郷中教育

大久保利通(左)と西郷隆盛(右)は若かりし頃いかなる教育で成長したか/wikipediaより引用

幕末・維新

西郷や大久保を育てた薩摩の郷中教育とは?泣こかい飛ぼかい泣こよかひっ飛べ!

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郷中教育のテキスト

教養も重んじる薩摩では、様々なテキストが用いられておりました。

◆儒教経典
四書五経(四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』で、五経は『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』『礼記』『孝経』『近思録』)
※薩摩藩では特に朱子学を重んじました。

◆暗唱する歌
『日新公いろは歌』
『虎狩物語』島津義弘の虎狩りの様子
『三州府君歴代歌』

島津忠良が領内家臣の教育のため、覚えやすいように教えを「いろは歌」におりこんだものです。

2015年朝の連続テレビ小説『あさが来た』では、薩摩出身の五代友厚大久保利通がこの歌を引用して懐かしんでいましたね。

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◆一般読書(歴史)
『漢書』
『史記』
『資治通鑑』
『神皇正統記』
『清献遺言』

しっかりした教育という面で薩摩藩と比較される会津藩では、日本史を学ぶ機会がなかったそうで。

そこが問題であったと山川健次郎(会津藩出身の元東京大学総長)が回想しています。

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このあたりは藩の特色でしょう。

◆軍事書
『六韜三略』
『呉越軍談』
『漢楚軍談』
『三国志』
『三国志演義』
『十八史略』
『源平盛衰記』
『義経勲功記』
『太平記』
『武田三代記』
『真田三代記』
『太閤記』
『関ヶ原軍記』

◆輪輪書(みんなで読む本)
『曽我物語』
『赤穂義士伝』

がっつりと大量のテキストがありますね。儒教を学ぶだけではなく、薩摩の武士らしさを養うような本もたくさんあります。

こういうものを日々読んで、薩摩の少年たちは精神性と教養を高めいました。

いわゆる文武両道ってやつですね。

 

もちろん武芸もテンコ盛り

郷中教育で、最も特徴的なのが、実践さながらの武術でありましょう。

平和な江戸時代でも弛むことなく武士としての誇りを重視した、薩摩ならではの風土・気風。数多くの武芸が奨励されました。

【武術カリキュラム】

主な剣術は3つです。

・示現流
・薬丸自顕流
・天真流

さらには剣術だけでなく、槍術、弓術、馬術、柔術、居合術も習いました。

独特の叫び声(猿叫)をあげながら、木刀を振り下ろす稽古風景は、薩摩藩を描くのであれば外せません。

【日常生活のルール】

郷中には、日常生活のルールもありました。以下、現代でもわかりやすいようにまとめます。

・忠孝を重んじ、武道に励みましょう

・礼儀を重んじ、親睦団結を心がけましょう

・山や坂道を上り下りして体を鍛えましょう(坂道達者)

・何事も詮議を尽くしましょう。ただし、決まったことには異議を唱えないこと。言い訳はしないように

・嘘をつかない、弱音を吐かない、卑劣なことをしない

・弱い者いじめをしない

・目上を重んじ、親に口答えをしてはいけません

・女とは一切関わってはいけません

・金銭を持たないこと。一人で買い物をしてはいけません

・飲酒喫煙は禁止です

・歌舞音曲芝居鑑賞は禁止です

・旅頭巾襟巻、防寒具は禁止。木綿を着ること

・刀を持たずに外出しないこと。脇差し一本でうろつくようなことはしない

・どんな場合でも刀を抜いてはいけません。もしも抜いたら、ただおさめるようなことはしないように

・槍を持った役人には礼をしましょう

・他の家の果物がなった木、壁、屋根に手を掛けてはいけません

【年中行事】

さらには年間行事も用意されておりまして。

この行事は、「鹿児島三大行事」として、現在まで伝わっています。

◆曽我どんの傘焼き:曽我兄弟の故事にならい、傘を積み上げて焼く行事。郷中の子供たちが近隣から古い傘を集める習わしでした(かごんまナビ

 

◆妙円寺詣り:関ヶ原における島津義弘の敵中突破「島津の引き口」の苦難をしのぶ。

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鹿児島市内から義弘の菩提寺:妙円寺(現在の徳重神社)まで、鎧兜をつけて往復およそ40キロを歩く(日置市妙円寺詣り

 

現在、「チェスト関ヶ原」は「ブチ殺せ」という意味の隠語であるというネタが話題となっております。

しかし、本来は「妙円寺参り」の際に気合いを入れるための言葉です。

◆赤穂義臣伝輪読会:赤穂義士討ち入りの日に『赤穂義士伝』十五巻を郷中仲間で朗読する

 

「泣こかい 飛ぼかい 泣こよか ひっ飛べ」

現在まで、薩摩の気風として、教育として、そして行事として残る「郷中教育」。

西郷はじめ、多くの偉人を育て上げた教育でもあります。

芯が通り、厳しい教育内容は、まさしく当時の藩としてもトップクラスのものであり、それも納得できる、充実した内容であることがおわかりいただけたかと思います。

鹿児島には、「泣こかい 飛ぼかい 泣こよか ひっ飛べ」という言葉が今も伝わっています。

「泣くか、跳ぶか、迷うんだったら跳んじまえ!」という、勇気を称えた「郷中教育」の気風を感じます。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから(→link

まんが『薩摩義士伝』(→amazon

【参考文献】
西郷隆盛公奉賛会『西郷どんと薩摩士風』

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