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【坂本乙女】
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「日本を洗濯するぜよ!」
離れてからの二人は、手紙のヤリトリをよくしていました。
有名な「日本を洗濯するぜよ!」(原文は「日本を今一度洗濯いたし申し候」)も、乙女さんへの手紙の中に書かれているものです。
その前に「右申所の姦吏を一事に軍いたし打ち殺」(意訳:前述のロクデナシどもを一度皆ブッkrsてから)なんて物騒なことも書いてあるんですが、それは公然の秘密というやつですね。
そんな龍馬とお姉さんとの手紙、国の重要文化財に指定されているものもあります。
京都国立博物館に収められていますね。
公式ホームページの収蔵品ページ(→link)に写真が載っているので、龍馬好きの方は一度見てみるのもいいかもしれません。
途中でやたらと墨が薄くなっていたり、文章がえらく斜めに傾いていたりして、龍馬が楽しんで書いていたような雰囲気のある手紙ですよ。
本当にお姉さんと仲が良かったんでしょうね。
ただし、後に龍馬の活躍が拡大して付き合いも広がっていくと、政治情勢もかなり複雑となり、姉との話も合わなくなったりしています。
例えば、武市半平太を拷問し、最終的に死に追いやった後藤象二郎。
乙女は「姦物役人(かんぶつやくにん・腹黒いやつ)」として嫌っていましたが、龍馬は象二郎と協力し合ったりしたので、反論したりするわけです。
こればっかりは、政治の最先端にいる龍馬と、そうでない乙女とでは意見の相違があって仕方ないでしょう。
ビタミンC不足で壊血病に……
龍馬が暗殺されてしまった後、乙女さんは義理の妹である龍馬夫人・お龍の面倒も見ています。
お龍が坂本家にいたのは3ヶ月ほどでしたが、それは当主の権平(乙女さんと龍馬のお兄さん)夫妻とうまくいかなかったためだとか。
「乙女さんは良くしてくれた」と後々言っていたそうです。
お龍も寺田屋事件の際、入浴中だったにも関わらず外の刺客に気付き、着物一枚羽織って龍馬へ知らせるような気丈な人でしたから、義理とはいえお姉さんと気が合ったのかもしれません。
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そんな偉大な乙女さん、最期は病気で亡くなりました。
壊血病というビタミンC不足が原因の病気で、
・古傷が開く
・他の感染症にかかりやすくなる
などの症状が出ます。
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基本的に野菜を食べていればかからないものなのですが、コレラにかかると思って嫌がっていたのだとか。
コレラは江戸時代から度々流行を起こしていたため、さすがの乙女さんも怖かったようです。
龍馬の暗殺から12年後のこと、48歳でした。
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長月 七紀・記
【参考】
磯田道史『龍馬史 (文春文庫)』(→amazon)
坂本龍馬『手紙 坂本乙女あて:坂本龍馬』(→amazon )
司馬遼太郎『歴史の中の日本 (中公文庫)』(→amazon)
坂本乙女/wikipedia