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『光る君へ』感想あらすじレビュー第2回「めぐりあい」

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第2回「めぐりあい」
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縛られても、縄を切って出ていく

藤原為時は、約束通り花山天皇から式部丞・六位蔵人に任じられます。

するとここで使用人のいとが「姫にも身を慎んでもらわなければならない」とポロリ。

代筆稼業のことを父に告げてしまいました。

為時は激怒!

学者である父の顔に泥を塗るようなことをするな!とまひろを叱り、家での写本は許すが、代筆などあってはならんと頭ごなしに怒鳴ります。

代筆は私が私でいられる場所だ反論するまひろ。

家では死んでいるのに、あそこでは生きていられる。いろんな人の気持ちになって歌を詠んでいると、6年前のことが忘れられる。母と私を裏切った父のことを忘れられる。そう語ります。

しかし為時も引いてられません。6年前のことを持ち出せばなんでも怖気付くと思うなと返す。

見張りをつけると言われると、まひろは怒ったように反論します。

「縛られても、必ず縄を切ってでも出て行きます! 父上のいうことなぞ私は聞かない!」

面倒臭い。可愛げがない。そんなまひろの魅力全開ですね。

有名な文学者だし、ドラマでは母の死という悲劇も絡んでいます。

けれども根底にある動機は、執筆欲です。

受験勉強をしていようが、趣味も同時進行したい。そんな現代にいる少女にも通じそうな願いがいいですね。

試験の前だろうが好きな本を読んでしまっていた、そんな気持ちを思い出します。

乙丸が監視につけられるも、まひろは工夫をして突破。出かけて行きます。

しかし為時は絵師にも話をつけていて、その直後に道長がやってきて追い返される。

しかも間の悪いことに、検非違使に捕まってしまった。

検非違使に追われて逃げる人を助けるため、まひろが嘘をついて指さしたところ、たまたま姿かたちが似ていた道長が捕らえられてしまったのです。

「その人じゃありません! 待ってください、違うんです!」

大慌てでまひろが叫びますが、道長は完全に取り押さえられていて……さぁどうなる?

 

MVP:藤原兼家

前回の時点でかなり悪い奴でした。息子の藤原道兼のように手を汚さないぶん、より悪辣な人物像が浮かんでいた。

彼は脅しのプロであり、徹頭徹尾、人を駒にして平気なタイプなんだなぁ……と、鶏鳴狗盗を悪い意味でフル活用している。

娘娘は、将来の天皇を産む腹。二男には汚い仕事を押し付ける。孫すら人質。今上帝も東宮も邪魔。

他人である為時なんて、それこそ使いたいだけ使ってポイッ!でしょう。

それなのにどこか魅力があることも確か。

悪役とはひとさじの茶目っ気も欲しい。段田安則さんが実によい味を出しています。

モテそうな雰囲気があることは確かです。藤原道綱母だって、兼家の魅力を知っているからこそ、『蜻蛉日記』を全力で書いてしまったのでしょうし。

ドラマが後半に入り、兼家のことを嫌だと思っていた周囲の人物たちも、だんだん似てくる様も描かれるのでしょう。

兼家の悪辣さは、家父長制そのものでもある。そこに組み込まれていけば、誰しも染まっていくもの。その様が楽しみです。

藤原兼家
藤原兼家の権力に妄執した生涯62年を史実から振り返る『光る君へ』段田安則

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諫言も楽しめる安心感

為時もまひろも愛読しているに違いない『貞観政要』。この本の要点は、諫言こそが大事だという点にあります。

貞観政要
『光る君へ』で一条天皇も愛読の『貞観政要』は泰時も家康も参考にした政治指南書

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魏徴という諫言のプロが、唐太宗に延々と「それはどうでしょう?」とダメ出ししているのです。

ドラマに対しても、諫言が飛び交うファンダムが好ましいと思います。

全体的に品質が高い本作でも、屏風に弁髪の人が描かれているようなミスはあります。

それ以外にも、三男ではなく、異母兄がいる道長が「三郎」でよいのか?とか。

道兼の殺人はあまりにやりすぎではないか?とか。

そういう批判を共有しあい、話し合う場があるのは非常に健全でしょう。

本作は公式サイトやSNSの情報発信も行き届いています。

◆ちなみに日記には… 大河ドラマ「光る君へ」第1回より(→link

こんなコーナーは必読ですね。

 

大河に関わる女は皆幸せになれない!

そう、詮子のように言っておきます。

批判や諫言の中にも、悪い性質のものもあります。いつの時代だって、理屈の通らぬ諫言は歓迎されない。

本作については、どうにも女性脚本家を偏見で語るような批判が散見されて気になっています。

道兼のちやは殺害については、私は前回の時点では許容寄り保留でした。

今後のプロット次第だろうな?と感じたからです。

ルール違反だとわかって敢えて少しはみ出して書いていることが、今回(2回目)の放送で明かされました。

兼家と道兼の場面ですね。

ならばアリではないでしょうか。時代もので、女性主人公親族の死をプロットに組み込むことは、盛り上げるためにはありえる演出では?

そして、以下が私にとって最大の理由です。

はみ出し具合という点であれば、『鎌倉殿の13人』の善児のほうが、アウトよりだと思えます。

同じ暗殺者を長いこと使い続けることにはリアリティがありませんし、実在の人物をああも殺しまくるのは、大河でよいのか?というと、難しいところでしょう。

三谷さんはなかなかギリギリのところへ球を投げてきます。

そのうえで、同じことを女性脚本家がした時の方が、叩かれやすい気配をどうしても感じてしまいます。

大石さんはあけっぴろげで、インパクトのある発言も多い。作風よりもそういうキャラクター性に苛立ち、SNSで過剰に書き込む流れがあるかもしれない。それをとりあげたネットニュースも出るかもしれない。

製作者はそこを見通して選んだのかもしれないけれども、私はどうしてもその危険性が気になっています。

例えば大石さんは、『枕草子』よりも『源氏物語』の方が奥行きや政治批判があってよいと語っていました。それをこういう悪意ある解釈をする人も出てくる。

「あいつは『枕草子』の価値もわからない、清少納言をバカにした!」

ちゃんと読めばそうはなりませんよね。彼女に向けられる批判って、生意気ででしゃばった女をとっちめてやりたい、そういう卑小な臭いがするのです。

大石さんは、個人的には何の感情もありませんでした。

けれども、率直でスカッとした物言いをするところまで含めて、敬愛すべき方だと思うようになりました。

インタビューを読んだり聞いていても、嘘のない、まっすぐな思いを語っているなぁと感じる。

嫌われたくなくて、無難でよい子ぶったことしか言わない人とは違います。嫌われる勇気があると思います。

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