秋に男たちが雁皮(がんぴ)を集め、冬になると女がすく――劇中で実際に紙すきをしている方は、現役の越前紙職人です。
大河ドラマにはこうした現代の伝承者が出ることもあり、素晴らしい取組ですよね。
藤原為時は職人たちを励ましつつ、その様子を見つめて感心しています。
まひろが嬉々として物欲しげな目をしているのも当然、現代の書道家も愛する銘品「越前紙」を漉く場面です。
本作は、文房四宝じっくり描くのがいい。
紙は材料が何であるか。かな向きか。漢字向きか。様々な書類があります。
昨今話題の中国通販アプリの特徴として、アメリカ資本との違いに「文房四宝」の充実っぷりが挙げられます。
ただし、翻訳が不十分で、届くまで一体何なのかハッキリしないところが難点。
そんなギャンブル要素も含めて、試してみる価値はあるかもしれませんよ。
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定着しきった贈収賄
まひろは「艶やかな紙だ」と、やはりうっとりしています。
一枚いただきたいと言うと、為時から即座に「ならぬ」と返され、ムスッとした表情に……。
租税だから全て都に送ると父に言われては、まひろも反論できません。
冬場の辛い手仕事に対し、重い租税をかけることに為時は心を痛めています。
なんでも毎年、定量を収めているとか。
と、そのとき為時は気づきます。決められた租税より、納められた紙の枚数が多いではないか。越前紙は2,000枚のはずが、2,300枚あるぞ。
まひろは「納税後に残った紙を売って儲けていたのだ」と推理します。為時も気づき、娘を褒めます。
国守である為時も気づかないわけがなく、余分な紙は返すときっぱり!
返すくらいなら……と欲しがるまひろをピシッとたしなめると、「そのちゃっかりした考え方は宣孝に吹き込まれたのか?」と訝しんでおります。
まひろは即座に否定するものの、どうやら為時は娘と宣孝の仲に納得できないこともあるようです。かつては父の政治的妥協に憤っていた娘が、今や父の潔癖さからはみ出すようになりました。
しかし、為時が紙を返すというと、肝心の相手は「今のままで良いです」と怯えています。
嫌がらせを受けないように目を光らせるから、安心して欲しいと為時が言っても、事はそう単純ではないようで……。
できた紙を都に運ぶことができないからには、そのお礼だとのことです。国守として搾取はならないと伝えても、一向に折れる気配はありません。
「おそれながら……四年で都にお帰りになる国守様にはおわかりいただけますまい。どうか、そのままにしておいてください」
そこまで言われ、さすがに為時も諦めるしかない。
このシーンは、日本における贈収賄文化の悪しき一面を映し出しているのかもしれません。
強制はしない。
けれども協力すれば見返りがある。
そう圧力をかける手段は日本史上しばしば見られます。
たとえば来年の『べらぼう』で渡辺謙さんが演じる田沼意次は、彼一人が極端に贈収賄に励んでいたわけでもありません。
当時の幕政でも、話を通すとなればお礼のような感覚で贈収賄をする。それが潤滑剤になっていた。
歴史とは自分たちの足元がどう積み上げられてきたのか、振り返る意味もあります。
日本の悪き贈収賄文化や慣習をどうすべきか。悪い点はどこにあるのか。考えてみるのもよいのではないでしょうか。
まひろの帰洛
まひろは宣孝から手紙を受け取り、彼のことを思い出しています。
道長も月を見て、物思いに耽っている。
為時が自宅に戻り、出迎えるまひろ。
「わしは世の中が見えておらぬ」
そう暗い顔をしております。
宣孝は清濁併せのむことができるから、太宰府でもうまくいっていたのだろう。まひろもそんな宣孝に心をとらえられたままだと嘆いております。
その上で、宣孝は妻も妾もいるから傷つくとまひろに注意しながら、自分でよく考えてみるよう言う。
つまり、都に戻れということです。
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まひろは京都へ向かいます。
船に揺られながら「誰を思って都に帰るのか……」と自ら問いかけている。
そのころ道長は、倫子との間に生まれた我が子を抱き上げ、あやしていました。
すっかり子沢山のよい夫、父となっておりますね。こんな道長にも会いたくて戻るのか、そうでないのか。
まひろが家に着くと、いとが出迎えました。
弟の藤原惟規は「父と喧嘩したのか?」と軽口を叩いています。
まひろは、そんな弟に「ちゃんと勉学に励んでいるのか?」と問いかけます。
ぼやく惟規。
「父はもう一人で大丈夫だから帰ってきた」とまひろが事情を明かすと、眼の前に見慣れぬ男がいるではないですか。
いったい誰なのか?
と、聞けば、いとのいい人ではないですか!
いとと福丸、乙丸ときぬ、その幸せ
まひろは戸惑い、思わず「帰ってこない方がよかったか?」と言い出します。
いとは即座にそれを否定。男には他に妻がいて、たまーに、たまーに、来るだけだのようです。
福丸というその男。まひろに気遣って帰ろうとしますが、「別に帰らなくてよい」と引き止めると、アッサリ身を翻して邸の中へ戻ってくる。
姉上の荷物を運べと惟規がいうと、いとと二人でせっせせっせと運び出します。
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惟規はしみじみとしている。いとは俺だけがいればいいと思っていたけど、違ったんだなぁ……。
いとも耐えてきたから許してやろうと惟規が続けると、許すもなにも、乙丸もいい人を連れて帰ってきたことをまひろが告げます。
それがきぬでした。
世話になった人には幸せになって欲しいとまひろ。乙丸もよかったですね……と、そこへ。
「帰って参ったのだな」
藤原宣孝がやってきました。
いつの間にか聞きつけていたようで、彼は親切なおじさんモードから、セクシーな求婚者にすっかり様変わりしております。
佐々木蔵之介さんの、なんという演技力の素晴らしさでしょうか。今までも十分素敵だったのに、今は玉を磨いたような艶が出ております。
宣孝は酒を持ち込んでおり、まひろが帰ったことを祝しての宴が催されます。
朗々と催馬楽を歌う宣孝。
催馬楽は俗謡で、くだけた音曲です。宴会で歌われるようなもので、当時の人からすればセクシーでもある。たとえば「関」は女性の貞操の婉曲表現ですね。
まひろと宣孝、いとと福丸、乙丸ときぬ。
彼らにとってはこれからを盛り上げるロマンチックな宴です。
しかもここで、宣孝は扇で顔を隠したり、出したりしながら、まひろに色目を使うのだからたまらない。
惟規が「俺はどうすれば……」と困惑するのも当然でしょう。
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