万延元年(1860年)7月26日、イギリス公使のラザフォード・オールコックが、記録上、外国人として初めて富士山に登りました。
オールコックは十四代・徳川家茂に謁見して正式に認められた公使なので、幕末の話題ではちょくちょく名前を見かけるお人ですね。
それがなぜ富士山に登ったのか?
というと、意外に純朴な理由があったようです。
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英国に富士山のような山はなし
当時、日本へ入国できる海路はごくごく限られており、オールコックは東海道に沿うようなルートで品川から上陸していました。
※以下はラザフォード・オールコックの関連記事となります
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その途中、海上から見た富士山に対し
「OH! フジヤマ! スゴーイネー!!」(超訳)
と感動し、ついでに麓の温泉にも入りたいということで登山旅行を決めたのだとか。
イギリスはあまり高い山がないですし、温泉もほとんどありませんから、物珍しさと実用を兼ねていたのでしょう。
当時のイギリス貴族では「こんな国でこんな山に登ったんですよハッハッハ」という自慢話が流行っていたともいいます。
それがほぼ地球を半周した”極東”であれば尚のことでしょう。
リアルガチで尊皇攘夷派に襲われるよ
しかし、ここで一つ障害が立ちふさがります。
幕府からは「正式に手続きを踏めば、外国人も日本旅行OK」というお触れが出ていたものの、ときは攘夷運動真っ最中。
「ガイジンなんて皆(ピー)しちまえ!!」という物騒な連中がウジャウジャしておりました。
実際にあちこちで外国人やその世話役をしていた日本人などが惨殺されており、オールコックが全く知らなかったとは考えられません。
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その中で「旅行したいんで許可ください」と言われても、どう考えたって危険ですし、幕府だってトラブルは勘弁です。
「攘夷の連中に襲われたら大問題だから……」という本音を隠し、「宿とかの手配ができないんで今回は諦めてもらえませんかね?^^;」とオールコックに打診しました。
むちゃむちゃ満喫しとるやないか
しかし、彼はその程度でごまかされてはくれません。
オールコックは「私的な旅行だし、病人の療養もさせたいから少人数でこっそり行きたい」と主張します。
ストレスフルな生活で気分転換を願い出たんですね。
それなら仕方ない……とは思えども、少人数とならば危険度は高く、幕府も容易に許可を出せません。
結果、護衛はもちろん、駕籠担ぎやらお付きの人やらで100人規模の団体になってしまったらしく、オールコックはじめイギリス人一行は、こんな(´・ω・`)顔だったとか。
「駕籠は窮屈だから馬がいい」
そんなイギリス人一行の意見に対しては幕府もOKを出しました。
馬上となるとより一層目立つため、ある程度の人数随行はやむを得ないでしょう。なんせ2年後の文久2年(1862年)には横浜で生麦事件も起きているほどです。
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幕府側の胃痛は凄まじいものだったと容易に想像できます。
それとは裏腹に、オールコック一行は用意された大名用の宿舎や休憩所でゆったり過ごし、風景をスケッチしたり、スイカやふかしいもなどを買って食べるなど、日本の夏を満喫していたらしきことが書き残されています。
順応性、高すぎですね。てか、心配させられた幕府が気の毒過ぎる。
そして……。
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