝は焦るなと告げます。東宮が即位すれば出世できるであろう。
それでも為時はうまくいくかと弱気です。宣孝はうまくいくと励ますしかない。
まひろは父を嫌っているものの、性格は父親に似ているのかもしれませんね。宣孝にしても、ネガティブで面倒な相手をあしらうコツを習得しているのでしょう。
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子を思う道に迷う親
まひろは月明かりを浴びながら、筆を動かしています。
人の親の 心は闇に あらねども
子を思ふ道に まどひぬるかな
子を持つ親の心は闇とまではいかない。しかし、我が子のこととなると、道に迷うかのようだ。
紫式部の曽祖父にあたり、『源氏物語』でも引用される藤原兼輔の歌を書いています。
現実の父親を通してではなく、和歌を通して理解する――そんな彼女の特性がわかるような素晴らしい場面です。
吉高由里子さんの、月光を集めたような白い顔を見たらもう言葉にならないほど。
筆を手に取る横顔も、月を眺める顔も、光り輝くような美しさにあふれています。
代筆は楽しい仕事
まひろは、街の中をどこかへ向かって歩いてゆきます。
土埃が待っていそうな道。足がすぐドロドロになりそうです。
絵師の家に着くと、急ぎの客である麻彦が待っているとか。彼女は小さな硯で墨を擦ります。
この硯が素朴でいかにも貧しい。
文房四宝と呼ばれる筆・墨・硯・紙のうち、消耗品ではない硯はステータスシンボルの象徴です。この小さな硯と、後で出てくる大きくて立派な硯を比較してみると興味深い。
まひろの仕事とは、好いたおなごに贈る歌を代筆することでした。
声を低くして「苦手なことは人に任せるのが理想だ」と返しています。そのための代筆仕事だと。
古今東西、そういうことはトラブルも招きかねません。『シラノ・ド・ベルジュラック』なんてそういう話じゃないですか。
まひろがサラサラと和歌を書きつけ、盆に入れて相手に渡すと、客もお礼を言い、絵師が謝礼を受け取っていく。
この代筆稼業の場面は、吉高さんが本当に大変だったと思えるところです。彼女は書道に励んだと何度も語っています。
左利きであるのに右手で筆を持つ。流麗かつ、素早く書かねばならない。しかも机のある場面ならまだしも、ここではそうもいかないので、かなり大変です。
今年の大河は、かな書道を全力で推してきていますね。なんせオープニングから書が出てくる。
この時代は国風文化が花ひらき、日本特有のかな書道が高まってゆく大事な時代です。
本作を契機に、かな書道の素晴らしさを感じたいですね!
帝も、実資も、兼家のことが嫌いだが
内裏では、犯罪対策について政務が行われていました。
増加する山賊増加対策として、藤原頼忠が検非違使の増員を申し出ています。
声が小さすぎるため、円融天皇は「聞こえぬ」と不機嫌そうだ。
すると藤原兼家が、こんなことを言い出す。
「やる気のない検非違使の人数を増やしても意味がない! 別当を変え、褒美を出してはどうか?」
隣にいた源雅信が「話が違う」と動揺すると、円融天皇もうんざりした顔をしながら、兼家の政策を受け入れるのでした。
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それにしても、兼家の提案はどうなのでしょう。
さすが金で思うままに人を操る奴は違うな! と嫌味の一つでも言いたくなります。
こういうボーナス制度は冤罪を増やす危険性もあります。私人逮捕系YouTuberが、再生数稼ぎのため無茶な難癖をつけるような事例が起きてしまうかもしれない。
廊下を歩きながら、従者に本音を語るのは藤原実資。
関白の声が小さい。右大臣のことは好きではないが、右大臣の言うことは正しい。右大臣が好きではないがな、と繰り返しています。
彼は蔵人頭です。円融天皇の側近として、篤い信頼を得ているとか。
このロバート秋山さんは、してやられたと思っています。
実資が記した『小右記』のことを思い出すと、なんというキャスティングなのか?と、どうしようもなくなる。
彼が「なんでこんなことばかりなんだ……」そうぼやきながら日記をつけている様子を想像するだけで、もうたまらないものがあります。
また実資さんが嘆いているよ。また実資さんの胃が痛くなるような事件が起きているよ。そう思っちゃうものでして。
道兼の野望
兼家と亡き時姫の間の子どもたちは、上流貴族としての道を着実に歩んでいました。
長男の道隆。
二男の道兼。
そして三男の三郎は成人して道長となっております。
道長の姉である藤原詮子は皇子を産んだものの、関白・藤原頼忠の娘である中宮になったのは藤原遵子です。
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ここで円融天皇と遵子の仲睦まじい姿が映されます。
信じ合い、相手を美しいと褒める帝。なんて幸せそうな姿でしょうか。
道長が弓を引いていると、梅壺の女御がお召しであると告げられます。
詮子のことです。また姉上のお呼びかと、周囲はヒソヒソ……。
すると藤原兼家は詮子にとんでもないことを告げていました。
兼家の邸である東三条に下がれ、と。
何年も帝のお召しがないことを心配しているのかと詮子が返すと、兼家は野望を全開にします。
懐仁親王を次の東宮にして、ともかく早く天皇にしたい。
これがなかなか無茶苦茶です。整理しましょう。
円融天皇
花山天皇(東宮・師貞親王)
一条天皇(懐仁親王)
今上帝である円融天皇をまず追い払い、花山天皇は速攻で退位させるという狙い。
なんという悪党なのでしょう。
詮子が困惑していると、兼家はただ一人の皇子を人質にとって退位を迫ると言います。手元に息子を置いておけば、生かすも殺すも私次第だと。
内裏を去るのは負け犬のようで気が進まない、今少し考えたいと答えを引き伸ばす詮子。
兼家は、帰り際に道長とすれ違います。そして「父の言うことに従うのがよいと言っておけ」と念押ししている。
現時点では兼家が本作随一の悪党ですね。
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しかし、若い頃はああはなりたくないと思っていた詮子も、道長も、父に似てくるのでしょう。
詮子は現時点で負けず嫌いなところが似ています。
詮子の悩み
道長は仕事中に呼び出させれたとぼやいています。
それはこの前も聞いたと詮子。
「だって道長しか心許せる人はいないんだもの!」
詮子は、円融天皇とそうできないんですね。彼女は帝の心をなんとしても、もう一度取り戻したいのだとか。
「えっ」と道長が驚いていると、彼女は切実に、懐仁の父であるだけでなく、私にとってただ一人の殿方、東三条には戻りたくないと訴えています。
さらには「この世の中に心から幸せな女なんているのか」と嘆くほど。み〜んな、男に翻弄されて泣いている。諦めきれない、力を貸してくれと頼みます。
道長が、自分にはそんな力がないと困惑しつつ、こう答えます。
「忘れられぬとは、何年経っても忘れられないものだ」
ただし、帝の心を取り戻す策はわからないと姉に返答すると……。
「道長! お前、好きな人がいるのね!」
途端にはしゃいでしまう詮子。道長の思い人を見てみたいと言い出し、私も頑張ろう!っと張り切っています。
詮子は寂しい。こんな他愛のない恋バナをしたいのに、誰も相手がいないのですね。ちょっとした雑談すら気兼ねなくできる相手がいない。
それにつきあえる道長も、この時点で只者ではありませんね。何か人を惹きつける魅力があるのでしょう。
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柄本佑さんが道長役なのがよくわかります。
いかにもキラキラした優等生タイプとは違うけれども、人間的な魅力がある。
『鎌倉殿の13人』での大泉洋さんでも思いました。こういう深みのあるタイプが女の人になぜか好かれると、なんだか「けしからん!」という気持ちが湧いてきて、忘れ難いものとなります。
鶏鳴狗盗
藤原為時は、息子の太郎を相手に漢籍の講義中。
今日は鶏鳴狗盗です。
鶏鳴狗盗(けいめいくとう)
鶏の鳴き声が得意な男と、犬のようにケチな盗人でも、孟嘗君は食客としていた。
この食客を活用したことで、窮地を乗り越えることができた。
つまらぬ才能の持ち主だろうと、重用すれば思わぬ役に立つ。
誰の話か?と父に問われ、「平原君?」と返す太郎。横で聞いているまひろが「孟嘗君」とボソリ。
不正解の息子に対し、為時は真面目にやれと怒ります。
やっているけど賢くない……と拗ねる太郎は、賢さは全て姉上が持っていったとやり場のない怒りをそらそうとしています。
それでも元服したら大学に入らねば、官位は得られないと父が諭しても、大学に入れないのも官位が低いのも自分ではどうにもならない、と諦めきっている太郎。
「明日まで『史記 孟嘗君列伝』を誦じておけ」
そう言い切って為時は講義の終わりを告げます。
太郎がまひろに正解を尋ねると、太郎……答えは為時が「孟嘗君列伝」と語っていたでしょう……どうにも彼は思考もゆるいようで、最終的には
「学問が好きすぎる姉上が気持ち悪い!」
とまで言い出します。
まひろが微笑みながら「漢詩や物語や和歌が好きなだけ、賢いぶんを全部持っていったわけではない」と答えます。
本当に純粋に好きなのでしょう。
一方、学ぶ楽しみが見出せない太郎は残念ですが、これは何事もそうですよね。
他ならぬ大河ドラマにしても、学ぶことが好きな役者さんやスタッフがいれば、そうでない人もいます。
撮影に時間がかかるからやりたくないと明かすとか。セリフがちんぷんかんぷんで覚えるだけだと語ってしまうとか。歴史はフィクションだの、必要最低限しか覚えないとか。そういう太郎タイプは大河に不向きですね。
本作は、漢籍の引き方がえげつない。なかなか皮肉な使い方です。演じる方たちも、見る方も、なかなか大変かもしれません。
孟嘗君は名君です。
とはいえ、この故事にしたって使い方次第。
兼家からみた為時が「鶏鳴狗盗」の類だとすればどうか。
つまらない才能の持ち主でも、飼っておけば使い物になる。
為時が磨いている才なぞ、兼家からすれば鶏の鳴き真似程度に過ぎぬとすれば、なんとも酷い話です。
忘れられぬ相手と再会する
まひろは代筆の仕事に出かけていきます。
すると以前の客だった麻彦が、歌を突き返されたとか。
まひろはショックを受けています。事情を聞けば、歌の中身が「別の女のことか?」と怒られたそうで、彼女は麻彦と桜を見たことがないそうです。
もっと話を聞いておけばよかったと悔やみながら、別の歌を詠むと言い出すまひろ。
二人で見た思い出の花は何か?と問うと、麻彦が夕顔だと答える。
『源氏物語』のオマージュが入っていますね。前回はまひろの小鳥が逃げたことが、雀の子が逃げたと紫の上が走ってきた場面をなぞっていたのだとか。今回は「夕顔」です。
そのころ散楽好きの道長が、お忍びで街へ繰り出しています。
テーマは女御同士の争い。
「孕め」「宿れ」「子を産みました」と連呼されます。
夜8時枠だから露骨な濡れ場はないものの、そこはかとなくエロスを漂わせたいという本作。艶笑のようなセンスがそこにはあります。
とはいえ、中身は姉をおちょくられているわけで、道長は笑っている場合でしょうか。
「弟よ! どうしたらいいの、助けておくれ!」
詮子を演じる者にそう迫られた道長も困惑しています。
代筆に向かおうとしているまひろは、石を踏んでしまいます。思わず蹴り飛ばしたところ、履物が脱げて飛んでいってしまい、道長に当たってしまう。
履き物を拾い、まひろに履かせる道長。
うーん、けしからん男だ!
相手の身分が低いとか。あるいは気づかないとか。履かせなかったら、それはもう道長じゃない。
道長はこういう何気ない親切心と、セクシーさが入り混じった罪な男なのでしょうね。女性と履き物には、どことなくエロチックな感覚があります。
いつも石を蹴るのかと道長が尋ねると、がっかりすることがあるとそうするとまひろが答える。と、彼女は、道長の足の傷に目をとめます。
「もしかして、足で字が書ける人?」
そう驚くまひろに、そういえば子どもの頃は自分の名前を足で書いていたと道長が答える。
「何を驚いている?」
「さ、三郎?」
忘れられぬ相手との再会に、二人は驚いています。
お前は一体誰なんだ?
「なんであの日来なかったんだ。菓子を持ってずっと待っていた。気がつけば月が空に見えたが、俺はずっと待っていた。なぜ来なかった?」
そう問いかける道長に、まひろは返します。
「あの日のことは思い出したくないの。だから話せない」
母が殺されたあの日、幼い頃の姿が挟まれます。
時を超え、まるで昨日のことのように、ありありと思い出す二人。
「まひろ、お前は一体誰なんだ?」
道長は困惑したように尋ねます。
忘れられない。もう一度会いたい。そんな気持ちにさせる相手が理解できず、素直に聞くしかない。
絵師の住所を伝え、そこで代筆をしていると答えるまひろ。
「いろんな人の気持ちになって歌や文を書く仕事。それは楽しい仕事なの」
吉高さんがいいですね。彼女はハスキーボイスを作り込まず、自然に出します。インタビューの時よりも滑舌はスッキリしているものの、無理に高くしない。
微笑む彼女を見て、道長は不思議そうに語ります。
「へえ〜、この世には楽しい女子もいるのか」
「三郎の周りは楽しくない人ばかりなの?」
「俺の周りのおなごは皆、さみしがっておる。男は皆偉くなりたがっている」
「三郎こそ誰なの? 偉くなりたい人?」
そう言ってから、三郎は名前しか書けないから偉くなれないなと笑い飛ばしている。まるで男のように笑うと道長がつっこみますが、口を開けて豪快に笑うところは、確かに男のようだ。
今日、男の声を出していたからだと彼女が答えると、三郎を呼んでいる従者の姿に気付きます。
「絵師のところに毎日いるのか?」
「毎日ではない」
「では、出会えるまで通う!」
こうグイグイ推してくるところが、なんとも悩ましい道長ですね。
「好きな人がいるなら、いい歌を作ってあげる!」
からかうように答えるまひろに返しておいて、歌は好かぬとだけ言い、三郎は去ってゆく――甘ったるいようで、皮肉な史実も見えてくる場面でした。
道長は名前しか書けないわけではないけれども、お手本にできない個性的な筆跡です。書道を嗜む人が見た瞬間、動揺するほど癖が強い。
為時やまひろの字は残っておりませんが、書道の根本知先生が綺麗な字をしっかりと生み出し、書いています。
なんで道長はあんなに変な字体なのか。まひろが言いたくなる気持ちもわかる。結局、名門なら、悪筆でも出世できるということか。
ちなみに科挙のある国の場合、悪筆はその時点で不合格となります。
そのため、基本的にエリートはある程度達筆になる。
紫式部よりやや後になりますが、科挙に合格し、官僚としても、詩人としても名高い蘇軾は、書道でも一流の人物です。
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お前とは務めだ、母としてだけ生きよ
内裏では数年ぶりに円融天皇が藤原詮子のもとへ向かうとか。
女房たちがヒソヒソと話しています。なんでも湯浴みもして、やる気満々なのだとか。
しかし現実は違いました。帝は、詮子の贈った和歌を突き返します。
「これはなんだ? 見苦しいことをするな。そなたは懐仁の母であるぞ、穢らわしい!」
詮子は動揺しつつ、かつての寵愛はついえたのか?と訴えかけます。穢らわしいことだったのか……と。
子を為すことが帝のつとめだと返す円融天皇。朕は真面目に務めただけで、もう忘れたのだ、そなたも忘れ、母として生きよ、国母となるやもしれぬ立場を忘れるなと念押しします。
詮子は訴えました。
「お上! 私は東三条殿に下がります」
「好きにせよ。ただし、懐仁は置いておけ。遵子とともに大切に育てよう」
残酷なことを言う帝。あまりに残酷なようで、『源氏物語』では光源氏もそうしています。
最愛の紫の上との間には子ができず、明石の君が産んだ子を、紫の上が育てる。文字通り「腹は借り物」にされる残酷さが伝わってきます。
帝にしてみれば、藤原兼家の増長を抑え込みたい意図はあるのでしょうが……。
どんな者でも、使い方次第だ
藤原兼家のもとには藤原為時が来ていました。
東宮である師貞親王の勉学の成果は、全くあがっていない。
なんでも昨日は、母親と娘と関係を持った話を延々としていたとか。似ているから見分けがつかないと、足で扇を広げつつ、おちょくるように語ってきたそうです。
痴れ者のふりをしているのか、まことの痴れ者なのか。帝になっても誰も付いてこないだろうと、困惑しながら為時が語ります。
すると兼家は、京都盆地を見下ろす山に藤原道兼を連れてゆきました。
ここから見下ろす景色が好きだそうです。
父に連れられ嬉しそうな道兼に、一族がここから見下ろし続けるためには、お前の力が必要だと兼家が語る。
一体何をさせる気なのか?と思えば……蔵人頭で、帝のそばにいる道兼に、陪膳(ばいぜん)の女房を手なづけさせ、帝の食事に薬を漏れと命じてきました。
命までは取らない。気持ちが弱るように仕向けるのが狙いだとか。
「そのような!」
愕然とする道兼に強い口調になる兼家。
「そのようなことを為すのはお前の役目だ!」
兼家は、6年前のちやは殺害を知っていました。揉み消していたのです。
高貴な者は自らの手で殺めぬ――その掟を破ったせいで、従者を殺す羽目になった。わしの手も穢れた。
道兼は観念したように「わかりました」と言うしかありません。しくじったら一族の命運は尽きるとさらに脅されてしまいます。
二人の姿に目をやれば、烏帽子が透けて見え、髻がわかりますね。本作の男性は、地毛で髻を結っている方もいるとか。
ここで東洋医学のトリビアでも。
一月のうちに書けてよかった話として「お屠蘇」があります。
日本古来の飲み物とされていますが、『三国志』でもおなじみの名医・華佗が作り上げたとされていて、不老長寿の酒というより要はハーブドリンクです。
ハーブを飲むことをありがたがるほど、当時は医学が未発達でした。それに中国由来ですので、為時のような文人貴族は蘊蓄を語り、気取りながら飲むことができるのですね。
この屠蘇を飲む風習は本場中国では衰退し、日本で残るという興味深い現象でもあります。
そんな東洋医学で「毒を盛る」となれば、「証」(体質)に反するものを敢えて飲ませればよいとなる。
たとえば高血圧で悩んでいる人に、「元気が出ますよ!」という効能のものを飲ませると、その成分がますます血圧を高めて体調を悪化させることがある。
そういう薬のようで、あえて毒になるものを飲ませることが東洋ドラマではお約束です。
まひろが代筆業にやってきています。絵師の作品にはおかしみがあると言うと、
「おかしきものにこそ、魂が宿る」
と絵師が答える。そこへ麻彦がやってきて、また歌をつき返されたと嘆いています。
まひろは、最初に突き返された時も、お代はいらぬと断ったほど真面目な性格です。何がいけないのかと悩み、相手についてもっと聞かせて欲しいと言います。
なんでも、やんごとなき家の女房で、学も深く、字も書けない麻彦は到底敵わない、身の程知らずと思われているかもしれないと悩んでいます。
まひろは困惑します。
代筆そのものが騙していることになっていたとは……!
嘘はいずれあらわになる。いっそ本当のことを言ってしまった方がいい。嘘を打ち明け詫びることで、かえって仲が深まるかもしれない。歌などいらぬ。まことの姿を見せろということではないか。
まひろは、そう告げ、幸運を祈っておると相手を送り出します。
この麻彦への助言が、全部自分に跳ね返ってくるようだ。
道長は気もそぞろで矢を外すし、まひろも三郎を思い出す。そんなすれちがいが募ってきます。
円融天皇の譲位
高麗人(こまびと)が筑前に来て、太宰府からの知らせによれば無事帰国した。
源雅信が円融天皇に報告しますが、具合が悪い様子。
隣にいる兼家は満足していることでしょう。
「高麗」(こま)とは一体なんなのか?
日本では、王朝が交代しても、そのまま呼び続けることがしばしばあります。しかも範囲が広い。
「高麗」は現在の朝鮮半島を指す概念として、長らく使われてゆきます。
中国は「唐」(から)です。
「高麗」や「唐」は判定が曖昧なので、例えば他国の人や物が、朝鮮半島や中国経由で届けても、そうなってしまったりする。
しかも、当時から輸入しなければどうにもならないものがありました。
例えば「檳榔毛(びろうげ)」の車。牛車の一種です。この「檳榔毛」とはヤシの葉です。
当然ながら京都近郊にあるはずなく、貿易で取り寄せねばなりません。
何かで代用したらいいんじゃないの?と言いたくなりますが、当時の貴族は慣習を守りたい性質ですので、結構な問題になったとか。
閑話休題。
藤原為時が、師貞親王に奸臣・趙高のことを解説しています。
しかし相手は相変わらず飄々とした態度で「内緒だけどいよいよ帝(花山天皇)になるみたいだ」と囁いてくる。
即位したら為時も引き立てる、式部丞に任じるとと語る東宮。
彼なりに為時に恩義は感じているようですね。
好き者として振る舞っているようで、俺だって見るところは見ていると語る東宮。
本郷奏多さんが、エキセントリックなところと、気品の入り混じった難役を見事に演じております。
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麻彦は思い人とともに、まひろにお礼を言いに来ました。
先生の言った通りだと麻彦は感謝し、相手の女性も嬉しそうな表情です。
世の中に通じている人はさすがだと語る二人に、まひろは通じていないと思いつつも、代筆もこれでは商売あがったりだと笑い飛ばす。
確かにこれはそうかもしれない。詮子だって和歌が逆効果でしたから。
縛られても、縄を切って出ていく
藤原為時は、約束通り花山天皇から式部丞・六位蔵人に任じられます。
するとここで使用人のいとが「姫にも身を慎んでもらわなければならない」とポロリ。
代筆稼業のことを父に告げてしまいました。
為時は激怒!
学者である父の顔に泥を塗るようなことをするな!とまひろを叱り、家での写本は許すが、代筆などあってはならんと頭ごなしに怒鳴ります。
代筆は私が私でいられる場所だ反論するまひろ。
家では死んでいるのに、あそこでは生きていられる。いろんな人の気持ちになって歌を詠んでいると、6年前のことが忘れられる。母と私を裏切った父のことを忘れられる。そう語ります。
しかし為時も引いてられません。6年前のことを持ち出せばなんでも怖気付くと思うなと返す。
見張りをつけると言われると、まひろは怒ったように反論します。
「縛られても、必ず縄を切ってでも出て行きます! 父上のいうことなぞ私は聞かない!」
面倒臭い。可愛げがない。そんなまひろの魅力全開ですね。
有名な文学者だし、ドラマでは母の死という悲劇も絡んでいます。
けれども根底にある動機は、執筆欲です。
受験勉強をしていようが、趣味も同時進行したい。そんな現代にいる少女にも通じそうな願いがいいですね。
試験の前だろうが好きな本を読んでしまっていた、そんな気持ちを思い出します。
乙丸が監視につけられるも、まひろは工夫をして突破。出かけて行きます。
しかし為時は絵師にも話をつけていて、その直後に道長がやってきて追い返される。
しかも間の悪いことに、検非違使に捕まってしまった。
検非違使に追われて逃げる人を助けるため、まひろが嘘をついて指さしたところ、たまたま姿かたちが似ていた道長が捕らえられてしまったのです。
「その人じゃありません! 待ってください、違うんです!」
大慌てでまひろが叫びますが、道長は完全に取り押さえられていて……さぁどうなる?
MVP:藤原兼家
前回の時点でかなり悪い奴でした。息子の藤原道兼のように手を汚さないぶん、より悪辣な人物像が浮かんでいた。
彼は脅しのプロであり、徹頭徹尾、人を駒にして平気なタイプなんだなぁ……と、鶏鳴狗盗を悪い意味でフル活用している。
娘娘は、将来の天皇を産む腹。二男には汚い仕事を押し付ける。孫すら人質。今上帝も東宮も邪魔。
他人である為時なんて、それこそ使いたいだけ使ってポイッ!でしょう。
それなのにどこか魅力があることも確か。
悪役とはひとさじの茶目っ気も欲しい。段田安則さんが実によい味を出しています。
モテそうな雰囲気があることは確かです。藤原道綱母だって、兼家の魅力を知っているからこそ、『蜻蛉日記』を全力で書いてしまったのでしょうし。
ドラマが後半に入り、兼家のことを嫌だと思っていた周囲の人物たちも、だんだん似てくる様も描かれるのでしょう。
兼家の悪辣さは、家父長制そのものでもある。そこに組み込まれていけば、誰しも染まっていくもの。その様が楽しみです。
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諫言も楽しめる安心感
為時もまひろも愛読しているに違いない『貞観政要』。この本の要点は、諫言こそが大事だという点にあります。
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魏徴という諫言のプロが、唐太宗に延々と「それはどうでしょう?」とダメ出ししているのです。
ドラマに対しても、諫言が飛び交うファンダムが好ましいと思います。
全体的に品質が高い本作でも、屏風に弁髪の人が描かれているようなミスはあります。
それ以外にも、三男ではなく、異母兄がいる道長が「三郎」でよいのか?とか。
道兼の殺人はあまりにやりすぎではないか?とか。
そういう批判を共有しあい、話し合う場があるのは非常に健全でしょう。
本作は公式サイトやSNSの情報発信も行き届いています。
◆ちなみに日記には… 大河ドラマ「光る君へ」第1回より(→link)
こんなコーナーは必読ですね。
大河に関わる女は皆幸せになれない!
そう、詮子のように言っておきます。
批判や諫言の中にも、悪い性質のものもあります。いつの時代だって、理屈の通らぬ諫言は歓迎されない。
本作については、どうにも女性脚本家を偏見で語るような批判が散見されて気になっています。
道兼のちやは殺害については、私は前回の時点では許容寄り保留でした。
今後のプロット次第だろうな?と感じたからです。
ルール違反だとわかって敢えて少しはみ出して書いていることが、今回(2回目)の放送で明かされました。
兼家と道兼の場面ですね。
ならばアリではないでしょうか。時代もので、女性主人公親族の死をプロットに組み込むことは、盛り上げるためにはありえる演出では?
そして、以下が私にとって最大の理由です。
はみ出し具合という点であれば、『鎌倉殿の13人』の善児のほうが、アウトよりだと思えます。
同じ暗殺者を長いこと使い続けることにはリアリティがありませんし、実在の人物をああも殺しまくるのは、大河でよいのか?というと、難しいところでしょう。
三谷さんはなかなかギリギリのところへ球を投げてきます。
そのうえで、同じことを女性脚本家がした時の方が、叩かれやすい気配をどうしても感じてしまいます。
大石さんはあけっぴろげで、インパクトのある発言も多い。作風よりもそういうキャラクター性に苛立ち、SNSで過剰に書き込む流れがあるかもしれない。それをとりあげたネットニュースも出るかもしれない。
製作者はそこを見通して選んだのかもしれないけれども、私はどうしてもその危険性が気になっています。
例えば大石さんは、『枕草子』よりも『源氏物語』の方が奥行きや政治批判があってよいと語っていました。それをこういう悪意ある解釈をする人も出てくる。
「あいつは『枕草子』の価値もわからない、清少納言をバカにした!」
ちゃんと読めばそうはなりませんよね。彼女に向けられる批判って、生意気ででしゃばった女をとっちめてやりたい、そういう卑小な臭いがするのです。
大石さんは、個人的には何の感情もありませんでした。
けれども、率直でスカッとした物言いをするところまで含めて、敬愛すべき方だと思うようになりました。
インタビューを読んだり聞いていても、嘘のない、まっすぐな思いを語っているなぁと感じる。
嫌われたくなくて、無難でよい子ぶったことしか言わない人とは違います。嫌われる勇気があると思います。
まひろは嫌われる女になるだろうけど、だがそれがいい
まひろも、嫌われヒロイン要素が詰まっています。
賢い。
身分が低い。
男に対しても容赦なくダメ出しをする。
まひろよりもおとなしい『麒麟がくる』の駒のことも、また考えてしまいます。駒があんなにしつこく叩かれたのだから、まひろもそうなるかもしれない。そんな駒について語ると、思わぬミソジニーを観察できてしまうのです。
私の駒擁護に対し、こんな意見を見かけました。
「駒は現代人みたいだから嫌いなんだってばw 将軍の愛人でもないくせに、意見をズバズバ言うとかお姫様気取りでしょw」
駒の願いとは、貧民にも医療含めた生活保障をすることでした。お姫様の願いってそういうものでしたっけ?
そしてこの意見から、今何かと話題の「女性上納システム」とは何か?というのが透けて見えました。
女が意見を通したいなら、えらい男、アルファオスに性的奉仕せよと。
そういう意識を持つ人を、大河ドラマの話から見出せるとは思いませんでした。
女嫌いからの決別を
さて、そうした前置きの後、この時点で見られた「大河ドラマとミソジニー」について触れたいと思います。
まずはこちらの記事に注目。
◆志尊淳、佐藤健でテコ入れも?NHK大河『光る君へ』超低空スタートで憶測「吉高由里子さんが登場すれば」関係者は強気だが…(→link)
◆NHK大河「光る君へ」はイケメンてんこ盛り!吉高由里子じゃ盛り上がらないとNHK仕込み(→link)
論旨をまとめると、「女はイケメンが好きだから投入しとけ!」というものです。
女はバカだからイケメンでしか気が引けないという偏見丸出しであり、後者の記事は、早速、吉高さんを貶めていて、より悪質です。
この記事はメイン読者である中高年の苛立ちを掬い取るように書いているのに、「女はこういう女が嫌いだからさ」と原因を女のせいにしているのです。
だいたい、どうしてこの人ら、男女ともに受信料は同額なのに、勝手に大河は男のものだと所有権を有するような言動をするのでしょう?
いつ、誰が、何の根拠でもって、そんなことを決めたのか。
こういうことを言い出す人は、女が喜ぼうが、嫌がろうが、どのみち貶すのでは?
現在は、海外の配信サービスでも、アルゴリズムから「性別」を不採用にしています。
男女間の差は、そこまでないと証明されつつあるのです。
そもそも「戦! エロい女! 戦国時代!」という男の子大好き欲張りセットを展開した2023年が大失敗しているじゃないですか。
いいかげん、ボーイズクラブは時代遅れだと気づいて欲しい。
若い女性層を殴り続けて何を言うのやら
このドラマは大河史上初回最低視聴率を記録しました。
覚悟はできていたと思います。まず、題材発表の時点でシーンと静まり返ったと、大石さんも振り返っているほどですから。
そしてこんな分析が出ました。
◆NHK『光る君へ』初回で躓き、マーケティング失敗か 大河最低の視聴率を記録、狙っていた若い女性層が離反(→link)
当然の帰結でしょう。
大河という時点で、はなから若い女性は避けています。
マーケティングの話でもない。ましてや本作だけのせいでもない。
大河という枠そのもの、ひいては日本史周辺までもが、若い女性を蹴散らすようなことをここ10年ほど続けています。
2008年『篤姫』の大成功は、本当の意味での女性向け大河を作り出すための偉大な一歩でした。
しかし、二歩目が続かない。
2011年『江』は、『篤姫』の勝因を見誤りました。
セレブがイケメンと結婚する話を、同じ脚本家で書かせたらよいだろう――そんな表層的な要素をそのまま使おうとして失敗していました。
2013年『八重の桜』は、思えば至極まっとうな女性向け大河を目指していたと思います。
むろん、震災復興枠のために福島県を選んだという要素がありますが、それだけでもありません。
八重は戦場に立ち、明治以降は女子教育に尽力する偉大なるパイオニアでした。
しかし、この作品にもおかしいところはある。
当初は、幕末は銃で戦った八重が、明治以降は知識を武器に戦うという枠組みで話が進んでいたことが、初期の番宣資料からわかります。
それが明治以降、どうにもおかしくなる。
八重は家事能力が高い女性であったことは確かです。しかし、夫を支える面ばかりがクローズアップされ、気の強さや頑固さはかなり下方修正されました。
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そして2015年の『花燃ゆ』はコレだ。
「松下村塾には、おにぎりを握ってくれる松陰先生の妹がいるぞ!」
一体何を考えているのか。キャッチコピーの「幕末男子の育て方。」の絶望的な酷さよ。
育てるどころかテロリストになったり、死んでしまう男子もいる。そのくせ「若い女性はこういうのが見たいんでしょ!」と押し付けがましい。
このドラマは大変なことをしでかしました。
宮村優子さんは歴史に造詣が深く、素晴らしい脚本家です。
なまじ誠意があればこそ、選ばれたともいえる。そしてだからこそ、テロ要素をきっちり描いてしまったともいえる。
彼女ほどの逸材を、こんなドラマに使い、途中降板させた罪を思い出すたびに、私は怒りに震えます。主演の井上真央さんも気の毒でした。
2018年『西郷どん』は、モテだのBL推しだの、求めていない女性向け要素が持ち出されました。
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2019年『いだてん』は、偽装上手で浅いジェンダー観だからたちが悪い。
人見絹枝の描き方はよいようで、実はそうでもない。彼女は日本のスポーツ界に利用され、過労死に追い込まれたようなものです。
「東洋の魔女」だって、指導はセクハラじみていて美化してはいけないものでしょう。
2021年『青天を衝け』は、女性をおちょくるという意味では、大河史に残る凶悪さを秘めた作品。叩けば叩くだけホコリが出ます。
そもそも資本主義とフェミニズムは、対立関係にあります。
女性の担うケアワークを無償労働扱いすることで、家に縛りつけ、企業にとって都合のいいシステムにする。そういう女性を踏みつけにして利益を追い求めるシステムが資本主義です。
それなのに日本の資本主義の父を讃えろとは、何を言っているのか。このドラマは、若い女性に「肉屋を絶賛する豚にはなれ」と言いたいのでしょうか?
それでもこのドラマは偽装工作だけは一流でした。
これまたジェンダー論点からいくと大問題。それでも話としては口当たりのよい『あさが来た』から脚本家を引っ張ってきました。
あれほどの才知と度胸を誇る広岡浅子を「ぴっくりぽんのかっぱー」と叫ぶ残念な女性にするわ。五代友厚や夫にすがらないとピンチを切り抜けられないほど性能を低下させるわ。
相当な問題作だと思います。
ともかく、そういう成功した優等生的な脚本家を起用する。
そして全ての女性が面倒臭い性質でもありません。
イケメンやエロ要素を持ち出されると、空気を読んではしゃぐ人だって大勢いるものでして。
『青天を衝け』は、未成年の主人公が無駄に下着一枚になったり。留守を守ってきた妻と再会後、気遣うどころか子作り宣言をしたり。
ハラスメントとサービスが噛み合った場面が豊富でした。
そういう場面ではしゃぐ様をSNSで投稿すれば、満足感は得られるかもしれませんが、そこからはみ出した視聴者、ましてや若年女性にとっては悪夢そのものでしょう。
撮影時はアドリブで咄嗟にキスシーンがあったとも報道されました。
撮影時に性的同意を無視したのでしょうか。あまりに良識がないのでは?
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2023年『どうする家康』は、主演がアイドルというだけで女性サービスをしたつもりになっています。
しかし、40代男性アイドルや、暴力的なBL描写は、果たして若い女性層に届くサービスだったのでしょうか? それどころか、女性受けという触れ込みのジャニーズ投入が裏目に出てしまいました。
◆ ジャニーズ帝国崩壊を象徴する「どうする家康」の失速 2024年は「テレビの予定調和」が壊れる年に?(→link)
要するにここ10年の大河ドラマは、若い女性に対して散々セクハラを働く、おじさん上司のような枠になっていたのです。
「あれ〜? 若い女子ちゃん来ないのカナ? おじさんが歴史を教えてあげるのにな!」
「ですよね〜、ホント、最近の若い子って空気読めないっていうかぁ」
それがどれだけの損失か、考えたほうがよいでしょう。
今年は、そのことを踏まえていると思えます。
大河は今、変革の真っ只中
本作は、十分に意識しているのでしょう。
そうとわかる記事がございます。
◆ 「光る君へ」内田ゆきチーフ・プロデューサー苦労語る…何が平安の人の心を支配していたか1回あたり2時間考証(→link)
「例えば中国や韓国の時代劇で、人物関係を知らずに見ても、その人の真心や喜び、悲しみが伝われば楽しめる。朝廷を舞台にした権謀術数や愛の泥沼も、細かな感情を描けば必ずや楽しんでいただけるものになる」と確信している。
内田CPは、海外、しかもアジアの時代劇を意識しています。
その狙いは想像がつきます。
今、中国や韓国の流行を見ていると、若い女性が時代劇にハマっていて、分厚いファン層を形成している。
アプリにも反映されていて、中国時代劇なりきりゲームは定番です。
こういう層を掘り起こす重要性を感じているのではないでしょうか。
日本のコンテンツ産業も、ここを耕さないと、かなり危険な状況になるはず。
華流ドラマ『陳情令』がブームになった結果、中国史でも屈指の難易度を誇る魏晋南北朝の人気が高まっているとか。
確かに中国書籍の書店に行くと、知識を求める読者に向けて、かなり本格的な本が並んでいます。
しかも、ターゲットは若年女性層であることは、書籍を宣伝するポップからわかります。
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佐藤信弥先生の『戦乱中国の英雄たち』は、帯に大きく『陳情令』の写真を使うことにしたそうです。
昔だったら『三国志』の英雄が掲載されそうなところを、今は若い女性層を狙ったマーケティングが効くと。
中国エンタメ特集を扱った文芸誌「すばる」2023年6月号は、あっという間に売り切れ、初の増刷がかかったほどです。
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本来、日本史沼へやってきそうな女性層が、今ものすごい勢いで東洋史に流入している。
これは早急に対処せねばならないのでは?
もっと暗く深刻な話をしますと、歴史に興味のある女子高生が、進路から日本史を外し、別の歴史にする傾向があるとするアンケート結果を見たこともあります。
歴史が好きな女性は一定数存在する。実際、歴史への興味関心においては男女差は出ないとされています。
でも日本史周辺にある、ミソジニーが嫌だから、大河は避けるし、むしろ別の国の歴史にはまる。
こういう女性が増えることは、大変深刻な問題でしょう。
そこへ歯止めをかけるために、強いハートと剛腕を持つ女性脚本家、敢えて挑む時代で、2024年と2025年は果敢な挑戦をしてきているのだろうと私は思います。
海外目線への意識、ジェンダーについても重要です。
言うまでもなく、『源氏物語』は世界規模で人気を誇る作品です。
海外のファンも、今年の大河ドラマは興味深く見守っていることが伝わってきているし、海外展開も歓迎されるのではないかと思える要素が本作にはいくつもあります。
例えばこのドラマでは、女性たちが男性の身勝手を嘆きます。こういう女性の苦悩を描くことこそ、海外展開を狙うならば避けられないところ。
実は華流にせよ、韓流にせよ、ジェンダーも女性受けしている重要な要素です。
そういう現実から目を逸らしたい層は「どーせイケメン目当てだろw」と語りがちですが、見誤ってはいけません。
反面教師は2023年です。
初回からヒロインをトロフィーにして、男同士が取り合うような残念ドラマは、その時点で振り落とされます。
昨年は本当に酷く、あくまで私の観測範囲ながら、中国や韓国のファンは全く買っていません。
日本には悪いことを隣国に押し付ける癖があるようですが、昨年の大河は中国や韓国から失笑されています。
むしろ影響を真面目に受けていたらあんな惨状になっていないと指摘しておきます。
◆ 専門家から見た大河ドラマ『どうする家康』に感じた、韓国・中国ドラマの影響(→link)
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人の心を描き、問題提起をしていくこと。
そこに敢えて挑んでいるにもかかわらず、シャイなようで、大口は叩かない。
そんなまひろに似ている本作の個性と勇気に、私は大きな期待を抱いています。
💟 『光る君へ』総合ガイド|紫式部の生涯・宮中・平安文化を網羅
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【参考】
光る君へ/公式サイト



















