こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【奇兵隊】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
明治時代の大リストラで…
実際に奇兵隊が活躍し始めたのは、もう少し後の第一次長州征伐から。
町人も含まれているとはいえ、志願兵ですから士気は高く、類似の諸隊(他に御楯隊・遊撃隊・萩野隊など)が作られるきっかけにもなっています。
これを理解してくれた当時の長州藩主もスゴイですね。
もちろん戊辰戦争でも新政府軍の一隊として組み込まれ、各所で戦いました。
しかし、明治時代に入ると彼らの頭上に暗雲が立ち込めます。
ちょうど主君の代替わりもあり、長州だけでなくあちらこちらの藩で政治および軍事の近代化をしなくてはなりませんでした。
版籍奉還で領地が減ってしまったからとか理由はいろいろありますがそこは割愛。
新たな主君・毛利元徳が財政状況を確認したところ、驚くべきことが判明しました。
「お金が足りない……」
奇兵隊=非正規兵の部隊は、度重なる戦闘の間にかなりの大所帯になっていました。
実に5,000人くらいだったそうです。これほどの数になるとそりゃ給料を払うにも困るわけで。
萩の乱
思い切った元徳は、これを約半数の2,250人に再編しました。
平たく言えば、2,800人近くのクビを切ったわけです。
しかも上記の通り、奇兵隊は「身分を問わず有志で構成されている」はずなのに、クビを切るかどうかの基準は元の身分や隊内での役職だったとか。
実際、武士が優遇されていたりして、理想通りではなかったんですね。
こんなことをやれば、当然クビを切られたほうは反発します。
実際に反乱を起こした人たちもいましたが、木戸孝允(桂小五郎)らによって鎮圧されてしまいました。
ある者は明治初期に頻発していた農民一揆や士族の反乱に身を投じ、またある者は無人島に住み着いて海賊になってしまったといわれています。
新しい国を作るために命がけで戦ったというのにあんまりな話ですよね。
明治新政府には戊辰戦争中にこうした部隊と肩を並べて戦った人も当然いましたが、具体的に行動してくれたのは前原一誠という人だけ。
彼は木戸に対しリストラを取りやめるよう働きかけますが、受け入れられず自分も政府から出て野に下り、【萩の乱】を起こしています。
西南戦争のドンパチがあるまで、明治初期にはこのようにリストラを食らってしまった人たちによる内乱がいくつかありました。
理想と現実は……いつの時代も、こんなもんですかね。
あわせて読みたい関連記事
西郷や高杉が頼りにした尊皇商人・白石正一郎~なぜ明治政府に見捨てられたのか
続きを見る
幕末最強の剣術は新選組の天然理心流か 荒れ狂う関東で育った殺人剣 その真髄
続きを見る
禁門の変(蛤御門の変)が起きた不都合な真実~孝明天皇は長州の排除を望んでいた
続きを見る
高杉晋作が27歳で夭逝「立てば雷電、動けば台風」の麒麟児は生き急ぐ
続きを見る
長州征討で潰される寸前だった長州藩~なぜドン底から復活して倒幕できたのか
続きを見る
戊辰戦争のリアルは悲惨だ~生活の場が戦場となり食料を奪われ民は殺害され
続きを見る
不平士族の反乱はなぜ連鎖した?佐賀の乱→神風連の乱→秋月の乱→萩の乱→西南戦争
続きを見る
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史群像編集部『全国版 幕末維新人物事典』(→amazon)
安岡昭男『幕末維新大人名事典(新人物往来社)』(→amazon)
奇兵隊/Wikipedia