徳川昭武(左から三番目)らの遣欧使節団・ベルギーで撮影/wikipediaより引用

幕末・維新

トラブルの連続だった昭武と栄一の遣欧使節団~パリ万博や欧州で何があったのか

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昭武と栄一の遣欧使節団
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薩英の暗躍

生麦事件を経て、薩英戦争で手を組んだ薩摩とイギリス。

昭武一行は、薩英の暗躍に晒されます。

イギリスとしては南北戦争で余った武器を日本で売り捌き、自国に従順な政権を作り上げたい――そんな思惑から反幕府の立場をとります。

幕末維新の18年間、駐日英国公使を務めたハリー・パークス/Wikipediaより引用

そこにベルギー貴族・モンブラン伯というあやしげな人物も絡んできます。

彼は幕府に対して一方的な私怨を抱き、潰そうと画策していたのです。

こうした妨害行為は、メディアを通して行われました。

「今フランスにいるプリンスは果たして権力を持っているのか? 信じるに値するのか?」

暗躍するモンブラン伯の息がかかった新聞がそう書き立てるわ。旅費の借款で揉めるわ。どうにも不穏な空気が立ち込めてゆきます。

その背後に、海を超えた反幕があったことは押さえておいた方がよいでしょう。

万博参加を幕府が勧めた際、応じたのは佐賀藩と薩摩藩のみでした。

幕末の大変な時期です。無理もないことでしょう。

このうち薩摩藩は不敵にも、薩摩藩主と琉球国王を混同させるような情報をマスメディアに流しました。

陳列会場でも日本からの独立国であるかのような展示をし、まるで丸に十字が国王の紋章であるかのように掲げられたのです。

島津家の家紋「丸に十文字」/wikipediaより引用

いったい日本はどうなっているんだ?

そう疑念を抱かせることを、薩摩藩は堂々と行ったのですが、彼らの背後にイギリスがいて、その知恵を吹き込んでいたのであれば合点がいくでしょう。

華やかな万博の裏では、反幕府たちの暗闘も進められていたのでした。

 


プラントハンターの庭でホームシックを癒す

幕末から明治にかけて、西欧諸国と渡り合った日本人がいました。

幕府側にせよ、それは素晴らしいことのように思えます。

しかし、彼らなりの思惑もありました。

江戸時代、ヨーロッパ経由でサツマイモやジャガイモが日本にもたらされ、食生活が変わりました。これは一方通行でもなく、西洋も東洋の植物を求めていたのです。

彼らはプラントハンターと呼ばれ、東洋で珍しい食物の採取を行いました。

オランダでは、あのシーボルトの子であるアレクサンダーが、昭武一行を庭園に案内。

アレクサンダー・シーボルト
青天を衝けアレクサンダー・シーボルトは12歳で来日の親子揃って日本好き

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そこにはシーボルトが日本で集めた牡丹、菊、百合が咲いていました。

この出来事は、いかに珍しい植物に高値がつくかということを示しています。

こんな異国に日本の花があるとは……そうしばし、郷愁に耽る一行でした。

なお、オランダでは醤油も輸入販売されており、これもホームシックを癒すために一役買ったとか。

とはいえ、これは綺麗なだけの話でもありません。

世界初のバブル経済とは、17世紀オランダの「チューリップ・バブル」とされています。

オスマン帝国由来のチューリップに高値がつき、球根が買い漁された結果、それが暴落し大混乱に陥ったのです。

雅な日本の花も、要するに文字通り金のなる木であったのです。

植物を持ち帰ったシーボルトには、こうしたプラントハンターの顔もありました。

 


その後の遣仏使節団一行

昭武一行の使節団は、もしかしたら「無駄だったのか?」と思われてしまうかもしれません。

結局のところ、イギリスと手を組んだ薩摩が勝利し、幕府は崩壊。

異国の地で倒幕を知った一行の虚しさを思えば、胸が痛くなります。

しかし、帰国したメンバーの中には、新たな日本作りに貢献した人物も多数います。

「日本資本主義」の父と称される

高松凌雲(たかまつりょううん)

函館戦争では敵味方区別なく治療。

医療技術とボランティア精神の向上に貢献。

高松凌雲/wikipediaより引用

・杉浦譲

郵便制度の確立、富岡製糸場建設に貢献する。

・山高信雄

政府に出仕し、博物館行政に関わる。

・田辺太一

明治政府出仕後、外交通として岩倉県央使節団に随行。貴族院議員、錦鶏間祗候となる。

・箕作麟祥(みのつくり りんしょう)

フランス法典翻訳出版に貢献。成文法の成立に大きく貢献する。

栗本鋤雲(くりもと じょううん)

政府には出仕せず、在野の舌鋒鋭いジャーナリストとして活躍。

・向山一履(むこうやま かずふみ)

静岡藩学問所頭取となるも、廃藩置県後は漢詩人・向山黄村として余生を過ごす。

・清水卯三郎

出版、輸入、輸出品の製造販売に貢献。

こうして成功したものもいれば、会津藩士として白河口副総督となり、戦死した横山主税常守もいました。

保科俊太郎正敬は、知識と語学力を生かし、明治の陸軍をフランス式とすべく尽力しました。

しかし長州軍閥が陸軍をドイツ式にすると決めると、彼は己の役目が終わったことを悲観したのでしょうか。明治16年(1883年)自殺を遂げてしまいます。

幕末の日本人留学生や欧米の土を踏んだ中にも、いろいろな人がいました。

攘夷思想から抜けきれず、ストレスのあまり自殺してしまった人。

困窮し命を落とした人。

そして写真と名前だけは名簿に残っているものの、その後の消息が不明となった人。

歴史の中に消えていった人々もいます。

様々な思いがあって、新しい明治という世ができた。そこには幕府も倒幕側も超えた協力があった。

そんな思いを感じつつ、歴史を楽しんでいければよいですね。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
宮永孝『プリンス昭武の欧州紀行』(→amazon
別冊歴史読本『世界を見た幕末維新の英雄たち』(→amazon
コーツ『プラントハンター東洋を駆ける: 日本と中国に植物を求めて』(→amazon
鹿島茂『渋沢栄一』(→amazon

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