1867年2月(慶応3年1月)、徳川慶喜の弟である徳川昭武がフランスへ旅立ちました。
目的はパリ万国博覧会へ日本の産物を出品すること。
それだけでなく昭武自身が将来の日本のためヨーロッパで勉強を重ね、さらには、幕府の軍備や内政のため、フランス政府から借款する使命も帯びていました。
大河『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一もこの遣欧使節団に同行。
ドラマでもその様子がクローズアップされましたが、では、史実における「昭武と栄一の遣欧使節団」の旅程は一体どのようなものだったのか?
決して順風満帆とは言えなかった、その旅程を振り返ってみましょう。
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昭武一行はフランスでも注目
異国の幼さを残したプリンスこと徳川昭武は、フランスでも注目を集めました。
まだあどけない日本人が人気者となることはしばしばあり、万延元年遣米使節(1860年)では、現在ならば高校2年生の立石斧次郎が大注目を集めました。
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“トミー”と愛称がつけられ、ファンレターやプレゼントが届く。
雑誌の表紙を飾り、しまいには『トミー・ポルカ』まで作られてしまう。そんなアイドル状態になったのですね。
このことを踏まえますと、若きプリンス昭武は抜群の人選であったといえます。
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そんなあどけないプリンス率いる一行はどう受け止められたのでしょうか?
交通手段に悪戦苦闘
一行が乗り込んだ汽船アルフェー号は、1500トン、3本マストの郵便船でした。
初めてみた者からすれば大きくとも、実際にはそこまで大型とも言えません。
そして宿命は船酔い。
海水が窓から入るわ、ものがひっくり返るわ。それはもう大変なことです。
気になるメニューは、今日でもおなじみの洋食です。
紅茶を飲み、ベーコンを食べ、パンにはバターをつけて食べる。
と渋沢は「パンには牛乳を凝縮したもの(=バター)をつける。これがすごくおいしい!」と書き残しています。
船には医者が乗船しており、丁寧な診察をしてくれます。そんなサービスも感慨深いものでした。
蒸気機関車や馬車での移動も、興味深いものがあったのでした。
アジア系や黒人に対する人種差別
そして清に立ち寄ると、そこで苦力(クーリー)とされる清人をみてショックを受けます。
白人からすればアジア人も有色人種です。
アメリカでは大陸横断鉄道のためにこうした苦力が導入され、大勢の犠牲を出しました。
「アジア人は黒人と同じで奴隷にしてもよい」という偏見は西洋諸国で根強く、幕末に仙台藩からアメリカに留学した高橋是清も、こき使われた挙句、奴隷として売買されてしまったほどです。
昭武らの遣欧使節団もやがて気づきました。
どうやらフランスは利害を踏まえて支援しているだけで、差別的な本音もあるようだ――そんな記録が残されています。
こうしたアジア人への差別感情は【黄禍論】として残り、今も解消されていません。
ドラマでは描かれませんでしたが、社会情勢を踏まえ、その衝撃を想像することも重要でしょう。
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ホテルとトイレで奮闘す
フランス各地に昭武一行が到着すると、すぐさま祝意が示されます。
これは電報で即座にニュースが届いていたからのこと。
一行はホテルに宿泊します。
格式をふまえ、フランスでも最高級のホテルが用意されたわけですが、何をするにも金が出ていきます。
部屋代、食事代、入浴、ろうそく、お茶……中でも日本人にとってショッキングであるのは、いちいち飲料水代を取られたことではないでしょうか。
お茶だけでなくお茶を入れるお湯、そして飲料水を消毒するアルコール。これが全て別料金とは!
実際にフランス人も困っていたことで、彼らは水の代わりにビールをよく飲んでいたのです。飲料水への感覚がまるで異なることは重要でしょう。
こうも金がかかってはかなわない。
そろばん勘定が得意な渋沢栄一らは下宿を探し、宿泊費を浮かせました。
そんな渋沢のフランス語学習は、本人の手帳として残っています。そこで彼が切実に悩んでいた問題がわかります。
「トイレ」です。
なんと4種類も「トイレに行きたい」とメモされています。中にはこんな婉曲表現も。
「私は“王様であろうと一人で行く場所(=トイレ)”に行きたいのです」
トイレの話をしますと、旅の間中、一行は下痢はじめ便通に悩まされました。異国の食物が口に合わないのです。
日本の食べ物に適した腸内環境であれば、そうなることはむしろ当然の現象でしょう。
現代人とは当然のことながら大きく異なることを考え、彼らの苦闘を想像するのがよいかもしれません。
なお、明治になってからフランスに渡った川路利良は、我慢しきれず汽車から大便を投げ捨て、国際問題に発展しかけております。
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