新井白石

新井白石/wikipediaより引用

江戸時代

学者は政治に向いてない? 新井白石が幕府に呼ばれ吉宗に追い出されるまで

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徳川綱豊が甲府藩主から六代将軍へ

徳川綱豊は、後に六代将軍・徳川家宣となる人です。

つまり、加賀藩に行っていたら、白石が家宣に仕えることもなく、彼が幕政に関わることもなかった……ということになります。

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「残り物には福がある」とは少々違いますが、まぁ、かなり得をしたのではないでしょうか。

そこから綱吉が亡くなり、家宣が将軍位を継ぐまでには数年のブランクがありました。

同時にそれは、白石が家宣から厚い信任を受けるのに十分な時間となります。

宝永六年(1709年)に家宣が将軍になると、白石は積極的に幕政へ意見を出し、その才能と学識を活かそうとしました。

働きも認められ、従五位下・筑後守という官位と、1,000石の領地も貰い、領主の仲間入りもしています。

しかし、正徳二年(1712年)に家宣が死去。

白石の前途に影がさし始めました。

家宣の遺児である七代将軍・徳川家継は幼い上に病弱で、側用人・間部詮房と白石だけではいかんともし難かいものがありました。

他の幕閣からは

「先代将軍の威光を笠に着る下賤の者ども」

という目で見られていたため、政治的にも孤立してしまいます。白石に対する嫉妬からなんでしょうけど、どうしようもないですね。

そして家継もまた、将軍就任から数年で亡くなり、将軍の座は紀州藩からやってきた吉宗のものに……。

 

1,299日も講義をしていた

吉宗はこれまでの政治で山積みになった問題を一気に片付けるべく、人事にも大胆にメスを入れました。

新井白石も間部詮房も、このとき政治的な力をほぼ完全に失っています。

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代表的な著書『折たく柴の記』は、政治から去った後に書かれたものです。

白石は儒学者ではありましたが、日本の文化・歴史、そして西洋の文化にも非常に高い関心を持っていました。

当時の儒学者は漢籍に偏りがちな人が多かったのですけれども、白石は様々な文化や文献を比較することで、新しい見解を生み、それを書き残そうとしたのです。

家宣に対しても、中国の聖人的な君主である堯(ぎょう)や舜(しゅん)のような立派な将軍になってもらおうと、積極的に講義をしていました。

甲府藩主時代から亡くなるまでの間に、なんと1,299日も講義をしたそうです。

毎日していたとしても、ざっと三年半はかかる計算。

家宣はもちろん、政務や行事、儀式などもこなさなければなりませんから、この数字は驚異的なものといえるでしょう。

いかに白石が家宣に期待していたか、家宣がそれを受け入れていたかがわかりますね。

『折たく柴の記』以外で白石の著作物として有名なのは『藩翰譜』(藩譜)でしょう。

史料を元に作ったものではなく、当時の伝聞をまとめたものなので、史料的な価値よりも文学的な価値が高いとされている本です。

それでも

「当時、どこの大名家が世間一般的にどう思われていたか」

「資料と比較した際、どのような点に差異がみられるか」

という視点で見れば、全くの無価値ともいえないでしょう。

新井白石/wikipediaより引用

 

イタリア人司祭ジョヴァンニを尋問

その他、彼の著書は多岐にわたります。

ただし、残っているものはさほど多くありません。

『折たく柴の記』『藩翰譜』の他に注目すべきものを挙げるとすれば『西洋紀聞(せいようきぶん)』と『采覧異言(さいらんいげん)』あたりですかね。

まだ幕政に携わっていた頃、不法入国していたイタリア人司祭ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティを尋問。

白石は、キリスト教とそれに基づく道徳観念については否定しましたが、シドッティから聞いた西洋の文化・学問・地理には大きく感銘を受け、書き残したのです。

尋問というより学問的な話のほうが目的だったようです。

とはいえ、鎖国体制がバリバリだった時期ですから、大っぴらには公表されませんでした。

この二冊が世の中で注目されるようになるのは、白石が亡くなって80年ほど経った1800年代初頭のことです。

白石に関してまとめますと……。

「学者としては極めて優秀だが、政治には向かない」

「あくまで将軍の顧問や学問の師という立場にとどまり、具体的な政策には口を出さないほうがよかったかも……」

という感じですかね。

頭がいい人ほど世間に対して献身的なものですが、うまく噛み合わないと悲劇になる――そんな好例かもしれません。

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【参考】
国史大辞典「新井白石」

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