越前名産「紙すき」の場面です。
秋に男たちが雁皮(がんぴ)を集め、冬になると女がすく――劇中で実際に紙すきをしている方は、現役の越前紙職人です。
大河ドラマにはこうした現代の伝承者が出ることもあり、素晴らしい取組ですよね。
藤原為時は職人たちを励ましつつ、その様子を見つめて感心しています。
まひろが嬉々として物欲しげな目をしているのも当然、現代の書道家も愛する銘品「越前紙」を漉く場面です。
本作は、文房四宝じっくり描くのがいい。
紙は材料が何であるか。かな向きか。漢字向きか。様々な書類があります。
昨今話題の中国通販アプリの特徴として、アメリカ資本との違いに「文房四宝」の充実っぷりが挙げられます。
ただし、翻訳が不十分で、届くまで一体何なのかハッキリしないところが難点。
そんなギャンブル要素も含めて、試してみる価値はあるかもしれませんよ。
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定着しきった贈収賄
まひろは「艶やかな紙だ」と、やはりうっとりしています。
一枚いただきたいと言うと、為時から即座に「ならぬ」と返され、ムスッとした表情に……。
租税だから全て都に送ると父に言われては、まひろも反論できません。
冬場の辛い手仕事に対し、重い租税をかけることに為時は心を痛めています。
なんでも毎年、定量を収めているとか。
と、そのとき為時は気づきます。決められた租税より、納められた紙の枚数が多いではないか。越前紙は2,000枚のはずが、2,300枚あるぞ。
まひろは「納税後に残った紙を売って儲けていたのだ」と推理します。為時も気づき、娘を褒めます。
国守である為時も気づかないわけがなく、余分な紙は返すときっぱり!
返すくらいなら……と欲しがるまひろをピシッとたしなめると、「そのちゃっかりした考え方は宣孝に吹き込まれたのか?」と訝しんでおります。
まひろは即座に否定するものの、どうやら為時は娘と宣孝の仲に納得できないこともあるようです。かつては父の政治的妥協に憤っていた娘が、今や父の潔癖さからはみ出すようになりました。
しかし、為時が紙を返すというと、肝心の相手は「今のままで良いです」と怯えています。
嫌がらせを受けないように目を光らせるから、安心して欲しいと為時が言っても、事はそう単純ではないようで……。
できた紙を都に運ぶことができないからには、そのお礼だとのことです。国守として搾取はならないと伝えても、一向に折れる気配はありません。
「おそれながら……四年で都にお帰りになる国守様にはおわかりいただけますまい。どうか、そのままにしておいてください」
そこまで言われ、さすがに為時も諦めるしかない。
このシーンは、日本における贈収賄文化の悪しき一面を映し出しているのかもしれません。
強制はしない。
けれども協力すれば見返りがある。
そう圧力をかける手段は日本史上しばしば見られます。
たとえば来年の『べらぼう』で渡辺謙さんが演じる田沼意次は、彼一人が極端に贈収賄に励んでいたわけでもありません。
当時の幕政でも、話を通すとなればお礼のような感覚で贈収賄をする。それが潤滑剤になっていた。
歴史とは自分たちの足元がどう積み上げられてきたのか、振り返る意味もあります。
日本の悪き贈収賄文化や慣習をどうすべきか。悪い点はどこにあるのか。考えてみるのもよいのではないでしょうか。
まひろの帰洛
まひろは宣孝から手紙を受け取り、彼のことを思い出しています。
道長も月を見て、物思いに耽っている。
為時が自宅に戻り、出迎えるまひろ。
「わしは世の中が見えておらぬ」
そう暗い顔をしております。
宣孝は清濁併せのむことができるから、太宰府でもうまくいっていたのだろう。まひろもそんな宣孝に心をとらえられたままだと嘆いております。
その上で、宣孝は妻も妾もいるから傷つくとまひろに注意しながら、自分でよく考えてみるよう言う。
つまり、都に戻れということです。
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まひろは京都へ向かいます。
船に揺られながら「誰を思って都に帰るのか……」と自ら問いかけている。
そのころ道長は、倫子との間に生まれた我が子を抱き上げ、あやしていました。
すっかり子沢山のよい夫、父となっておりますね。こんな道長にも会いたくて戻るのか、そうでないのか。
まひろが家に着くと、いとが出迎えました。
弟の藤原惟規は「父と喧嘩したのか?」と軽口を叩いています。
まひろは、そんな弟に「ちゃんと勉学に励んでいるのか?」と問いかけます。
ぼやく惟規。
「父はもう一人で大丈夫だから帰ってきた」とまひろが事情を明かすと、眼の前に見慣れぬ男がいるではないですか。
いったい誰なのか?
と、聞けば、いとのいい人ではないですか!
いとと福丸、乙丸ときぬ、その幸せ
まひろは戸惑い、思わず「帰ってこない方がよかったか?」と言い出します。
いとは即座にそれを否定。男には他に妻がいて、たまーに、たまーに、来るだけだのようです。
福丸というその男。まひろに気遣って帰ろうとしますが、「別に帰らなくてよい」と引き止めると、アッサリ身を翻して邸の中へ戻ってくる。
姉上の荷物を運べと惟規がいうと、いとと二人でせっせせっせと運び出します。
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惟規はしみじみとしている。いとは俺だけがいればいいと思っていたけど、違ったんだなぁ……。
いとも耐えてきたから許してやろうと惟規が続けると、許すもなにも、乙丸もいい人を連れて帰ってきたことをまひろが告げます。
それがきぬでした。
世話になった人には幸せになって欲しいとまひろ。乙丸もよかったですね……と、そこへ。
「帰って参ったのだな」
藤原宣孝がやってきました。
いつの間にか聞きつけていたようで、彼は親切なおじさんモードから、セクシーな求婚者にすっかり様変わりしております。
佐々木蔵之介さんの、なんという演技力の素晴らしさでしょうか。今までも十分素敵だったのに、今は玉を磨いたような艶が出ております。
宣孝は酒を持ち込んでおり、まひろが帰ったことを祝しての宴が催されます。
朗々と催馬楽を歌う宣孝。
催馬楽は俗謡で、くだけた音曲です。宴会で歌われるようなもので、当時の人からすればセクシーでもある。たとえば「関」は女性の貞操の婉曲表現ですね。
まひろと宣孝、いとと福丸、乙丸ときぬ。
彼らにとってはこれからを盛り上げるロマンチックな宴です。
しかもここで、宣孝は扇で顔を隠したり、出したりしながら、まひろに色目を使うのだからたまらない。
惟規が「俺はどうすれば……」と困惑するのも当然でしょう。
天災に見舞われる歳となる
ときは長徳4年(998年)――安倍晴明は帝の御前にて寿ぎ(ことほぎ)の言葉を、立板に水の勢いで語ります。
帝も微笑み、めでたい新年のようで、一人道長だけがどこか暗い顔をしている。
これが柄本佑さんを彼に起用した意味だと思います。彼は無表情であっても、何か秘めているような顔つきになるのがいい。
道長は晴明を追い、人払いをしてまで何か尋ねています。
晴明の新年の言葉が真実でないと疑いをかけます。
「見抜かれましたか」
「やはりそうか」
これからしばらくは凶事が続くと言い、口ごもる晴明を前に、道長は思い当たる限りの凶事を羅列します。
地震か。
疫病か。
火事か。
日食か。
嵐か。
大水か。
「それら全てにございます」
道長は呆気に取られつつ、それらを防ぐために邪気払いをしてくれと告げます。
「災いの根本を取り除かねば、何をやっても無駄にございます」
根本とは、帝でした。帝を諌め、国が傾くことを妨げるお方は左大臣様しかおられないと語る晴明。
どうせよというのか?
道長がそう問い返すと、晴明は“御宝”を使うように言います。はっきり言えと迫っても、晴明はよーくお考えなされよと去ってしまいました。
傾国の美女と化した定子
御宝とは一体なんなのか――この謎かけは、藤原公任や藤原為時、そしてまひろならば即答できそうなところです。
国を傾けるもの。そして今、帝が政治を放置してまで溺れているものといえば、美女です。
その美女から帝を引き離す“御宝”とは、別の美女ということになります。
これが血筋を問わずに寵姫を選べるのならば、美女コンテストでも開催するところでしょう。中国四大美女の一人である西施は、そうして選ばれました。
しかし、日本はそうならない。
帝の妃とならば血統が大事であり、消去法で探していくと、道長しかその“御宝”を有していない。
道長はそこまで勘が鋭くありませんので、ヒントを求めているのです。
晴明は道長の知識をふまえ、ギリギリのヒントを出しました。
これ以上わかりやすくすると、何かあったときに勘ぐられてしまう――つくづく世渡りがうまい人物ですね。
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そのころ帝は職御曹司(しきのみぞうし)で、最愛の定子を腕に抱いていました。
定子はかつてのような寵愛は望まず、自身と娘、そして帝の三人がそばにいられればよいと望みを語ります。それだけで十分だと。
それでも帝は、定子を幸せにしたい。華やいだ顔が見たいという。
雨を帯びた梨の花のような顔を、咲き誇る桜にまで戻したいのでしょう。
帝は時間を巻き戻したい。かつてのような華やかな愛を甦らせたい。
定子は弱々しく反論しようとするものの、帝はかぶせるようにして伊周を呼び戻して顔を見たいと言います。
定子は喜ぶどころか、内裏の反感を買うと怯えています。帝は誰にも何も言わせぬと言い、定子に身を重ね、反論を封じてしまいます。
そんな愛し方ができるのは、結局のところ、いとと福丸や乙丸ときぬのような人々だけなのですよね。
帝は背負うものが大きすぎて、愛で相手を潰してしまいかねません。
気ままに愛し合えない身分制度の酷さを感じます。
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隆家の自信
藤原道長が焦燥感にかられた苦悩の表情を浮かべています。
「勅命はまだおりんのか!」
蔵人頭の藤原行成をそうどやしつけているのは、大水が出てからは遅いから、とのこと。
まだ雨季ではないと、帝が事態を先延ばしにしているため話が進まない様子。
あれほど民のことをお考えであった帝がどうしたものか。情けないと道長は悔しがっています。
そしてここが道長の欠点でもあるのでしょう。藤原行成にゴリ押しするだけです。
もしも父の藤原兼家や、姉の詮子ならば、同時進行で複数の手を使ったことでしょう。
するとそこへあの「さがな者」の藤原隆家が、狩りにでも行かないか?と誘ってきました。
狩りとは……。
音曲でも和歌でも漢詩でもない。蹴鞠や打毱ですらない。完全に武者向きですね。
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道長が、そんな隆家に「職御曹司には行かんのか?」と尋ねると、「あそこは虚だ」と答え、さらには遊びより政がしたいと言い出す隆家です。
これは使えそうな人材が向こうから網に飛び込んできましたね。
なんでも隆家は、出雲は遠くて知らない者ばかりでどうなることかと不安だったものの、出雲守より土地の者たちと深い付き合いができたそうです。
こう見えて人身掌握に長けている、と嬉しそうな隆家。
確かに今年の大河ドラマの中で、『鎌倉殿の13人』の和田義盛と猪鍋をつついて盛り上がれそうなのは、彼くらいの気がしますね。
道長は己を買い被りすぎではないかと言うものの、買い被りかどうか試して欲しいとアピール。必ず叔父上の役に立つと熱心に言います。
「気持ちはわかった。今日は下がれ」
こう語る時の道長は、呆れるどころか、ちょっとあたたかい光が目にあります。
笑顔で「また参る」と宣言する隆家ですが、それにしても面白い人物ですね。
人間とは生まれた家に関わらず、先天的に行動力がやたらとある人間がいます。彼もそういうタイプなのでしょう。
行成は右往左往するしかなく
律儀な藤原行成は、道長に代わって政治工作に励んでしました。
しかし、詮子の力を借りようとするも、源倫子から体調不良を理由に力になれないと断られてしまいます。
確かに詮子が元気であれば既に動いていそうなものです。
次に行成は、旧知の仲でもある清少納言にすがりました。
『枕草子』にもよく出てくる行成。犬の翁丸を飾りつけていたとか。
そして百人一首のこの和歌も、この二人のやりとりの際、詠まれました。
夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
清少納言と藤原行成は、藤原斉信ほど深い仲ではない、友達同士のように爽やかな関係ではないかとされています。
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しかし帝は、行成が「道長に会って欲しい」と訴えると、「この時分まで追いかけ回すとは無礼だ!」と怒ってしまう。
おとなしい性格の行成は引き下がるしかありません。
さらに、ここでの道長は、ダメ上司全開でした。
行成がしょんぼりしながら「また頼みます」と言ったら「うむ」ですよ。しかも、立派な眉が逆八の字になって威厳がある。
道長はものすごく優しい時もあれば厳しい時もある。振り幅が広いんですよね。
さらに饒舌でなく、それこそ実資なんか思ったことをガーっとしゃべりますが、道長はちがう。一言だけの時すらある。それであの顔だから、どこまでも読もうとしてしまう。
でも、行成に対しては、もうちょっと具体的な指示を出しましょうよ!
道長の曖昧な指示には、越前の為時も疲れ切っていましたね。
伊周は政治復帰を画策 あの随筆を利用する
藤原定子を呼ぶために用意した職御曹司。
そもそもは藤原行成のアイデアで使われることになっていましたが、これが実は厄介な存在でした。
内裏では通らない手が通ってしまい、結果、藤原伊周が出入りするようになったのです。
伊周は、そこで清少納言の随筆を褒め出しました。
定子はこれに命を繋いでもらった。清少納言もこれには素直に喜んでいます。
そして、ここからが伊周政治の見せ所。
清少納言の随筆を宮中に広めることで、往時の素晴らしさを思い出させようとするのです。
「中宮様だけのものです」と清少納言が抗弁しても、「おもしろい女房がいると皆知ることになる」として伊周は意にも介そうとしない。
定子は、名声ゆえに清少納言が苦しんだことを知っているから、兄には異議を唱えたい様子。
そのせいか、目が虚ですが話を止められそうにもありません。
こうして書き写し、広められることになる清少納言の作品。
今回は冒頭で越前紙が登場しました。
ただ、文字を書写するにせよ、当時は金がかかります。こうした工作にも紙は使えるのです。ゆえにああも重要視されるのです。
藤原実資が、日記の中に「帝は軽率だ」と書き殴っています。
それでもさすが達筆であり、残酷なのは「中宮は恥を知らんのか!」と罵るところです。
定子の本当の思いを内裏の人々は理解しようとしません。
非難すべし。非難すべし。非難すべし。宋経由できたあの鸚鵡が「スベシ」と覚えてしまうほど繰り返す実資です。
鴨川の堤が決壊した
そしてついに、雷雨の季節が到来しました。
鴨川の堤が決壊!
晴明の予言が的中しました……と言いたいところですが、ハッキリ申しますと、平安京は水害対策がまるでなってない。
昨年の大河ドラマでもそのあたりを描いて欲しかったと、今更ながらにないものねだりをしてしまいますが、江戸を築くにあたって徳川家康が重視したのは
“治水”
でした。
地形的に水害が発生しやすい。『治水をどうする家康!』そんな展開があれば盛り上がったのでしょうけど、イケメン主役のラブ史劇では無理でしたね。
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ともあれ、近世への入り口ともなればそこまで考える者もいましたが、当時はそうできなかったということです。
朝廷の無策ぶりは、この後の公卿の会話でわかります。
中宮がともかくけしからん、右大臣様に申し上げてもらおう!とざわついているのです。
道長のアピールがもっとハッキリしていれば、あるいは対策に動いていれば、右大臣でなく左大臣を頼りにするのでは?
ちなみに、道長の異母兄である藤原道綱はこの場にいても、何の役にも立っておりませんでした。
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右大臣こと藤原顕光は、公卿の訴えを受け、重々しく立ち上がりました。
そのころ道長は普請を請う旨の文を作らせていました。道長は作文が得意ではありません。
そこへやってきた顕光は、「今日は良い日でございます」などと間抜けなことを口走り、雨だと返されています。
顕光も無能だとわかる会話ですね。
そして、そんな顕光を頼りにする公卿たちもまずい。
ここで「は?」と顕光に塩対応をする道長はなかなか怖いものでした。
彼は、短い言葉と鋭い目つきに何かを感じさせる。
決して明るいわけでもニコニコしているわけでもないのに、人がついてくるようにも思える――そこが器の大きさでしょう。
公任が下の句を詠み 清少納言が上の句を
藤原公任が職御曹司で、帝と中宮を前にして笛を奏でています。
帝はうっとりとした顔で聞き入り、定子は嬉しそうで、どこかが痛むような切ない笑顔をしている。
公任は美しい。笛の音色も吹く所作も良い。
しかしなまじ秀才なだけに、道長に何か助言ができないのかと苛立ってしまうことも確かです。
帝は良い音色だと褒め、清少納言と公任の歌のやり取りについて尋ねます。
公任が下の句を詠み、清少納言が上の句をつける。
公任:すこし春ある 心地こそすれ
清少納言:空寒み 花にまがへて 散る雪に
空寒み 花にまがへて 散る雪に すこし春ある 心地こそすれ
寒空の下、花びらと見間違えそうに降る雪に、少し春の気配を感じる。
白居易『南秦雪』(なんしんのゆき)にある、この句を踏まえたものでした。
二月 山寒うして 少しく春あり
二月は山が寒く、少しだけ春を感じさせる
白居易『南秦雪』
定子がうっとりとこの歌を口ずさんでいると、漢詩を踏まえていることに帝が気づきました。
伊周が、公任に歌の指南を頼むと、伊周に教えるほどのことはないと謙遜する公任。
純粋に謙遜しているのか、それともまだ情勢を見定めているのか。
伊周は公任による歌の会を開きたいと言い始めました。
男も女も学ぶ場を設けたい、皆も喜ぶとの提案です。
帝も中宮もこれには賛同し、公任は承諾したのかしていないのか、曖昧な言葉を返します。
かつて為時がまひろに語ったように、確かに都では皆本音を言わないのかもしれない。そう思わされます。
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道長、辞表を提出し、諫言する
そこへズカズカと現れたのが道長でした。
途端に周囲には緊張感が走り、帝はあからさまにうんざりした顔をしています。
公任は横目で道長を見て、急に引き締まった顔になったようだ。
公任は才能を発揮できる機会があれば拒まない。そうする。しかし自負しているのは、政治の才能であり、それを自分でも活かしたいのだと思います。
かつては【貞観の治】を目標に掲げていたくらいです。
帝の元にいてもそれはできない。だが道長ならば……そう見定めるような目つきで、どこか弛緩していた顔がキリッとしました。
「ここでは政の話はしない」
帝はそう言いながら、その場から立ち去ろうとする定子の手を掴んで引き止めます。
道長は、鴨川の堤が決壊したことを告げにきていました。
被害は甚大。
事前に堤の修繕を依頼しても、まったく話が通じなかったとされます。
そもそも帝は内裏にいません。
道長は許しのないまま修繕しようとしたものの間に合わず、一昨日、ついに大事になったと語ります。
この場面の公任の目つきがどんどん鋭くなっていって、町田啓太さんが役に入り込んでいることがわかります。
帝も動揺して、彼は愚かではないとわかる。塩野瑛久さんの演技が実に細かい。
道長は、帝を直接責めず、煮え切らずに判断が遅れたせいだと結論づけ、民の命を失ってしまった罪は重いと訴えました。
そこが道長だと思います。
『真田丸』の真田昌幸、あるいは『鎌倉殿の13人』の三浦義村など。
ああいう連中は自分が正しいんだから、もうやるしかないと動いて、動いたあとでどうするか考えて、割とどうにかしてしまいます。
道長はそうではありません。
「左大臣は務められない」と言い始めました。どうあっても関白に固執したい父や兄・道隆とは違います。
「ならぬ!」
思わず帝が声を荒げます。
帝の叔父であり、朝廷の中心であり、導き支えるのは道長である。
帝はそう反省したのでしょう。
道長はわざとなのか、そうでないのか判別しにくいのですが、帝の許しを得ぬまま政治を進められないことが失態に繋がったと結論づけます。
安倍晴明が誘導してきた“根本”に到達したのです。
道長はむしろ哀れで、板挟みになった姿に見えます。
仮に兼家や道隆のように居丈高であればまた別なのでしょうが、道長は自らを弱く見せることもできます。
帝もこれ以上強くは言えず折れてしまい、「朕が悪い」と反省しきりです。
それでも道長はなおも、行成経由で辞表を提出したと言います。
ゲームではない。
本気だ。
そう訴えるようにして去ってゆきます。ただし、その後三度に渡って出された道長の辞表はついに帝は受け取らなかったとか。
重たい空気の中、公任だけは何か見出したような目つきで道長を見送っています。
伊周にあんなに媚びておいて、道長に期待をかけるなんておかしい?
いや、公任ならばこう言いそうですよ。
良禽(りょうきん)は木を択(えら)んで棲む
自分ほどの鳥ならば、道長という木を見つけたらそちらに飛び移るまでだと
無言ながら、中宮定子の表情も深い。さすが高畑充希さんです。
伊周は気づいていないかもしれないけれども、帝はさすがに気づいた。そして定子は絶望した……己の寵愛は後ろ盾あってのこと。
帝の寵愛を受け止める後ろ盾となる兄の器は、道長には到底及ばない。
権力を保持するための工作しかできない兄では早晩、また同じことを繰り返しかねない。
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ウニが結んだ縁
泥だらけになった自宅をまひろが片付けています。
乙丸が鴨川の堤を確認してきたようで、まひろは家を失った人を心配しています。
途方に暮れていた……と乙丸が端的に説明すると、大水はよくあることだからいずれ持ち直すと福丸はフォローしています。
慣れ切っているのでしょう。
平安京の左京はあまりに洪水が多すぎて、荒れ放題だったとか。
そういう水利の悪い土地に対し、どうしてこうも無策なのかとは思わず言いたくもなりますが、当時ならば限界はありますよね。
まひろはここで福丸の献身に感銘を受けています。
いとが「この人は私の言うことならばなんでも聞く」となんだか誇らしげ。そこがよいのだとか。
のろけではなく、私なりの考えを披露するいと。
歌がうまい男がよいとか、見目麗しい男がよいとか、富がある男がよいとか、話の面白い男がよいとか、皆言うけれども、いとは何もいらない。
自分の言うことを聞くこの人が尊いのだと。
まひろは目を動かしつつこの言葉を聞き、納得しています。
すると今度は、乙丸ときぬの馴れ初めをいとが聞いてきました。
乙丸はまひろのためにウニを求めた。きぬはそのウニを取る海女だったそうで、特技は息を長く止めていられること。
乙丸がまひろを思う心が、きぬと結びつけてくれました。
この作品には、愛が愛をもたらすような描き方があって好きです。今は亡きさわにせよ、為時がさわの母にあたる妾を看取ったことが出会いの契機です。
ただウニがおいしそうなだけではなく、もっとよいものがあの背後にはあったのですね。
道長のもとに、ウニが好きな宣孝が挨拶に来ました。
川岸の検分に来ていた道長を褒め、そつなく山城守になった礼を言い、さらには藤原為時が越前守になったことまでお礼を言います。
そして本題だ。
為時の娘も夫を持てるようになったと言い出しましたよ。
動揺する道長。それでも隠し、祝う道長に、宣孝はこうきます。
「実は私なのでございます」
「何が私なのだ?」
「為時の娘の、夫にございます!」
一瞬苦い顔をしつつ「それはなにより」と返す道長。
まひろの夫がこいつか!
そう言いたげな顔でした。
道長、藤原為時の娘の結婚を知る
まひろは、白居易の新楽府を詠んでいます。
君の門は九重(きゅうちょう)閟(と)ず
君の耳はただ聞こゆ堂上の言
君の眼は見えず、門前の事
君子の門は九重に閉じている
君子の耳には堂上の言葉しか聞こえない
君子の目は、門前で何が起きているのか見ようとしない
この場面から、まひろも政治情勢に不満があることが見えてきます。
そこへ宣孝がやってきて、軽口を叩く。
「越前では忙しそうなのに都では暇そうだ」
たしかに越前編では、史実をまげてまでまひろを政治に関わらせました。都ではそれができない。
ただし、暇とは言っても、まひろとしては白居易の作品から政治批判を探したという気持ちはあるのでしょう。
まひろが反論すると、宣孝は「叱られた」と嬉しそう。
宣孝は、道長に会い、まひろを妻としたと告げたことを明かします。
まひろはムッとして、宣孝に問い詰める。
「なぜそのようなことを告げたのか」
告げておかないと、後から意地悪されたら困る。そう軽く言うと、まひろはムッとしたまま意地悪な言い方だと返します。
「好きだからだ、お前のことが」
「お帰りくださいませ」
「はーい。また叱られてしまった」
こう軽薄に返す宣孝ですが、ここでのまひろはかなり怖い顔でした。
何か考え込むまひろ。
目が泳いでいて、頭の中が回っていることが見て取れます。
そのころ道長は、迎えの車が来ても帰らず仕事に打ち込むと告げていました。
意気消沈した様子で、それからまた「うむ……」と言う。いったい何種類の「うむ」があるのか。何度も瞬きをして、彼なりに考えていることがわかります。
考えた結果はまひろへの結婚祝いでした。
翌日、まひろのもとへ、百舌彦から高級品がいくつも届けられました。
驚くまひろ。
「偉くなったのね」
そうしみじみと百舌彦に声をかけるまひろ。月日が流れたと答える百舌彦。
彼はうやうやしく書状を託します。
まひろがいそいそと開くと、どう見ても道長の字ではない。達筆すぎます。まひろは何か思うところがあるようです。
道長最高の贈り物とは、自分ではない字の書状を渡すことで、まひろを解き放つことだったのか。
まひろは自室へ向かい机で何か書状を書いています。
竜胆の枝を文につけ、乙丸に渡すと、このあとすぐ夜の場面へ。
文の中身が推察できます。思いを吹っ切ったまひろが、夫となる宣孝に送る文である、と。
まひろが待っていると、宣孝が訪れます。
「私は不実な女でございますが、それでもよろしゅうございますか?」
「わしも不実だ。あいこである」
「まことに」
そう二人は語り合い、宣孝はまひろを抱きしめ、横たえます。
まひろの手が宣孝の背を這い上がってゆく……それにしても、すごい着地点です。
年齢差もあり、紫式部は妥協の結婚というイメージが強い。しかもこのドラマでは道長と相思相愛でした。
確かにまひろは不実です。
そんな不実な女と、年上男の結婚を、こうも甘ったるくロマンチックに描く。
このドラマは難しいハードルを次から次へと超えてゆく、そんな際立った様を見せつけました。お見事としか言いようがない。
そしてその翌日、日食が起こり、不吉な予感が漂うのでした。
MVP:藤原道長
道長のことはさんざん無能だと書いてきました。
けれども今回、初見で「すまん、きみ、なかなかやるじゃないの!」と思わされてしまい、一晩経って、やはり有能とは言えないのではないか……と思うようになりました。
もしも本当にアイデアマンならば、それこそ「宋の技術者でも呼んで、治水対策ををしよう!」となってもおかしくない。
けれども道長は、帝のお許しを求めて右往左往するばかりです。
それもそのはず、道長が有効な治水工事をしたら歴史の改変になりますからね。
道長は極端な主人公補正もなく、実像にあわせてうまく作り込まれていると思えます。
有能すぎてもそれはそれでおかしい。仕方ありません。
来年の『べらぼう』における田沼意次とも比較してみますと、田沼には斬新なアイデアがあり、実行力もあった。
道長よりも革新的な政治家といえる。ただ、後世のイメージのせいで贈収賄だけしていたように誤解されたりしています。
二人とも後世のイメージにより、実像が歪んだ典型的な人物だと思えますが、それを修正することも大河の役目でありましょう。
道長については、後世のイメージである“野心がギラギラした像”を修正してきていると思えます。
まだ幼い彰子を入内させる道長は、定子を追い詰めるためのギラつき政治家として描かれることが多いものでした。
それがこの作品では、政治を糺すために、むしろ若い頃の理想を裏切ってまでそうする、苦渋の決断になるようです。
若い頃は娘を入内させたくないと語っていた道長。
それが追い詰めに追い詰められて、やむなく“御宝”を手放すことになる。
なかなかよい描き方だと思えます。
注目すべき政治劇
一条天皇の時代は、『枕草子』と『源氏物語』の舞台ですので、文学的な注目を浴びます。
本作は少しそこが浅いと思えるかもしれませんが、政治劇重視ではないかと思えてきました。
すると、道長の政治家としての力量とその限界点が見えてきます。
一方でまひろは鋭く、政治センスもあることがわかる。
越前編で、まひろは道長の決断力に不満を感じていた。いずれまひろが道長の政治センスのなさに失望するのではないか。
そんな伏線が撒かれているようにも思えます。
政治劇として、このドラマはよくできています。
『信長の野望』のパラメータのようなものが言動から見えてくるのです。
平安貴族は歌や蹴鞠だけでなく、政治もしていた。そのことも本作からはよく見えてきます。
けれども、根本的に何かが不足していることもわかります。
誰かが、堤の技術を大きく改善しようと言い出さないのはなぜなのか。
戦国時代の後半と比較してみると、その差は明らかでしょう。
各地の戦国大名たちは、戦闘術、そして石垣の積み方はじめ築城術をどんどん改善し、改良し、変えてゆきました。そうしないと生き延びることができない。
競争があればこそ革新は訪れる。
止まっていたら追い抜かれるだけなのです。
これは『べらぼう』の舞台である江戸時代半ば以降の江戸出版界もそうで、浮世絵を見ていくとどんどん色が鮮やかになり、彫りが細かくなり、画題も幅広くなってゆきます。
競争社会であったことがよくわかる。
こうした時代を比較すると、平安時代は止まっているようにすら思えてきます。
実力ではなく家柄重視であり、天皇と誰かの娘が結婚するか、否か。そこだけで歴史が動いてゆく。
これでは停滞もやむなし――そう思えてくるのです。
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【参考】
光る君へ/公式サイト
















