本居宣長

本居宣長/wikipediaより引用

江戸時代

国学者・本居宣長の何が凄いのか 医学をやりつつ『古事記伝』を完成す

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「古事記伝」を完成させたのは実に69歳のとき

話が前後しますが、27歳とき、本居宣長は賀茂真淵の著作に感銘を受け、文通で指導を仰いでいます。

この関係は長く続き、真淵が伊勢神宮参拝のために松坂までやってきたとき、宣長は会いに行って弟子入りを頼んでいます。

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翌年の年明けから正式に弟子入りし、「まずは万葉集の注釈から始めなさい」と指導を受けました。古典で用いられる万葉仮名を習得するためです。

宣長はその通りに万葉仮名を学び、古事記の研究も始めました。

古事記伝/国立国会図書館蔵

医師と文学者を兼ねるのもなかなか大変そうですが、本居宣長の場合、さらに弟子に講義をしているのがスゴイところです。

しかも、60歳のときには美濃・名古屋・京都・大坂・和歌山を旅して、弟子を激励したり、出会った人と積極的に交流しています。元気やなぁ。

彼の代表的な著作の一つである「古事記伝」が完成したのも、69歳のときですから、心身ともにしっかりした人だったんでしょうね。

書き始めてから34年もの月日が経っていました。

 

遺書には供養の方法やお墓のデザインまで

「古事記伝」の一部分を、本居宣長記念館のホームページで見ることができるのですが、漢文にフリガナがつけられているので、現代人でも理解しやすくなっています。

これを歴史なり国語の授業で扱えば、古文と神話の勉強が同時にできてすごく効率がいい気がします……そういうのってダメなんですかね。

70歳のときには、古事記や風土記に出てくる地名の転記例をまとめた「地名字音転用例」を刊行しています。

亡くなる前年のことですから、とんでもない根気と正確性が求められる作業ですよね。

診察スタンスといい、本居宣長のそういった性質が、医師・文学者・教師という三つの仕事を成し遂げるベースになったのでしょうか。

そういえば、松坂の町を発展させた蒲生氏郷も、いろいろと細かなことに気のつく性格でした。

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ちなみに、本居宣長の遺言書も非常に几帳面なものでした。

相続の話が書いてあるのはともかく、供養の方法やお墓のデザインまで指示しているのです。

なんだか藤堂高虎の二百か条を思い出させる細かさ。

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これを読んで困るか助かるかは、読み手の感性によりますかね。

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【参考】
国史大辞典
『朝日 日本歴史人物事典』(→amazon
本居宣長/wikipedia
本居宣長記念館(→link
やまとうた(→link

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