フェートン号事件

フェートン号と司馬江漢の描いたドゥーフ/wikipediaより引用

幕末・維新

ニセの国旗で長崎出島へ強行!フェートン号事件のイギリスが根っからの海賊だ

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母国がない状態で追い出されたら野垂れ死んでしまう

結果として長崎の町も船も無事に済んだわけですが……。

あわや交戦というときに兵が足りなかったことで、長崎奉行の中には切腹した人もいました。

それだけでなく警備当番だった佐賀藩の藩士や藩主・鍋島斉直も咎を受けています。

こうなるとドゥーフも何らかの責任をとってしかるべきですが、幸か不幸か本国がない状態だったのでそうはなりませんでした。

代わりに(?)ドゥーフと長崎奉行は相談の末、入港時に正規の貿易船かどうかを確認するための信号旗を考えるなどしています。

勘合貿易の勘合符みたいなものですね。

ちなみに、多少なりともタダで補給できたということに味をしめた&その他の理由で、イギリス船はその後も度々長崎周辺にやってきています。

文政8年(1825年)に制定された【異国船打払令】は、こうした行為への対処でもありました。

程なくしてやってくる幕末期のペリーは、まるで突然やってきたかのような印象もおありかもしれませんが、実はずっと外圧はあったんですね。

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この一件と前後して、ドゥーフたちオランダ人は肩身の狭い思いをしていたようです。

出島にいたオランダ人たちからすれば、「遠い異国で仕事をしていたら、いつの間にか母国が滅びていた。な、何を言っているのか(ry」という感じだったわけですしね。

幕府としても、「滅びた国のヤツをウチに置いといてもねえ……」(※イメージです)という雰囲気が漂っていたとかなんとか。

しかし、母国がない状態で出島を追い出されたら、そのまま海の藻屑か野垂れ死には目に見えています。

 


「春風や アマコマ走る 帆かけ船」

ドゥーフは何とか居場所を確保すべく、幕府や長崎奉行所に「日本人から食料や物資を分けてもらいたい。私の持っている本や西洋のものをお売りしますから」と頼みました。

幕府も長崎奉行所も事の経緯を哀れんだようで、相場以上で本を買い取ったりしています。

また、蘭日辞書(オランダ語→日本語の辞書)の編纂も始めました。

このやりとりのうちに俳句に興味を持ったのか、ドゥーフ作と思しき句が伝わっています。

「春風や アマコマ走る 帆かけ船」

司馬江漢作のドゥーフ/wikipediaより引用

アマコマとは一体……。

前後からすると「あくせく」とか「あちこち」なら意味が通じそうな気がしますが、はてさて。

こう書くと忙しそう&生活ジリ貧な気がしますが、その一方で遊女との間に子供をもうけたりもしています。

まぁ……なんというか……犯罪ではありませんしね。

男の子にはドゥーフの名をもじって「道富」という名字を作り、「丈吉」と名づけて仕事の世話もしていたそうです。

ひょっとしたら下の名前も「ジョージ」とかのもじりですかね。

オランダ語だと”J”は黙字ですが、オランダ人だからってオランダ語の名前しかつけないってこともないでしょうし。

 


後にオランダから最も名誉の高い勲章が送られた

別の女性との間にも女の子もいたそうですが、二人とも若いうちに亡くなっています。

ドゥーフはその後もイギリスへ出島のオランダ商館を渡すことを拒み、オランダが再び独立国家になるまで守り続けました。

その功績を賞され、オランダから最も名誉ある勲章をもらっています。

「母国がなくなってもオランダ人として生きる」という姿には、幕府や長崎奉行所、出島周辺の日本人にも眩しく映っていたとか。

ヘンドリック・ドゥーフ/wikipediaより引用

しかし、帰国途中の船が暴風に巻き込まれ、妻や日本から持ち帰ったものを失うなど、ドゥーフの受難はその後も続きました。

本人が助かってるところがスゴイです。

晩年には日本に関する回想録を書いているので、生涯日本には良い印象を持っていたようです。

帰国から十年以上後のことでしたので、やはり忘れられなかったのでしょう。

これだけ苦労をしていれば、日本という単語だけでトラウマが蘇りそうなものですが……メンタルも相当強い人だったんでしょうね。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
ヘンドリック・ドゥーフ/wikipedia
フェートン号事件/wikipedia

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