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【吉田稔麿】
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急転直下する運命
幕府内では「罰長論」が出てきます。
そろそろ長州を本格的に罰するべきだろうという判断です。
しかし、旗本・妻木頼矩(向休)などは、慎重論を唱えました。
吉田はこの妻木と江戸にて話し合い、老中・板倉勝静に対して長州藩の立場を弁明します。
しかし、この周旋は不発。妻木は吉田に対して、長州藩はもう少し行動を抑えるべきだと説きました。
さすがに吉田もこれには同意します。
実はこのころ長州藩内では「進発派」と呼ばれる強硬派が台頭しておりました。
これに気を揉む吉田としては、ソフトランディングを望んで「割拠論」を提唱。
敵はまとまりを欠き、いずれ自滅だろうから、それまで悠々と待つべきだ、というものです。
結果的に長州藩では、吉田に幕府宛ての嘆願書を託すことになります。
贈答品を携え、京都へと向かった吉田。
このころ将軍・徳川家茂は上京しており、京都におりました。江戸まで向かわずとも、託すことができたのです。
14代将軍・徳川家茂(慶福)は勝海舟にも認められた文武の才の持ち主だった
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しかし、ここで思わぬ事態が起こります。
孝明天皇は、当時の懸案事項であった政治問題の処理を幕府に一任すると決めました。
つまり長州藩の運命は幕府に託され、タッチの差で、長州藩は危機に追い込まれたのです。
しかもこの年、無謀な攘夷をとりやめなければならない年貢の納め時がやってきます。
【下関戦争】です。
イギリス・フランス・オランダ・アメリカを相手に無謀な戦いを挑んだ長州藩は、圧倒的な戦力差で敗北。
攘夷に失敗するだけでなく、京都を追われ、弁明の機会もなく、さらには幕府の手に命運を握られてしまう――という窮地に陥るのでした。
※下関戦争は1863年と1864年8月(旧暦)の二度に渡って行われ、その間の1864年6月(旧暦)に池田屋事件は起きております(誤解のある書き方で申し訳ありません)。
長州藩にとっては、最悪の展開です。
吉田は京都に留まり、しばらく様子を見ることにしました。
自分の命があと僅かであるとは夢にも思わず、彼は京都の夏を満喫していたのです。
運命の夜
元治元年6月5日(1864年7月8日)。
旅籠「池田屋」に同志が集まっていました。池田屋の主人は、攘夷派に好意的だったのです。
そこへ、新選組が踏み込んだのは四ツ時(午後十時半)。
「御用改めでござる!」
もし一日事件が遅かったら?
おそらく稔麿はこの会合にはいなかったと思われます。旅支度をしていたからです。
稔麿は池田屋にはいなかった、という説もあります。近藤らが乗り込む直前に出て、長州藩邸に向かう途中で斬られたという内容です。
さらには、加賀藩邸に向かう路上で、多数の会津藩兵から尋問を受け、口論の末に殺害されたという目撃談もあります。
一致しているのは、池田屋の内部ではなく、外で亡くなっているということです。
稔麿は池田屋事件の犠牲者でも知名度が高いため、その死も潤色されました。
長州藩邸で自刃した、手槍を持って沖田総司と戦ったという話もありますが、おそらく創作でしょう。
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吉田稔麿作とされる辞世もありますが、状況的に作ることが可能であったとは思えません。
明治時代以降の創作説が濃厚です。
事件当日、旅支度をしていた吉田稔麿。
もし一日事件がずれていたら、この国の歴史は変わっていたのかどうか……。
脱出できたとしても「禁門の変」で
松下村塾生は、前述の通り死亡率が高いです。
この事件を切り抜けたとしても、死亡した可能性は低くはない。
吉田は当時、性病に罹患していたことが書状からうかがえまして、病死の可能性も否定できません。
ゆえに品川弥二郎の言葉が真実であったかどうかも、判断できない。
ハッキリしているのは、「池田屋事件」が深刻な人材喪失の場であったということです。
新選組が武功を立て、後世の人々の胸を踊らせる活劇を繰り広げる中、様々な可能性を持った人々が命を落としました。
あの事件には、そういう一面もあるのです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
一坂太郎『吉田稔麿 松陰の志を継いだ男』(→amazon)
『国史大辞典』